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彼女はくノ一! 第六話 (158)

第六話 春、到来! 出会いと別れは、嵐の如く!!(158)

 楓に背中を流して貰うことに、香也はなんとも奇妙な印象を覚えた。そもそも幼少時を除いて、他人に体を洗って貰う、という経験自体が珍しい。一通り背中を洗い終えた楓が、前の方も洗うと言いだしたのだが、流石に照れくさかったので、そっちは丁重にお断りする。それでは、と、楓は香也の頭を洗いたいといいだし、香也は、正面から向かい合って体を洗われるよりは……と、楓に洗髪を任せることにした。他人に自分の髪を洗われる感触は背中を流されるよりも珍しく、香也はなんともいえないくすぐったさを全身に感じた。
 最後にシャワーを浴びて全身の泡を洗い流すと、今度は香也の方が、今までやって貰ったことの代わりに、と、今度は楓の背中を洗わせて貰うことを提案する。
 最初のうち、楓は、「いいですよそんなの」みたいな感じでいやがっていたが、香也がいつも一方的に世話して貰うだけでは悪い、勉強のことだって、教えて貰う側の香也より楓の方が大変なはずだ、みたいなことをぼそぼそといい続けると、終いには折れて背中を向けてくれた。楓の白い背中を見た香也は「……小さいなあ……」とか思いながら手を動かす。楓の肌は滑らかだった。肌理が細かい……ということも、肌同士を密着させた感触も、香也は知っているわけだったが、うかつなことを思い返すとうっかり下半身が反応してしまいそうになるので、極力を雑念を頭の中から追い払って楓の背中を洗うことに専念した。とはいえ、若い香也のその部分は先ほどから充血しており、いわゆる半勃ち状態には、なっている。香也の意志の力で上向きに跳ね上がるのをどうにか防止しているような状態だった。
 一通り洗い終わった楓の背中をシャワーで流すと、香也が制止する間もなく楓がこちらに向き直った。当然、楓の裸体を正面から、間近に見ることになる。
 見慣れてはいるのだけど、香也はすぐに顔を背けて視線を背けた。香也の注意が逸れた隙に、楓は香也の手からスポンジを奪い取り、香也の肩に肩手をかけて、香也の体の正面を洗いはじめる。
 香也が多少、強引に楓の背中を流したことで、楓の方も、意地になっている部分はあったのかも知れない。常に香也の肩や腕のどこかしらを掴み、香也が逃げないように工夫しながら、香也の体を正面から洗いはじめた。
 首からはじまって、肩、腕、胸、わき腹、腹……と、洗う箇所がだんだん下がってくるのを意識しながら、香也は、できるだけ楓の顔を体を見ないようにしていた。それでも香也の分身は反応し、どんどん上を向いてくる。大きくなったその部分について、楓は当然気づいていたはずだが、香也が照れくさがっていることを察してか、何も言わなかった。香也の股間、まさにその部分を洗う時も、とりたてて扇情的な動きをすることもなく、複雑な形状の部分も含めて、淡々と手を動かして丁寧に洗っていく。
 そうしてもらいながら香也は、ありがたいような残念なような情けないような、複雑な気持ちになった。
 香也の前をすっかり洗い終わり、泡を洗い流した後、楓が「……わたしの体も、正面から、洗いたいですか?」と聞いてきたので、香也が慌ててぶんぶんと首を横に振る。 楓は含み笑いをしながら、「じゃあ、お風呂に入って暖まってください」という。
 いわれた通りに香也が湯船につかっている間に、楓は体の残りの部分の髪の毛を手早く洗って、すぐにまた湯船に、香也の隣に入り込む。それも、先ほどより、露骨に体を密着させてきた。
「……さっきから、何か、変な気分になってきちゃいました……」
 いいながら、楓は、指先で香也の太股あたりをまさぐってくる。
「……香也様の……大きくなったの、見てたら……」
 香也は黙って自分の太股の上にある楓の掌に、自分の掌を重ねる。
「……んー……」
 少し、考えた。
「……そういうのも、いいんだけど……」
 香也は、考えながら、訥々と言葉を続ける。
 もともと、考えることも、人と話すことも、得意な方ではない。
「……正直、今、こうしていても、楓ちゃんに抱きついて、いろいろしたいって思っているくらいなんだけど……。
 でも、楓ちゃんは……別に、そういうことをしなくても……。
 ……んー……。
 うまく、いえないけど……。
 楓ちゃん、本当に欲しいのは……そういうことじゃあ、ないんじゃないかな、って……そう、思った……。
 その、さっき、泣いているのを見たとき……あれ、あのとき、楓ちゃん、悲しそうには見えなくて……。
 だから、たぶん……ぼくと、無理にそういうことしなくても、楓ちゃんは楓ちゃんで、ずっとぼくのそばにいてくれて……。
 ……んー……。
 話しているうちに、自分でもなにがいいたいのか、よくわからなくなってきた……」
 最終的には、論旨や脈絡がはっきりしない、ぼやけた言い方になってしまったが……香也が、ここまで長々としゃべるのは珍しい。
 集中して考えながらしゃべり終えて、ふと横の楓に視線を向けると、楓は、目を丸くして香也の顔を凝視していた。
 楓とまともに目があうと、とたんに、香也の心に気恥ずかしさが満ちあふれてくる。
「……も、もう、あがる。
 のぼせ、ちゃうから……」
 なんとなくいたたまれない心情になった香也は、慌てて立ち上がり、湯船の外に出ようとする。
 その香也の手首を、楓が、はしっと掴んだ。
「……あ、あの……」
 首だけ振り返った香也に、楓が、いった。
「あとで、お部屋にいっても……いいでしょうか?」
「……んー……」
 香也にしてみれば、断る理由もない。
 今更、という気もする。
 これまでだって、楓にしろ他の同居人の少女たちにしろ、用事がありさえすれば遠慮なく香也の部屋を訪ねてきている。
「別に、いいけど……」
 それよりも、今の香也にとっては、いきりたった前のもをまともに楓に見られて決まりの悪い思いをする……という可能性を回避する方が、重要なことだった。せっかく真面目な話しをしたばかりで、思いっきり勃起しているというのも、なんだか間が抜けていて格好が悪い……と、香也は思う。
 おそらく……楓は、そんな子細なことを気にはしないのだろうが。 


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[つづく]
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彼女はくノ一! 第六話 (157)

第六話 春、到来! 出会いと別れは、嵐の如く!!(157)

「……ふぅ……」
 湯船の中で長々と手足を伸ばした香也は、満足げな息を漏らした。大きすぎるくらいの浴槽も、こういうときは素直にありがたいと思う。
 ここ数日、なんだかんだで香也は慣れない長時間勉強にいそしんでいるわけで、実際にやってみればさほど苦にはならなかったとはいえ、だからといって披露を感じないというわけでもない。体のあちこちがこわばっているような感触もあって、こうして湯の中に手足を伸ばしていると、自然に気の抜けた声が漏れてきた。
 しかし、香也の至福の時間は、そう長くは続かなかった。
「香也様ぁ」
 いきなり声をかけられて、香也は慌てて上体を起こした。
「ちょっとご一緒させていただきますね」
 振り返ると、がらりと音をたてて脱衣所へと続く引き戸が開き、楓が入ってくるところだった。
「……あっ。あっ。あっ……」
 予想外のことに、香也はすっかり動揺してしまっている。それ以前に、目のやり場に困る。
「そんなに慌てないでくださいよ」
 楓が、ちょっと拗ねた声を出した。
「わたしの裸なんて、見慣れているじゃないですか。
 そんな反応されちゃうと、わたしの方まで恥ずかしくなってきます……」
 一応、タオルで前の方は隠していたが、そういう楓もそれなりに恥ずかしい思いはしているらしく、顔と耳が朱に染まっていた。
「……や。や。や……」
 香也の方も赤くなって、慌てて顔をあらぬ方向に向ける。
 その間に楓は洗面器でざっと自分の体にお湯をかけ、すばやく香也の隣に滑り込んだ。
「……こうして二人で一緒にお風呂に入ったり、背中を流したり、って一度やってみたかったんですよね。
 なかなか機会がなかったし、今日はわたしが香也様をお世話する日ですから、これくらいしてもいいですよね? 今日は、あまり一緒にいられませんでしたし……」
 耳元に口を寄せてそういわれると、香也としても「……んー……」と曖昧に頷くよりほかない。
 香也があまり弁が立つ方ではない、ということもあったが、全裸でも平気で密着してくる楓の体温やら感触やらをつとめて意識しないようにすることで、香也はいっぱいっぱいだった。
「……ちょ、とちょっと……」
 香也は、ようやくそういって、楓から少し遠ざかった。
「わ、わかったから……その……もう少し、離れて……。
 のぼせちゃう……」
 たどたどしい言い方であったが、なんとか楓に自分の意志を伝える。
 今までの例から見ても、楓は、香也の意志を無視してまで自分の欲求を強行する性格ではなかった。つまり、「話せばわかる」。
 その点、自分たちの欲望に忠実すぎる三人娘や理路整然と香也を解きふせて結局は自分のしたいほうへと誘導してしまう孫子などとは違っていて、やりやすいともいえる。
「……はぁい……」
 楓は、拗ねたような甘えたような声をだして、一応は「少し離れてくれ」という香也の要求を聞き入れてくれた。
「でも、お背中くらいは、流させてくださいね……」
 その直後、すかさず香也の言質をとろうとしているのは……おそらく、計算してのことではなく、自分がしたいことを素直に告げているだけなのだろう。
「……う、うん……」
 香也は、力なく、頷いて見せた。
「それくらいなら、別に……」
「……最近、香也様、頑張っていますよね……」
 唐突に、楓が話題を変えてくる。
「今日も……びっくりしちゃいました。
 少し前と比べると、段違いによくなっています……」
 香也の、勉強のことだった。
「……んー……」
 とりあえず香也は、例によって曖昧に唸っておく。
 実のところ、あまり実感はないのだが……赤点以下を平気で取っていた以前と比較すれば、香也の成績は、格段によくなっているのだろう。
「……みんなが、みてくれたから……」
 仮に、香也の成績がよくなったとしても、それは香也一人の功績ではない……というのが、香也の本音だった。
 決して、自分自身の努力が実ったというわけっではなく……他力本願だったからこそ、いまだにろくな手応えや実感も、持てないのかも知れなかった。
「……誰かに助けられたとしても……」
 楓は、お湯の中で香也の掌を握りしめた。
「……実際にやったのは、香也様なんですから……。
 もう少し、自信を持ってください……」
「……んー……」
 香也は、力なく、答える。
「……わかった……」
 曖昧な香也の主体性とは違い、自分の掌を握る楓の手指の感触は、誤魔化しようがないくらいに本物だった。
 その楓がいうのだから……おそらく、その通りなのだろう……と、香也は、そのような納得の仕方をする。
「……ありがとう」
 続いて、ぽつりと香也は呟いた。
「……え?」
 楓が、虚をつかれた表情になる。
「いや、いろいろ……ありがとう」
 香也は、自分が感じていることをうまく伝えられないもどかしさを感じながら、不器用に単調な言葉を繰り返す。
「……や、やだなぁ……」
 何故か、楓が露骨に狼狽しはじめた。
「そんな……わたしだけが、手伝ったわけでもないですし……」
「でも……楓ちゃんも、やってくれたし……」
 ぼそぼそと聞き取りづらい声で、香也が続ける。
「それは……うん。
 そう、なんですけれどね……」
 楓はそういって、何故か「はははは」と軽い笑い声はあげた。
「……香也様……」
 しばらくして、楓がいった。
「もう少し、そばにいってもいいですか?」
「……んー……。
 少しなら……」
 反射的に答えてから、香也は慌てて付け加える。
「でも……その、くっつきすぎないで……」
「……はぁい」
 くすくす笑いながら、楓は、香也との距離を、ほんの少し詰めた。肩がふれあう寸前で、とどまっていた。
「……楓、ちゃん……」
 何気なく楓の横顔を見た香也は、ぎょっとした。
「なんで……泣いているの?」
「え?」
 楓は、自分の頬に手をあてた。
「なんで、涙が……」
 香也が指摘した通り、楓の目尻から頬にかけて、一筋の涙が滴り落ちている。
「そんな、悲しいことなんて、何もないのに……。
 ただ……いつまでも、こんな状況が続けばいいのに……って、そう、思っていただけで……」


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彼女はくノ一! 第六話 (156)

第六話 春、到来! 出会いと別れは、嵐の如く!!(156)

「仮に出来るようになっても、安易に他人の心を覗いたりしちゃいけないと思うんだ」
「プライバシーとか、そういうこともあるけど……」
「それ以上に、迂闊に覗いてしまったら、ボクたちの方に変な影響があるかも知れない」
「いや、きっとある」
「挙動不審になる」
「中を覗く前と後では、変わってしまう」
「人間は……複雑だから」
「ボクらも、他の人も」
「みんな、影響を与えあっている」
「普段から、普通にそばで暮らしているだけで」
「でも、佐久間の技みたいなチートを経由しちゃうと……」
「影響しあう、ではなくて、一方的に影響を受ける」
「そして、影響を受けた結果、ボクたちが変質したことを……ボクたちは、他の人たちにうまく説明できない」
「佐久間の技を使って他人の心を読んだりするのは、非対照的な関係で……」
「一方通行の、影響力」
「もっとお芝居とかがうまくて、受けた影響を無視して振る舞えればいいんだけど……」
「一般人は、ボクたちよりも複雑で……」
「ボクたちは、シンプルだ」
「うまくごまかせるわけがない」
 三人は額を寄せあったまま、「……うーん……」とうなって黙り込んでしまう。
「この話題は、もういい」
 やがて、テンが顔をあげる。
「話しを、おにーちゃんのことに戻そう」
「そうそう。
 おにーちゃんと楓おねーちゃんが最近、妙にしっくりいっているのは確か」
「孫子おねーちゃんも、焦ってる」
「ボクたちも、焦る」
「でも、ボクたち一人一人だと……」
「楓おねーちゃんや孫子おねーちゃんほど、おにーちゃんに強い印象を残せないみたい」
「やっぱ、単純なのかな? ボクたち。他の人たちに比べて」
「そういうこともあるのかも知れないけど……」
「それ以上に、おにーちゃんは、ボクたちのこと……」
「妹みたいにしか、思ってないのかな? やっぱり……」
「ボクたち、おにーちゃんよりよっぽどしっかりしているのに……」
「でも、この体だから……」
「外見の印象は、やっぱり強いよ」
「でも、順調に育っているじゃん」
「確かに、このままでいけば、あと何ヶ月かでおにーちゃんと並んでも不自然じゃなくなるけど……」
「その何ヶ月かの間に、すべてが手遅れになることもあり得るわけで……」
「早急に、なんらかの手を打たないと……」
「一人一人で駄目なら、三人でいけば……」
「あと、男の人が喜びそうなことをおにーちゃんに仕掛けていく、とか……」
「その手の資料は、ネット上にごろごろしているって先生がいっていたな……」
「いやらしいやつ? 確かにいっぱい、いくらでもあるけど……」
「……おにーちゃん、そういうのにあんまり興味ないんじゃ……」
「なにもやらないで手遅れになるよりはマシでしょう」
「どうせやるんなら、とことんいかないと……」
 三人の密談はまだまだ続いていくようだった。

 一方、香也は、夕食後も居間に残り、楓を相手にして試験勉強に余念がなかった。とはいっても、昨日、今日と荒野のマンションで半日以上、みっしりと密度の濃い試験対策を行ってきたのは、楓も知るところであり、この夜は楓が何問か、出題される可能性が高い問題を出し、それを香也が答える……という最後の確認作業をおこなっていた。
 楓としては、沙織が香也に対してどの程度、知恵を授けたのか、確認しておきたかった。
「……すごいですね……」
 その結果を確認した楓は、半ば呆れたような口調でつぶやく。
「香也様……。
 大きな弱点が、だいたい潰されてます……」
 そのように楓が関心してみせても、香也は例によって「……んー……」と生返事をするばかりだったが。
 もちろん、それ以前に地道に繰り返してきた成果かがあればこそ、ということも、多々あるのだが……それでも、楓は、これだけ短期間のうちに的確に香也の記憶が曖昧な部分を見抜き、その弱点を補強して見せた沙織の指導法に、恐れ入るばかりだった。
 これだけ覚えていれば……本番の試験で素直に実力をだしきれば、香也は、平均点を大きく上回る成績が筈だ。楓が予測していたところでは、沙織の指導を受けない状態だったら、なんとか平均点程度はいくかな……という見当だったので、わずか半日のうちに飛躍的に弱点を克服したことになる。
「……なんか……ぼく以上に、ぼくが覚えていないところを、わかっているみたいだった……」
 というのが、香也が漏らした沙織の指導法への感想だった。
 おそらく沙織は……聡い、のだろう。いろいろなことについて……。
 と、楓は思う。
 記憶力や頭の回転だけではなく、他人の表情をよく観察し、細かな感情の動きをかなり正確に予想したり……普通の人も、日常生活でそれなりに行っていることを、より緻密に行っているのではないか……と、楓は予想する。
 楓は、何故茅があそこまで沙織のことを丁重に扱っているのか、居間になってようやく理解できた気がした。

「……ここまで出来ているのなら……」
 楓は、おずおずと香也に提案する。
「香也様もお疲れでしょうし、今夜はもう、お勉強はおしまいにしましょう……」
 今週に入ってから、香也は、かなりの時間を試験勉強にとられている。香也にしては珍しく、ここ数日はほとんど絵を描いていないのではないか? これから寝るまでのわずかな時間、香也を解放しても罰は当たらないだろう……と、楓は思っていた。
「……お風呂、空きましたけど……」
 ちょうど居間に入ってきた孫子が、二人に声をかけてきた。
「……あー。そううだな。
 テンちゃんたち、部屋に籠もってなんかやっているみたいだし……」
 孫子のすぐあとに続いて居間に入ってきた羽生が、孫子の言葉尻を引き取る。
 どうやら楓が話していた内容を、孫子も漏れきいたようだった。孫子にしても、昨日、香也の状態を確認しているので、断片的に聞こえきた単語を繋いで、楓が行いそうな判断も、容易に推測することができた。
 二人はたった今、風呂からあがったばかりの、上気した顔をしていた。香也と楓が炬燵にあたりながら勉強をしている間に一緒に入浴していたのだった。時間と燃料費の節約のため、時間が空いている者同士が一緒に入浴する、ということは、この家では普通に行われている。
「……んー……。
 わかった……」
 香也は、素直にそう応じて、勉強道具を片づけはじめた。


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彼女はくノ一! 第六話 (155)

第六話 春、到来! 出会いと別れは、嵐の如く!!(155)

「孫子おねーちゃんだけでの問題でもないでしょ?」
「でも、今の時点で楓おねーちゃんが一歩リードしているのは確実」
「おにーちゃんの中では、まだ確定はしていないんじゃないかな? ボクたちにもまだ機会はあると思うし……」
 三人の会話は加速している。もはや、どの発言を誰がしているのか、ということさえ、三人は意識していない。言葉が次の言葉を生み、その流れはさらなる加速を発生させる。
 一種のトランス体験にも似た状況だったが、三人だけであることを決めようとるるときはたいていこうなるため、三人はとこうした状況をさして不思議だとも思っていない。
「二人とも、初体験同士だったからね。そのインパクトは軽視できない」
「まだ間に合うよ。そんなに悲観することもないって」
「それよりも今は、孫子おねーちゃんのことが先決でしょ?」
「孫子おねーちゃん、むやみに自分を抑え込もうとするところがあるから……」
「それで実際に抑えられちゃう孫子おねーちゃんの自制心も、それなりにすごいと思うけど……」
「ときおり、抑えが利かなくなって噴出しちゃうんだよね」
「普段の抑制がきついから、なおさらその噴出が怖い」
「孫子おねーちゃん、本音と建て前のギャップがきついからなぁ」
「年長者という自負もあるんじゃない?」
「楓おねーちゃんは、何も考えていない天然だけどね」
「何かの拍子に孫子おねーちゃんのタガが外れたら……」
「ボクたちだけで抑えこめるかな?」
「今さら、かのうこうやを頼みにするわけにもいかないでしょう」
「もはやこの家の問題だしね」
「対抗できることはできると思うけど……孫子おねーちゃんの作戦構築と瞬間的な判断能力は……」
「身体スペックだけでは勝敗は決まらない、って実例、今までにもさんざん見てきているしね」
「なんで荒神のおじさんが楓おねーちゃんを見込んだのか、ってことだよね。ボクたちではなく」
「荒神さんの求めるものは、ボクたちになかった……ということかな?」
「メンタルな部分も含めて判断したんだと思う」
「楓おねーちゃんもたいがいに天然だけど……」
「ボクたちは、さらに薄っぺらいから」
「人間としての経験値が違うんだから、しかたがないよ」
「ボクたちにはじっちゃんとこの三人しかいなかったんだし」
「環境の差は、なかなか埋められないし」
「楓おねーちゃんも、普段表面に出てこない、本人も意識していないところで複雑だから……」
「メンタルの差は、意外なところで出てくるよね」
「孫子おねーちゃんの強さは、自覚的なところから」
「楓おねーちゃんの強さは、無自覚なところから」
「このままずっと仲良くしてくれればいいんだけど」
「小康状態を保ってる原因も」
「将来、暴発する可能性を与えているのも」
「香也おにーちゃんなんだよね……」
 三人は同時にふといため息をついた。
 結局、話しはそこに戻っていく。
「おにーちゃんは、アレ、本気で決めていないの?」
「たぶん、ね」
「駆け引きとか、そういう計算をする人ではないことは、確かだけど」
「本人にも自分のことがよくわかっていないんじゃないか?」
「その可能性が一番大きい」
「いっそのこと、ボクたちの誰かを選んでくれれば」
「そうなる可能性もまだまだあるよ」
「あすきーおねーちゃんの可能性もね」
「やっぱり、自分のことがわかっていないんだよ。おにーちゃん」
「自分のこともそうだけど、他人のことも含めて、人間全般に興味がないっていうか……」
「でも、それも徐々に変わってきている……と、思うけど……」
「そのきっかけになったのも……おそらく、楓おねーちゃん……」
「たぶんね」
「あすきーおねーちゃんの方が、接触したのははやかったのにな」
「後先はあまり問題ではないでしょ」
「それいったら、ボクたち圧倒的に不利だし」
「不利とか有利とかで考えると、重要なことを見落とすと思う」
「クールになるんだ」
「あすきーおねーちゃんにも孫子おねーちゃんにもボクたちにもないものが、楓おねーちゃんにはあるってこと?」
「そこまで考えていないんじゃないかな?」
「タイミングの問題ではないとすると、何かしらあるんだろうね」
「そんなのがわかったからって、どうしよもないよ。真似すればいいってわけでもないだろうし」
「難しいんだな。愛情って概念」
「ボクたちには、特にね」
「これまでは、そんなことに悩む必要はなかったから」
「……それだ」
「なに?」
「どれ?」
「ボクたちは島にいたから、悩む必要はなかった。孫子おねーちゃんも、伯父さんとかがいるから、愛情に不足していたとは思えない。
 でも、楓おねーちゃんは……」
「……あっ」
「そうか……。
 楓おねーちゃんが、過剰に自信なさそうなのって……」
「おそらく……誰かに必要にされているって実感が、いつまでも持てないんだよ」
「……あんだけ、強いのに……」
「中身は、弱い」
「てか、脆い」
「孫子おねーちゃんとは別な意味で、無理しているとか」
「その無理……をずっと続けていたんだろうね。楓おねーちゃん。だから、あそこまでいけた」
「この間の暴走も……」
「かのうこうやから、クビを言い渡されたと誤解して、だし……」
「表裏、一体なのか……」
「それが、楓おねーちゃんだから……」
「ずっと無自覚でいるのも……」
「深く考えると、怖くなるから。もともと、頭がわるいわけでもないし」
「無理に……目を逸らしているのか。
 自分のことに」
「だとすれば、筋金入りの……鍛えに鍛えた天然だ」
「シンプルなようで、奥が深い」
「でも、楓おねーちゃんや孫子おねーちゃんのことは、少し距離をおいてみればまだわかりやすいけど……」
「わかんないのが……おにーちゃんだよね」
「あの人は……本当にブランクなのかな?」
「楓おねーちゃんが自分のことから目を逸らしているように、おにーちゃんが絵以外のことに意識を向けようとしていないことは、確か」
「原因は、まだよくわからないけどね」
「おにーちゃんの心の中を覗けるようになれれば、わかるのかな?」
「現象のやつは、何か見たようだけど……」
「仮にボクたちにそういうことが出来るようになっても、それは禁止されているから」


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彼女はくノ一! 第六話 (154)

第六話 春、到来! 出会いと別れは、嵐の如く!!(154)

「それで、今日はどうでした?」
 夕食の席で、楓が香也に尋ねてきた。
「……んー……」
 香也は少し考えてから、返事をする。
「昨日と、あんまり変わらなかった……」
 あくまで、「香也にとっては」違いはなかった、ということだったが……。
「……はぁー……」
 基本的に素直な性格の楓は、すぐに納得して頷く。
「そうですかぁー……。
 でも、佐久間先輩がついていれば、安心ですねー……」
 悩みがない二人であった。
『……この子たちは……』
 そのすぐそばで、孫子は一人難しい顔をしている。
 香也はともかく……楓までもが、こうも、まるっきり、これっぽっちも、先のことを想像も警戒もしていないのか……ということを、孫子は最近いらだちを感じはじめていた。
 何事につけ、将来を見通して、周到に準備を行い、対策を練る……という計画性を自らに課している孫子にとって、楓のような無防備さを目の当たりにするのは、あまり快いことではない。孫子には珍しく、楓の「戦力としての優秀さ」を認めているからこそ、なおさらいらだちが募る。なんで自分の力を自覚し、それをより効果的に使おうとしないのか……。
 楓なら、孫子のような計算や準備を必要とせず、たいていの局面は自力で切り抜けてしまう……ということがわかっているから、なおさら腹立たしい……。
 孫子自身は、客観的にみて、計略や銃器の力を借りて、ようやく「並の術者」と互角にやりあえる程度の「戦力」でしかない。一方の楓はというと、荒神との接触以来、潜在的な素質を短時間のうちに開花させ、今では一族の中でも第一線の者たちと並ぶの戦闘能力を獲得しつつあり……その差は、開くばかり……という焦りもあった。
 もっと根本的な部分で、香也が「一番自然に接している」のが楓であり、しかも、そのことを楓も香也もあまり意識していない……ことに、孫子は一番いらだちを感じている。
『まったく、この子は……』
 自分が、どれほど恵まれているのか、自覚もせず、自覚しようともせず……。
 謙遜しているのではく、自分が強者であることを絶対的に自覚していない強者……というのも、実際にすぐそばにいると、これでなかなか、腹立たしい。
 さらに、困ったことに……孫子は、楓個人の性格は、決して嫌いではないのであった。
 素直で、なんの計算も打算もなく、自分の感情を隠そうともしない……ようするに、孫子とはまるで正反対の性格、といえたが……だからこそ、孫子は、そうした自分にはないまっすぐさを、好ましいものと思っていた。
 香也とのことを考慮しても、孫子からみた楓とは、立ち位置的には、いくら憎んでも飽き足らない相手……であっても、おかしくはない。
 しかし、実際の楓は……孫子の目か見ても、どこにも憎める要素がない……あまりにも、善良な存在であり……。
 そのギャップは、結局孫子の内面へと跳ね返ってフラストレーションとなってのしかかってくる。
 確かに、この頃の孫子が楓に感じていたのは、卑近な慣用句を使用するのなら、嫉妬ということになろう。しかし、その嫉妬の内実はというと……幾筋もの要素が複雑に絡み合っていて、ときほぐすのも容易でない。
 さらに救いのないことには……自らを軍師をもって認じている孫子は、明晰な思考能力を持ち、かつ、自分の身辺周辺の事物を分析する性癖もあり……つまり、自分の内面に澱んでいるどろどろとしたものが何に起因するのか、しっかりと見据え、明確に意識化していたことだった。
 あくまで無自覚な楓と、あくまで自覚的な孫子……という両者の性格の差が……それ以上の格差を、うみつつあった。
 誰が悪い……ということも、なかったのだが……。

「……それでは香也様。
 お風呂からあがったら、もう少し復習しましょうか……」
 孫子の葛藤に気づく様子もなく、楓は香也に向かって、無邪気に笑いかけている。
 楓はそのまま立ち上がり、食べ終えた食器を片づけに入った。すでに食事を終えていた孫子も、楓に倣って後片づけに入る。
 テン、ガク、ノリの三人は、お互いに目配せをしあうと、そっと立ち上がって自分たちの食器を台所へと持っていった。食器洗いには人数が多すぎるくらいだったので、そのまま三人連れだって、自分たちに与えられた部屋へとと向かう。
 そして、部屋に入るなり、三人で額を寄せあうようにして、こそこそと話し合いを開始した。
「……見た?」
 と、ノリ。
「見た見た。 
 やっぱり変だったよね。
 孫子おねーちゃん……」
 これは、テン。
「だからいったでしょ?
 この間も、お風呂で大変だったんだから。
 孫子おねーちゃん、取り押さえてるの……」
 これは、ガク。
「やっぱあれかな?
 楓おねーちゃんが、最近、なにかと勢いづいているから……」
「あまり認めたくないけど、おにーちゃんともいい感じだし……」
「孫子おねーちゃん、昨日もかなり焦っておにーちゃんに迫っていたし……」
 三人はおのおの勝手にいいたい放題にしゃべりはじめる。
「……佐久間の術を使いこなせれば、人の心も読めるそうだけど……」
 しばらくわいわいしゃべりあった後、おもむろにテンが顔をあげ、太いため息をついた。
「……心なんか読めなくても、これだけ煩わしいのに……」
 テンの言葉に、ノリとガクの二人がうんうんと大きく頷く。
「プログラムみたいに、理屈では割り切れないからねー……」
「……変数が複雑すぎて、予測がつきません……」
 複雑な人間関係、というのも、この三人にとっては、ここ最近になってはじめて遭遇する代物であり……そうした未知の問題に関しては、三人でよく話し合って対策をとることになっている。
「おそらく、孫子おねーちゃんも頭ではわかっていると思うんだ。もともと、冷静な人だし……」
「わかっちゃうから、かえって感情的には納得できない……ってことも、あるんじゃないかな?」
「ボクたちだって、納得しているかしていないか、っていったら、ぜんぜん納得できてないけど……」
「まだまだおにーちゃんの気持ちが確定したわけではないし……」
 三人は早口で思いついたことを何でも挙げはじめる。三人の話し合いは、いわゆるブレーンストーミング的なものになりがちだった。


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