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今は亡き友の妻 (4)
「たったの九十七日なんですよ」
少し前の思い出に浸りはじめたおれをよそに、響子はしゃべりはじめる。
「あの人が、この家に泊まったの。いつも仕事仕事で、あちこち飛び回ってて。そういう人だとはわかっていましたけれど、でも、わたし、いつも待っていたんです。待ちながら、この広い家を隅から隅までお掃除して、お洗濯して。お食事も、いつ急に帰ってきてもいいように、少し余分におかずを作って、それが痛む前に自分で食べて……。
そんな生活を、何年も続けて、そうしたらある日、突然、あの人が事故にあった、っていう電話が来て……なんか、いまだに全然実感が湧かなくて、今夜にも何気ない顔をしてあの人が『ただいま』って帰ってくるんじゃないかという気がして、習慣だからやっぱりいまだにおかずは余分に作っていて、自分でそれを食べて、そういう生活を続けていたら、フミ先輩がそいうのは良くないって……。
ええ。いいんですよもう。あの人はどこにもいないんですから。誰に抱かれても。先輩も、まるっきり知らない人でもないし、嫌いな人でもないですし。あの人以外の男には、そんなに差はありませんし、誰かに抱かれるとしたら、先輩で悪い理由はどこにもありませんし……」
響子は、おれのことは「先輩」、冨美子のことは「フミ先輩」と呼ぶ。
長々とした響子の独白を聞いていたおれは、一旦手で響子の言葉をさえぎり、一服していいかと確認した後、煙草と携帯用の灰皿を取り出し、火をつけて、深々と紫煙を吸い込み、天井にはき出した。響子も良樹も煙草を吸わなかったので、この家庭に灰皿はない。
横目で冨美子を一瞥し、少し強い調子で、
「こういうことか」
と、短く問いただした。
「だから最初にいったじゃない。こういう引きこもり方を続けているのは、良くないって」
冨美子は、答える。
その点に関しては、同感。
つまり、響子の中では、良樹は、まだ完全に死んでいないのだ。
「協力してくれるでしょ?」
冨美子の問いは、形だけのもので、ほとんど命令に近い。自慢ではないが、おれが冨美子のいうことに逆うことができなのは、数えるほどしかない。おれたちカップルの間には、頭脳労働は冨美子、肉体労働はおれ、考えるのは冨美子、それを実行に移すのおれ、という不名誉かつ理不尽かる明確な分業体制が、いつしか強固に築かれていた。ほとんど習慣、というか、すっかり尻に敷かれている、というか……。
なぜセックスなのか、と、聞き返せば、
「男は良樹だけではない、ってことを分からせる、一番手っ取り早い方法でしょ」
……うむむ。
「頭で納得できないのなら、身体に分からせるしかないの。良樹はいい人だったけど、もうどこにもいないわけだし、さして好きではない男でも、抱かれれば感じることもあるし、昔の思い出におぼれて暮らし続けるよりも面白いことは、世の中にはまだまだいっぱいあるし……。
それとも、響子をいかせる自信、ない?」
冨美子は、実にわざとらしくおれを挑発してみせる。
「……そういやあんた、最近なに気に勃ちが悪いもんね……」
わざわざこの場でそういうことバラすかな、普通。
[
つづく]
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