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髪長姫は最後に笑う。第三章(16)

第三章 「茅と荒野」(16)

『跳べば、それだけ軌道を読みやすいというのに!』
 跳躍した野呂良太に、楓は、六角をまとめて帯状に固定していた紐を緩め、一挙に、投擲する。大量の六角は、段幕となって、空中の野呂良太の身に迫る。
 野呂は、それを予測していた。左手のグローブから、強靱なフィラメントを射出。フィラメントの先端についているアンカーを振り回し、回転しつつ飛来する六角に、当てる。横合いから回転する方向に余分な力を加えられた六角は軌道を反らし、ちょうどビリヤードの玉のように次々と連鎖的に隣接する六角も巻き込んで、周囲に拡散していく。
 結果、六角の段幕の中央にぽっかりと隙間が出来る。
 その、ドーナツ状の中心の、空白部分を、野呂良太は悠然とくぐり抜け、松島楓のすぐ横を通過し、去っていく。
「なかななか楽しかったぜ、お嬢ちゃん」
 楓の脇をすり抜ける際、野呂良太は、そう囁いた。
 優れた動体視力と反射神経を持つ野呂の者の中でも、ごくごく一部の者だけにゆるされる芸当だった。

 一瞬、呆気にとられた楓が振り返った時、野呂良太は、すでに数十メートルの距離を稼いでいた。

「困るなあ、ノラさん……」
 ひた走る野呂良太の耳に、意外なほど近くから、加納荒野の声がした。みると、野呂良太の全力に近い走りに、平然とした顔をして、加納荒野が併走している。
「……戦う気はない、っていいながら、思わせぶりなこといって、大げさな逃げ方するから、なんかみんなやる気になっちゃってるじゃないか……」
 荒野が苦笑いをする、気配がした。
 どうやら、荒野だけは、野呂の「戦意はない」という発言を信じているらしい。少なくとも、表面上は。
「……そんなこという暇あったら、お前の仲間たち止めろってーの!」
 野呂は、怒鳴るようにいう。かなり、自暴自棄な気分になっている。

 野呂にしてみれば、現在の状況は、
『……ちょいと様子見、のつもりで出向いた先で、気がつけば、いつの間にか、敵対する必要もない相手から、追いつめられている……』
 という状態なわけで……このような醜態を晒すことは、野呂良太にしたら、不本意もいいところだ。

「……おれはなぁ、お前一人が相手だったら、完全に逃げ切ってたぞ! 聞いてねーぞ! 荒野! お前に、こんなに仲間がいたなんて!」
 喚きながらも、速度を緩めるつもりはないらしい。完全に荒野を信用しきっているわけではないようだ。
 かなり蛇行しているとはいえ、マンションから、もう五キロ以上は離れたはずだ。 少なくとも、ライフルの射程外には出ているはずだったが……。
「……仲間……仲間……。
 仲間、ねぇ……あいつら、おれの仲間ってことになるのかなぁ……」
 野呂と併走しながら、荒野は腕を組んで考え込むふりをする。野呂の全力に近い走りについてきながら、随分余裕があるやつだな、と、野呂良太は思った。
『……可愛げのないガキだ……』
 と。
「だから、考えるのは後にしろって! まずは、やつら止めてくれって!」
「いや、仲間かどうかいまいち自信がないし、止めても聞く連中かどうかわかんないけど……」
 荒野は、そういって背後に声をかけた。
「……と、いうことだからさ、楓。
 とどめを刺すのは、やめておいてくれないか?」
 慌てて振り返ると、いつの間にか、メイド服が野呂の背後を取っていた。
 ……気配を気取られないまま背後を取られる、ということは、楓は、いつでも野呂良太に致命傷を与えられた、ということであり……野呂良太は、その時まで楓の存在を全く感知できなかったので、知らないうちに背後を取られていたことを知って、ギョッとし、次いで、戦慄を憶えた……。
『……まったく、なんてぇガキどもだ……』
 実は楓は、先ほどの段幕で手持ちの得物を使い果たし、追いついたはいいが、それから手のうちようがなくて途方にくれていたところだった。
 また、荒野のほうも、そうした楓側の事情をだいたいの所は、察知していたのだが……わざわざ、そのことを野呂良太に明かす必要性は、どこにも、なかった。
 そのおかげで、『荒野が、野呂に気づかれないように、今まで背後のメイド服を制していた』のだろう……と、野呂良太は、勝手に勘違いしている。
「……攻撃を止めるのは、いいんですけどぉ……」
 楓はすぐに足を止めて、いった。
「……それよりも先に、帽子の人も、足を止めたほうが、いいと思います……」
『……なに?』
 と、野呂が、楓の言動を、いぶかしく思う間もなく……。
「……おごぉわぁっ!」
 なにか、強靱なものに足をとられた野呂良太は、奇妙な声をあげ、派手にすっころんだ。

「本当にこっちのほうでいいのか、茅ちゃん!」
「大丈夫なの。いい具合にみんなが足止めしてくれたの。もう、追い越しているの」
 羽生譲の乗るスーパーカブの後部座席には、茅が乗っている。
 茅は、上のほうを向き、あちこちめぐるましく視線を走らせながら、羽生譲を誘導した。
「先回り、できたの」
 マンションから五キロほど離れた住宅街の真ん中の、何の変哲もない十字路にスーパー・カブを停めて、降りた。
「……たぶん、少し先で合流して……このあたりに、でてくる筈なの……」
 そういって、マンションの植え込みに落ちていた奇妙な形のグローブ(?)を自分の右手に填めて、手のひらを上に向けて、左手で、手首のあたりをごそごそ触る。
「ぶしゅう。」
 という、どこか間の抜けた音が、グローブから、した。
「……えっとぉ……」
「今、糸……とても細くて強い糸を、この手袋からだしたの」
 羽生譲は、こわごわと、右手を捧げ持っている茅の、腕の先を、まさぐろうとする。
「気をつけて。細すぎるから、素手で触ると、指が切れることがあるの」
 そういわれて、手にマフラーをからめ、恐る恐る触ってみる。
 確かに、細長い糸状のものが、茅の腕の先から電柱の天辺あたりまで、ピン、と張っているのを……マフラー越しに、感じた。
 糸が細すぎて、目では確認できなかったが……。
「……おぅ……すぱいだーまん……」
 納得した羽生譲は、間の抜けた声をだした。
「これから、ここに人がひっかかるの」

 で、野呂良太は、先回りしていた茅のトラップに、見事に引っかかった。
「……おごぉわぁっ!」
 奇声を発し、元はといえば自分のギミックであったグローブを使って張られたフィラメントに足をとられ、それまでの俊敏な身のこなしが嘘のような、無様な恰好で、それはもー、見事なまでに、ど派手に、すっころんだ。
 グローブを外し、手で持っていた茅は、「アタリ」がきた、と、感じた瞬間、ぱっと手を放した。
 グローブは、「すっ飛んで」いく野呂良太に引きずられて、びゅん、と音をたてて飛んでいき、フィラメントをぐるぐと野呂良太の足首に絡みつけた。

 全力に近い速度で走っていた野呂良太の体が、足をとられたからといって、慣性の全てを消失できるはずもなく……野呂の体は、足首の辺りにフィラメントを複雑に絡ませたまま、十メートル以上も、すっ飛んでいく。

「……本当に、ひっかかってやんの……ドリフのコントか、これは……」
 くわえ煙草の羽生譲が、目を点にしながら、呆然と呟いた。
 傍らの茅に視線を落とすと、羽生譲に向かってVサインを作ってくれた。
「……ま、いいけど……おーい。帽子のおっさん! 生きてるかー!」
 帽子のおっさん……野呂良太は、最終的には、元はといえば自分のものだったギミックに足首を縛められた形で、電信柱の上のほうから、だらーん、と、逆さ吊りなってしまった。
 もちろん、こうなってしまっては、思うように身動きも出来ない。
「……一応……」
 不機嫌さを隠しもせず、野呂良太は、うっそりと答えた。
「どうする? ノラさん。まだ逃げてみせる?」
 どこか上のほうから降りてきた荒野が、逆さ吊りになったままの「ノラさん」とやらに、いった。
「……だから、足を止めた方がいい、っていったのに……」
 メイド服姿の松島楓も、降りてくる。
「……おれはなぁ……今、この拘束を解いてもらうよう懇願するのが先か、それとも一服して気分を落ち着けるのが先か、という難問に、取り組んでいる真っ最中なんだよぉ……」
「……あ。そ。じゃあ、ノラさん。その難問の結論が出るまで、一晩でも、そこで考えこんでなよ……。
 さあ、みんな、帰ってメシにしよう。茅、最近料理の腕をめきめきあげてきてさぁ……」
「……わー! ちょっと待った! 荒野! 本気で見捨ててるんじゃねえ!」

「……で、結局、拾ってきたってか……」
 マンションの、荒野たちの部屋に来ていた三島百合香出迎えた。その部屋には、別に、もう二人の人間がいて……。
「……あ、あのぉ……もう、そろそろ……」
「駄目! まだ動かない!」
 ベランダで、ライフルを構えたままの恰好で、狩野香也に身動きを禁じられている、才賀孫子がいた。狩野香也は、才賀孫子の姿を、必死になってスケッチしている。
 どうやら、絵に関することになると、狩野香也は、押しが強くなるようだった。

[つづき]
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