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今は亡き友の妻 (15)

今は亡き友の妻 (15)

 どうやら、後ろで縛めていたネクタイはいつの間にか緩んでいたらしい。響子は両腕でおれの首にしがみつきながら、ねっとりと熱くなった身体を密着させている。それだけでは飽きたらず、両脚でおれの胴体を締め付け、身体全体でおれを求めていることを主張していた。響子の身体全体が、熱く火照っている。
「お。響子ちゃん、火が着きました」
 背後で、冨美子が、無責任にそう呟くのが聞こえた。
 おれは二人分の体重を支えきれず、どさり、と、ソファの上に身を投げ出した。高級なソファなので、この程度の衝撃はなんなく吸収する。
「あの人がいなくなっても、とても寂しい思いをしても、……」
 相変わらず火照った手足をおれに巻き付けたまま、それでも響子は一旦、おれの口唇から自分の口唇をはなし、耳元で囁くようにいった。
「……それでも、お腹は空くんです。男の人が欲しくなることも時々あるし、自分で刺激すれば興奮します」
 ──そんな自分が、時折、ひどく浅ましく思えるんです。
 と、響子は、熱い吐息をおれの耳に吹き付けるようにして、囁いた。その目は、たぶん、性的な興奮のためだけではなく、潤んでいて、言葉の切れ目に、嗚咽にも似た吐息がまざる。
 ……だぁから、そういう湿っぽいの、趣味じゃないんだってば。
 そう思ったおれは、そっとため息をついて、
「富美子。おれは服を脱いだほうがいいのか?」
 と、背後にいる、今回のことを仕組んだ女に聞いた。富美子は「勝手にすれば」と、どこかふてくされたような口調で答えた。背後にいるのでその姿は見えないわけだが、素知らぬ顔をして明後日の方にでも視線を向けているのだろう。わざとらしく。
 ……このアマは……。
 おれは響子の肩に手を置いて、そっと響子の身体を引き離し、上着を脱いで、それを富美子に手渡す。ワイシャツと肌着も脱いで、これはソファの背もたれのうえに適当に置いた。剥き出しになったおれの上半身を間近にみて、響子は息をのんだ。
 ──この傷ねえ。たしかに、外目にはたいしたもんだとおもうけど、何分、今は全然痛まないし、ガキの頃に負ったもんだし、本当に痛い頃のことは全然覚えてないのよ。むしろ、何回かの手術とか、その後のリハビリとかで苦労したこと、とか、義務教育の時期に何年かブランクが空いちゃったことのほうが辛かったなあ。ほら、あれ、今でこそそうでもないけど、ガキの頃は、おれ、病院暮らしの強弱体質だったし。あとね、その後の、親類とか施設とかたらい回しにされた時期のほうの苦労のが、まだしも強く記憶に残っている。そういう経済的な苦労というのは、まあ、響子ちゃんには分からないだろうから、説明せんけどな。定時制の高校出た後、なんとか奨学金貰える資格クリアできたんで大学いって、そこで良樹とか富美子とか君に会った。
 なるべく軽快な口調で語ることを心がけたが、成功したかどうかは、分からない。響子の表情は、硬った。
 ──おれ、この傷を負ったときに両親も亡くしたわけだけど、そのときのこと、両親のこと、ほとんど覚えていないんだ。でも、それでいいと思っている。これは病院暮らししていたときに聞いたはなしだけど、人間の身体の細胞なんてなは、新陳代謝とかで、特殊な部位を除けば、せいぜい、数ヶ月で全身の細胞が入れかわっちまうそうだよ。人間なんて、変わらないようでいて、せいぜい数ヶ月でほとんどまったく新しい物質に入れ替わる。だから、おれが両親のこととか、この傷のこととか、そういうのを覚えてないとしたら、覚えていないことのほうが都合いいんだ、とか、病院の人に言われた。今にして思えば、たぶん、カウンセラーの人だったのかな。ようするに、いつまでも過去を引きづるなってことなんだと思うけど……。
 しきりに喉が渇く。煙草が吸いたい。そんなことを思いながら、なおも、おれは言葉を継いだ。
 ──だから、その、忘れろ、とは言わない。言わないけど、過去のことは過去のこととして、その、もうすこし、今、それにこれからのことに、ちゃんと向き合ってもいいんじゃいかな、きみは……。
 ぽん、ぽん、と、響子の頭に手をのせる。それだけの事を告げるのに、とても労力を使った気がする。こういう役割は、おれの柄ではない。
 おれの長々とした説明を聞きながら、響子は、あっけにとられた顔をして、おれの胸に縦横に走っている幾筋もの縫合痕を指先でたどっていた。
 ──おれが、大学の同期の人たちより何年分か年をくっていたのは、まあ、そういうわけで、バイト先でも一緒だったこともあるけど、そのおれとタメ付き合ってたほとんど唯一の男が良樹で、大学以前でも、どこでも、おれは異分子だったから、良樹ほど仲良く慣れた人間はいなかったし、おれの裸みてなにも言わずに受け入れた初めての女が富美子で……。
 ああ。くそ。こんなに長くしゃべるのは滅多にないことだから、どんどん、話しの内容が支離滅裂になっていく。どう締めようか、誰でもいいから話しを止めるきっかけを作ってくれないかと思い始めたとき、
「先輩」
 と、響子が潤んだ瞳でおれの目をまともに見上げて、いった。
「そうですね。過去は、過去にしないといけないんですよね」
 やれやれ。
 でも、湿っぽいのは苦手だから、泣き出すんじゃないぞ、と心中で祈っていると、案の定、響子は、おれにそっと抱きついて、危惧した通りに静かに嗚咽を漏らしはじめる。だが、まあ、話しの流れから言ったらら、これもしかたがないか……。
 と、響子の肩をあやすように叩きながら、ふと視線を上げたら、富美子が、抱き合っているおれたちを、ビデオカメラで撮影しているのが目に入った。
 ……おれは、そのレンズに無言のまま中指を突き出してみせる。

 本当に、やれやれ、だ。


[つづき]
目次






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