第六章 「血と技」(394)
「はいはい。
お食事をいただきながらいろいろと興味深いお話しも聞いたけど、狩野君も荒野君は、今はお勉強の方に専念しましょうねー……」
沙織先輩は、妙に機嫌がよかった。
「先輩。
実は、人に教えるのが好きだったりします?」
「もちろん」
沙織は荒野の問いかけに、胸を張って答える。
「モノを憶えられない、って感覚が、実はわたしにはよく理解できないんだけど……。
だからこそ、個人差を観察するのが楽しいの」
「……そんなもんすか……」
……先輩……結構、Sっ気があるのかも知れない……とか思いつつ、荒野は低い声でつぶやく。
香也は、昨日に引き続いて、素直に勉強にいそしんでいる。
茅と源吉は……二機のノートパソコン以外にもハードコピーの各種資料をテーブルの上に広げ、昨日よりも本格的な打ち合わせに入っている。
荒野と香也、それに沙織の勉強グループがテーブルの半分を占めておとなしく勉強にいそしんでおり、茅と源吉とが残りのスペースを占拠している。
それで、時折、茅か沙織が紅茶を入れ直す……というパターンが、この日も午後いっぱい続く。
「……昨日も思ったけど、狩野君、集中力があるね」
三時頃に「休憩」を宣言した沙織が、香也に話しかける。
根が素直で真面目、ということもあるのだろうが……沙織が休憩を宣言しない限りは、延々といわれた通りのことを飽きもせずやり続ける。
「……んー……」
そういわれた香也の方は……あまり、集中力うんうんという自覚がないのであった。
「……よく、わかんない」
「自分じゃ、よくわかんないかもねー……」
沙織は、香也の言葉にうんうんと頷く。
「やっぱあれかあな?
絵を描いていることも、関係してくるのかな?
狩野君、かなり描いているんでしょ?」
「……んー……」
香也は紅茶をずずずと音をたてて啜ってから、考え考え、答える。
「よく、わかんない……。
描いていることは描いているけど……どの程度で、かなり描いている……ということになるのか……」
香也は、自分の絵を客観的に評価することに、全くといっていいほど、興味を持っていない。
香也にとっては、「描いている最中、課程」こそがすべてなのであった。
「あれ、彼、隣の物置が絵で軽くいっぱいになるくらいは、描いていますよ」
荒野が、助け船を出す。
「先輩……見たことありませんでしたっけ?
彼の絵……」
「見たことないかっていえば……見たことは、あるんだけど?
最近、学校のあちこちに飾られているの、狩野君が描いているんでしょ?」
沙織が香也に問いかけると、香也は、無言のままこくこくと頷く。
「でも、あれ、狩野君が描きたくて描いた絵ではないでしょ? 放送部の人たちに頼まれて……」
これにも、香也は黙って頷いた。
「その、学校に飾っている絵が、狩野君が描きたい絵ではないと、ということになると……狩野君は、本当は、どういう絵が描きたいの?
というか……狩野君は、普段、どういう絵を描いているの?」
思わぬ沙織の問いかけに、香也と荒野とは、しばらく無言で顔を見合わせた。
「……んー……」
しばらく考え込んだ後、香也は、ようやく重い口を開いた。
「気が向けば、なんでも描くけど……。
強いていえば、なんとなく、人物画は、苦手……かな?
」
「……そう。
なんでも描くの……」
沙織は柔らかく微笑んで、さらに香也に問いかける。
「……それで……。
狩野君が一番描きたいのは、どんな絵なの?」
今度の問いには、香也は考え込むばかりだった。
結局、休憩時間が終わるまで、香也の答えは出なかった。
「……はいはい。
また、お勉強の再開ねー……」
休憩時間を取り初めてからきっかり十五分後に、また沙織がぱんぱんと手を叩いて合図をし、荒野と香也をそくす。
それから荒野と香也に、順番に口頭でいくつかの質問し、今までやってきたことがどこまで頭に入っているのか、進行状態を確認。それから、二人の弱点を重点的に復習させる。
「二人とも熱心にやってくれるから、教えがいがあるなー……」
とかいいつつ、沙織本人は自分で持ち込んだファッション雑誌を悠然と読んでいたりする。というか、沙織は、基本的に、時折、進行状況をチェックし、勉強すべき範囲を指示する以外の手助けは、していない。
荒野は時々、わからない部分の説明を求めたりするのだが、香也は、黙々といわれたことをするだけであり、自分から何かを問いかける、ということはなかった。結果、沙織から香也に話しかける機会が増えることになる。
とはいえ、沙織が香也に話すことといえば、結局は、ほとんど勉強のこと、になってしまうのだが……。
一連の香也とのやりとりを通して、沙織は、「面白い子、ではあるかな」という感触を得る。
香也の答え方というのは、たいてい「……んー……」という前置きをしてからのことになる。だから、聞いている側としては、かなり間延びした印象を受けるのだが……そのかわり、香也の言葉には、嘘や「てらい」というものがない。
よくよく質問の意味を考えて吟味し、できるだけしっかりとした回答をしよう、という意志のために、返答が遅れている……ような、気がする。
素直、ではあるだろう。
答えが分からないからといって適当にごまかしたり、何でもいいから回答しておけばいい……という発想がまるでないあたり、木訥……というか、あまり人づき合いには慣れていないようだな……ということも、容易に推察できる。
学習する速度などをみてみても、決して、知能面などで、同年輩の生徒たちと劣っているとも思わないのだが……荒野や茅から、それとなく漏れ聞いた印象通り、自分で自分の才覚を、特定方面に特化して狭めている……という印象が、あった。
つまりは、「おおよそ、前評判通り」というのが、沙織の香也に対する評価なのだが……。
『……その割には……』
沙織は……その実、香也は……絵を描くこと自体は、あまり好きではないのではないか……と、思いはじめている。
『だって……描きたい絵がない、ってねぇ……』
荒野から、それ以外の人から聞かされてきた香也の印象は、とにかく、「絵を描く子」の一言に尽きる。
だが、香也本人に聞くと、「特に描きたいものはない」という。
このギャップは……いったい、どういうことなのだろうか?
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つづき]
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