第六章 「血と技」(171)
そこまで全速力で走ってきた茅は、しばらく酸素を体内に取り込むのに忙しく、しゃべることができなかった。
自分の心音が、うるさいくらいに聞こえる。体中の細胞が、不足した酸素を求めて脈動している。
腿の上に手を置いて中腰になりながら、ぜはぜはと忙しなく呼吸しつつ河川敷で行われている出来事を、しっかりとみつめる。
白いダウンジャケットを脱ぎ捨てた鎖帷子の女性、小埜澪が優勢に見えたのは、最初のうちだけだった。
何発かの六角を楓に投げつけたが、それらはことごとく弾かれる。その後、何故か、小埜澪はしばらく動きを止め、楓の出方を伺った。
対する楓は、六角を弾いたまま、くないを握った手を前に出して構えるだけで、自分からは動かない。
いや、自分からは動けないのだ……と、茅はすぐに気づく。雪の上に残った、楓の足跡が、予想以上に浅い。今の楓は、ほんの申し訳程度しか、武器を持っていないのだ……と、茅は悟った。
自分の窮地を悟られないように、表情を引き締めているが……今の楓の中では、ここまで無防備であった自分を、叱責しまくっているに違いない……と、楓の性格を知る茅は、予想する。
そして、小埜澪の方は……怪訝な表情をしながらも、楓の出方を、わざわざ待っている。
甘いな……と、楓は思う。
小埜澪は、「強さ」を見極めようとすることに拘泥するあまり、「勝負」への執着が、緩くなっている。
楓が動かないなら動かないで……出方を待つよりも、もっと積極的に攻撃して、楓の疲弊を誘うべきなのに……と、茅は思う。
以前、荒野に刺客がくる可能性を指摘されても、ほとんど武装せずに出歩く楓と同じくらいに、甘い……と、小埜澪のことを、茅はそう、評価する。
完全武装をしていても……相手の出方を待つ、などという真似をして、楓に気持ちを落ち着かせる機会を与える、というのは……相手を潰す機会を与えられながらそれを生かさない、ということで……茅には、アマチュアのじみた発想に思えた。
公正なルールの上で戦うスポーツマンなら、賞賛すべき精神なのかも知れないが……一族は、どう間違っても、そうした存在ではありえない。
楓の方から動くことはなさそうだ……と思ったのか、小埜澪が、動いた。
楓に向かって六角を立て続けに投げつけながら、拳と蹴りを繰り出す。いささかの淀みもない流れるような動作で、楓でなければ、ひとたまりもなかったろう……と、それぞれの攻撃に込められたエネルギー量を瞬時に計測した茅は、そう断定した。
六角、拳、蹴り……そのどれもが、一発でもまともに命中すれば、致命傷になるだけの力を秘めている。「当代の二宮、第三位」という名乗りは、決して誇張ではないのだろう……と、茅にも納得ができる、見事な攻撃だった。
だが、それも……攻撃が、当たれば……ということが、前提の話しだ。
小埜澪の攻撃は、楓には通用しない。
何故なら、楓は……普段から、それ以上の攻撃に晒されている。だから、最小限の動きと力で、すべての攻撃を、いなした。
そして、小埜澪の手足をかい潜り、くないを握りしめたままの拳を、小埜澪の水月に叩き込む。
カウンター、になった。
それも、常人離れした小埜澪の、全力の攻撃がそのまま一点に集約されて、跳ね返された形だ。
小埜澪を迎えうった楓は、しっかりと両足で大地を踏みしめて、小埜澪の体を弾き返す。
一瞬、制止した後、小埜澪の体は、軽々と宙に飛んだ。
茅には……小埜澪のメンタリティが、多少は想像ができた。
先天的に……一般人はもとより、大抵の一族の者をも圧倒する身体能力を持っていた小埜澪は……おそらく、「自分を恐れる者」の存在には慣れていても、「自分を恐れずに立ち向かってくる者がある」とは……まるで、想像できなかったのだろう。
楓にしてみれば……能力的にも武装においても劣る現状で、こんな博打じみたやりよう以外に選択肢がなかったから、実行したにすぎない。
だが……楓以外に、いったい誰が、「二宮の上位者」に対して、自爆覚悟のカウンター狙いなど行えるというのか……。
小埜澪は、もんどりうって雪上で大の字になって伸びたまま、ぴくりとも動かなかった。
「……長老の秘蔵子。最強の二番弟子。そして、加納の若の子飼い……」
誰もが絶句する中、東雲目白の飄々とした声が聞こえる。
「噂以上の代物ですな、あの子は……。
恐れを知らないが、畏れは知っている……。
あれが最強の弟子のクオリティなら……うちのお嬢じゃあ、明らかに役者が不足というもので……まあ、再三の弟子入りの申し入れを断られるのも、よく理解できますわ……」
東雲目白は頭をかきながらそんなことをいい、途中で小埜澪が脱ぎ捨てた白いダウンジャケットを拾い上げ、ついで、気を失っている小埜澪の上体を起こし、その肩に拾い上げたダウンジャケットをかける。
「ま。
ごく少数の例外を除いて、向かうところ敵なしって状態だったから……うちのお嬢にも、いい薬でしょう……。
これで、火遊びをする癖がいくらかでも収まってくれると、わたしとしても楽ができるんですけどねぇ……」
そして、小埜澪の体を、軽々と抱き上げる。
「お嬢がこんなに、完膚無きまでにやられるのも……子供の時分、以来だなあ……」
「……おじさん、おじさん……」
そんな東雲目白に、ガクが声をかける。
「おじさんって……そりゃ、君たちよりは年寄りだけどさぁ……」
東雲は、そんなことをぶちぶちいいはじめる。
「そんなことより、おじさん。
そんなおねーさん抱えて、どこか行くところあるの? こんな朝早くに?」
「……いや……正直、始発で着いたばかりで、お嬢があんなんおっぱじめちゃったし……」
「やっぱり……。
ここいらへん、今の時間に開いている所って、二十四時間営業のコンビニかファミレスくらいしかないよ……」
ガクが、そんなことを言いだした。
「行く当てがないんなら……とりあえず、家に来たら?
ご飯とお風呂くらいなら、用意できると思うし……」
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つづき]
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