第五話 混戦! 乱戦! バレンタイン!!(250)
「……香也様……」
孫子が香也を抱きよせると、香也は体を硬くした。
「そんなに……悩まないで下さい。
誘ったわたくしが、惨めになります……」
香也に孫子を拒否したり傷つけたりするつもりがない、ということは、孫子も理解している。香也は、ただ……これまで、他人と触れあう機会をあまり作ってこなかったため、目の前の人とどう接していいのか分からなくなるだけだ。
仮に、香也が、自分の欲望を無条件に肯定し、何の疑問も抱かずに複数の女性と関係を持つような男だったら、孫子も、ここまで惹かれてはいないだろう。香也の中には……今まで「他人」が、いなかった。ごく最近になって、ようやく、不特定多数の人間と、本格的に関わりを持ちはじめた。
『未熟で……面倒な、人だな……』
と、孫子は、自分の腕の中で細かく震える香也のことを、そう思う。同時に、自分や楓は、香也に対する時、性急にすぎるのだ……とも、思うのだが……孫子にしてみれば、だからといって、これだけ競争相手がいる現状の中で、香也が成熟するのをじっくりと待つだけ、という選択しも、ありえないのだった。
何故なら……香也との距離、ということでいえば、すでに楓が、一歩リードしている。
かといって、急ぎすぎて、香也を壊してしまっては、元も子もない……ということは、孫子も理解している。
だから……。
「わたくし…香也様の、背中が好きです。絵を描いている時の、背中が……」
香也の体を抱きしめながら、孫子が囁く。
「……こうしたのは、わたくしの意志です。仮に一時の衝動だとしても……香也様に抱いてもらって、わたくしは嬉しいです。
それに……わたくしは、香也様に、自分自身を嫌ってほしくありません……」
それは、大部分、孫子の本音でもあったが……多少は、香也を慰撫すための方便も混ざっている。
孫子が、香也をむやみに傷つけたいと思っていないのは本当だが、こうして少しずつ、香也との心理的な距離を詰めていこう、という計算も、多少はある。
香也の震えが収まったのをみて、孫子は、つけくわえた。
「今回のは……その……わたくしが、無理に誘ったようなものですから……あまり、ご自分を責めないで下さい。
それとも、その……わたくしの体、あまり気持ちよくありませんしてたか?
若い男性なら、時に女性が欲しくなるのは当然ですし……わたくしは、そんなことでも、香也様のお役に立ちたいのです。今のわたくしには、こんなことくらいしか、香也様のお役に立てませんが……」
今回は、孫子が色仕掛けで香也をその気にさせた……
ということを強調して香也の罪悪感を軽減し、最後に、「今後も、香也さえ希望すれば、いつでも関係を持つ意志がある」ということを匂わせる。
もちろん、孫子とて、本当の意味で相思相愛になることを一番望んでいる。今の香也をみていると、一気にそこまでいくのは無理だろう……とも思うで、孫子は、そうして段階を踏んで、徐々に香也との絆を深めていくつもりだった。
孫子は、両手で、香也の顔をはさみ、まともに目を合わせる。
「……それとも……わたくしが、香也様を想うことは……ご迷惑でしょうか?
わたくし……そんなに、女性としての魅力がありませんか?」
まともにそう問われ、香也は、
「……んー……」
と、唸る。
ようやく、少しはいつもの調子が戻ってきたようだった。
「……そんなこと、ない。
その……魅力がるから、かえって問題なわけで……」
孫子に顔をがっしりと固定され、目を逸らすこともできないまま、香也は、しどろもどろに答えた。
「……あ、あの……。
できれば……その、もう少し……ゆっくり、待って欲しい……」
孫子は、その香也の表情をみて……脈は、ある……と、判断する。
つきあいが長い楓の方がリードしているのは確かだが、二人の関係は、思った通り、まだ盤石のものではない。
孫子は、再び香也の体を抱きしめた。
「わたくし……本当に、香也様のことが……好きなんですのよ……」
いいながら、孫子は、自分の頬がかっと熱くなるのを感じる。
こんなこと……まともに香也の目を見ながら……なんて、いえるわけがない。
「だから……その、こ、これのお世話だけでも……香也様の為なら、わたくしは、喜んでやります……」
そういって、孫子は、手を下に延ばして再び硬さをとりもどしはじめた、香也自身を握る。
「それが香也様のお望みなら……それだけの関係でも我慢しますが……わたくしの希望としては、いつの日か、香也様と、身も心も結ばれたいと思っています……」
孫子ははっきりとそういうと、「他の方に見つかる前に……」といいながら、脱ぎ捨てたパジャマを素早く身につけ、廊下にでていった。
取り残された香也は、ぶるっと身震いした後、全裸のまま布団をひっかぶって目を閉じた。
今は、いろいろな想念が頭の中をめぐるましくかけめっぐり混乱しきっていて、実質的には、何も考えられないような状態だ。
一眠りしてから、またゆっくりと考えよう……と、香也は思った。
同時刻。
「……はぁ……この寒いのに……。
お子様たちは、元気だわ……」
荒野たちが住んでいるマンションの屋上にいる人影が、町中を転々と移動して「拡大版」雪合戦に勤しんでいる楓たちの姿を見下ろして、感心したような呆れたような声をあげる。
「……二人組の方が……片方が斥候役、もう片方が砲台役に分かれて、遠距離射撃戦をはじめたな。
携帯かなんかで連絡とりあっているらしい……。
うわぁっ。
あの子、五百メートル以上、狙えるんじゃないか……。
肩がいい、っていうより、力だけはなく、筋肉もしなやかなんだぁ……あれは……。
あ。でも、新種二人より、あの雑種の方が上手だわ……。
斥候役放置して、砲台役の背後にまわった。
砲台役、接近に気づかずモロ被弾……。
あー。あー。真っ白になっちゃって……って、あの雑種ちゃんも……瞬発力だけではないな……体力と臨機応変な判断力、それにあれだけの距離、気配を隠したまま完走する用心深さ……。
やっぱ、荒神さん、見る目があるわぁ……」
もう人影の片割れが、眼下の光景を、実況中継風に語る。
荒野たちが住んでいるマンションは、防犯上の理由で屋上を締め切っている。つまり、早朝のこの時間、こんな場所で立ち話をしている二人は、不法侵入者、ということになる。
「……やっぱ、一見の価値、あったわ……あの雑種ちゃんだけでも……って、おい!
どこに行くっ!」
「……あの子たちと、ちょっと遊んでくるぅー!」
「……って……本当に、行っちまいやがんの……。
まずは加納の若に挨拶してからって……っていってたのに……あいつも、しかたねーなぁー……」
一人取り残された男は、そうぼやいて顎を撫でた。
[
つづき]
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