第六章 「血と技」(361)
「……い、いえっ!
何でもないですっ!」
荒野の言葉に反応して、楓が弾かれるように上体を香也から離した。
とはいえ、「密着」の状態からほんの数センチの隙間を空けた状態に移行しただけ、なのだが……。
楓と同時に、香也の身体を挟んで反対側で密着していた孫子も、楓と同様にほんの数センチだけ、香也の身体との間に隙間を空ける。
三人とも、何故か、少し顔を赤くしていた。
……まあ、仲がよい分には、咎める必要もなかろう……と、荒野は判断し、その三人から視線を外して元の話しの続きに戻る。
「まあ……そんなわけで、ひじょーに微妙かつ絶妙な状態の上で、おれたちの現在の生活が、成り立っている訳で……。
だから、さ……」
……なるべく、面倒なことは起こすな。
と、荒野はいつもの「訓示」を強調する。
荒野の認識に立てば、この点は、一族の新参者に、いくら強調しても足りないくらいだった。
「……わーとる、わーとる……」
力の抜けた声でそう応じたのは、イザベラである。
「わしゃ、面白ければそれでええのんでの。
今のここの状況は、そのままでも十分に面白そうじゃ……」
といい、イザベラはちらりと香也、楓、孫子の三人の方に視線を走らせた。
三人は、ついさきほどまでのように一塊になって密着はしていないものの、香也を中心にして微妙な間隔を挟み、至近距離に寄り添っている。
「……現状は、把握しました」
軽く頷きつつ、生真面目な口調で返答したのはホン・ファだ。
すぐに続けて、しみじみとした口調で、
「でも……その……若も、苦労しているのですね……」
といわれてしまい、荒野としては返答に窮してしまったが。
「今まで、あまり詳しいことを聞いてこなかったけど……」
と前置きして、真理が寄り詳細な情報を要求してきた。
今まで楓や荒野、テン、ガク、ノリたちを巡る一連の事物に対して無関心すぎた、という反省があったからだろう……と、荒野は真理の心理を想像する。
真理にしてみれば、楓や孫子、テン、ガク、ノリは、心情的にはすでに「うちの子たち」だ。真理の性格と普段の態度を見ていれば、そう思っていることは容易に想像がつく。その「うちの子たち」が、これから場合によっては危ない目にあうのかも知れない……ということになったら、これは、詳しい事情を知りたがるな、という方が無理というものだ。
荒野にしても、真理には背後の事情までを含めて、真理に知って置いてもらった方がいいと判断し、知っている限りことを詳細に、最初から順序立てて説明しはじめる。むしろ、真理や羽生に対して、今まで、機会をつくってこうした説明をしてこなかったことの方が遅すぎた。不自然、というより、荒野の怠慢のせいでもあったのだろう……と、自嘲も込めて、そう思う。
荒野が茅やテン、ガク、ノリの出自から初めて現在に至るまでの出来事をできるだけ丁寧に、順を追って説明しはじめると、真理と羽生は神妙な顔をして耳を傾けていた。
時折、三島、舎人、現象が荒野の長々しい説明にそれぞれの立場から見た知見を付け加えて、補足する。
聞き役になっていた真理、羽生、イザベラ、ホン・ファたちも、その場に居合わせなかった人間として理解しにくい部分を口にし、荒野により詳細な説明を求めたりした。
その途中で、香也が「お風呂」と一言いい残し、楓と孫子の間から抜け出して席を立つ。楓と孫子は、神妙な、それでいてどこか満足そうな表情で黙って香也の背中を見送っていた。
そうこうするうちに時間は経過し、羽生が持ち込んだアニメ映画のDVDも再生し終わる。
「……それで、荒野君たちや茅ちゃんは……とりあえず、どうしたいの?」
荒野の説明による「現状までの報告」が大方終わったところで、真理がそう尋ねてきた。
「どうしたいのか……といわれれば……とりあえずは、普通に学校に通って普通に卒業したいですね、おれとしては……。
今のところ、それ以上のことは、考えていません」
荒野の口からごく自然にそんな言葉が返される。
口にしてみれば実に慎ましい欲求だが、これまでも一族の関係者に同様のことを答えてきたし、荒野の本音でもあった。
それに、現在の荒野たちを取り巻く状況が、ここまで複雑な様相を見せてくると、不確定な要素が多すぎて、あまり遠い未来のことまで思いをはせても仕方がない、という気もする。
「……そうよねえ……」
と、質問した方の真理も、軽く天井に視線を泳がせる。
真理にしてみても、荒野の性格は、ある程度把握しているので、荒野の返答は予想した範囲内のものだった。
「でも……その、正体不明の悪い子たちの件がなくても……あの、こうしていろいろな人たちがいっぺんに集まってくると……不測の事態も、起こりやすくならない?
大人でも、価値観が違う人たちが狭い場所に集まってくると摩擦が起こり易くなるのに……大半は、うちのこーちゃんと変わらないような子たちなんでしょ?」
そういって真理は、ゆっくりとその場にいた「一族の関係者」たちをゆっくりと見渡し、意外に鋭い意見を述べた。
荒野も、真理の視線を追うようにして、ぐるりとその場に居た一同を見渡した。
「二宮」の舎人。「佐久間」の現象と梢。「野呂」の静流に、シルヴィやホン・ファ、ユイ・リィなどの「姉崎」たち……。
現在同室している人間だけに話しを限定しても、「加納」である荒野自身を含めて、六主家のうち五家の人間が、勢揃いしている。
「うちの人、政情不安定なところぶらぶら歩き回るのが好きだから、自然とそういう話題にも敏感になるんだけど……この町に来た荒野くんの、その、仲間の人たちの間で、摩擦とか衝突とかは起こらないの?」
真理は、即答できない荒野に向けて、そう続けた。
真理のいう「うちの人」つまり、この家の不在の主人である「狩野順也」氏は、確かに政情不安定な土地を放浪する生活を送っていて、ン年前、その土地の反政府ゲリラに拘束されていた順也をその場に拘留されていた人たちと一緒に荒野が解放した、という経緯もある。
荒野にしてみれば、当時の仕事を遂行するついでに行きがけの駄賃としてちょっと手を出してみた、というところだが、順也は手紙でことの次第を詳細に真理に伝えていたらしく……真理は、荒野がこの家に顔を見せた当初から、荒野のことを漠然と知っていた。
荒野が真理から見せて貰った手紙の中には、荒野の特徴を良く捉えた似顔絵も添えられていた。
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つづき]
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