第五話 混戦! 乱戦! バレンタイン!!(273)
「……わっ!」
小埜澪が声をだしたことで、ようやく香也も、背後に近寄っていた小埜澪の存在に気づいた。
「……やっ……あっ……あっ……」
ぎょっとした表情をした香也は、情けない声を出して、自分のスケッチブックの上に覆い被さり、小埜澪の視界から自分の絵を隠そうとする。
普通の絵なら、別に他人に見られても構わないのだが……今描いている絵は……内容が、内容だ。
もちろん、一般人で、普段運動らしい運動をしたことがない香也よりも、自称「二宮の第三位」である小埜澪の動きの方が、よっぽど速い。
「なに……別に、隠さなくてもいいじゃん……」
香也が自分の体でスケッチブックを隠すよりも早く、小埜澪は、ひょい、と手をひらめかせ、スケッチブックを取り上げる。
「……おお……うまいじゃん。別に隠すことないじゃん……。
いや……あっ……やっぱ、これは……やっている時のアングルだよなあ……この下の方……このあたりで、繋がっている感じで……これって、君のズリネタ用に……って、わけは、ないか。
あんだけ選り取りみどりなんだから、今さら自家発電する必要もないだろうしなぁ……」
そういう間にも、小埜澪の手から香也はスケッチブックを取り戻そうともがいているのだが、小埜澪は自分の体を盾にして、スケッチブックを香也から遠ざける。遠ざけつつ、じっくりと内容を見る。
「……いや……うまいもんだなぁ……。
それに、裸で、やっている時の絵なんだろうけど……なんか……うん。
全然……いやらしく、ないし……」
最初のうちはスケッチブックを取り返そうと手を伸ばしてきた香也を手で押しのけていた小埜澪だったが、香也がなかなかあきらめないので、しまいにはサンダルを脱いで、片足で香也の胸あたりを押し戻して、香也の手を避けるようになった。小埜澪は、香也よりも背が低い。従って、腕の長さも香也よりは、短い。だから、そうでもしなければ、あっという間に香也がスケッチブックを取り戻してしまう。
「……いや……これ……うまいよ、やっぱり……。
君……その年齢でここまで……えっと、今、何歳だったけ?
ああ……でも……これは……。
ここまで描けるようになるには……随分、時間がかかったろう……」
最初、興味本位で香也の絵を見ていた小埜澪は、次第に真剣に見入ってくる。
「……わたしも、その……長年、一つの技術を究めようと苦労してきたクチだから、ある程度想像できるけど……。
その年で、ここまで描けるようになるまでは……。
君。
相当なモノを、犠牲にして来たろう?」
そう尋ねた時、小埜澪は意外に真面目な顔をしていた。
『……この格好で、そんなこといわれてもな……』
と、香也は思った。
この時のl小埜澪は、片足立ちになって体を水平方向に倒した、新体操のようなポーズをとっていることになる。第一、サンダルを脱いで素足になった片足で、香也の胸板を押し、スケッチブックから遠ざけているのである。
「……すいませ-ん。
母屋で誰も出てこなかったんで、お嬢、ひょっとして、こっちに来て……」
その時、スポーツウェアという極めてラフな格好をした東雲目白が、プレハブの中に入ってきた。
「……やっぱ、こっちでしたか……。
って、お嬢。
一体、なにやってんですか? こんな所で……」
その時の東雲も目は、若干うつろだった。
「……ってなわけで……」
三人は母屋に入り、小埜澪が香也の分の昼食を用意した。
小埜澪と東雲目白は、遠慮しているわけではないが、「腹が減っていない」とかで、お茶だけを啜っている。
香也はいつもの通りで、朝食後、プレハブに籠もって絵を描いていただけだし、小埜澪の方も、家事をしていただけだから、話すべきことは少なく、自然と、二人して東雲の体験談を聞く感じになる。
「あの姫様……大人しそうな感じなのに、実際はそんなんか……」
校庭で、東雲がいいように弄られた話しを聞き終えた小埜澪は、素直に感心している。
「何にもしなければ、大人しいままなんでしょうが……」
東雲は、ひっそりとため息をついた。
「あんな……見よう見真似で佐久間の技を盗んでいる、なんてことが知られたら……」
「……佐久間本家の方が、黙っていないってか?
でも、もう知っているんじゃないのか? 本家は?
この前、長があの子たちに会っているって話しだし……」
二宮第三位、ということだけあって、小埜澪の耳には、そういう話しも、それなりに入ってきてくる。
「知っていて……下の方には、それを伝えていないってことか……」
東雲は、少し考えこむ表情になる。
「若とか最強の弟子は別格にしても……あの姫は、予想以上のタマだったなぁ……。
あの分だと、新種たちもまだまだ隠し球、持っていてもおかしくないし……。
ああいうの放置しておく上の方も、一体、何考えているんだか……」
後半は、ぼやきになった。
「……おそらく、ここらで静かに暮らして貰いたい、と思っているんだよ……」
小埜澪は、そういった。
「彼女ら、生まれが生まれだから……その、上の方にしてみれば、負い目、っていうのもあるんじゃないか?」
「そりゃあ……分からないことも、ないですがね……」
東雲は、首を振る。
「でも……あれだけの精鋭が、鍛えられることも、仕事に就くこともなく、こんな場所で飼い殺しにされている……って、考えると……
その、損失の度合いっていうか、もったいないっていうか……」
小埜澪は、頷いた。
あの子たちは、今の時点でも、あれほどの能力を持っている。鍛え方によっては、さらに上ににも行けるだろう。
東雲の考え方は、ある意味では、一族の平均的な感想に近い、とも、思う。
「でも……わたしは、なんか、長老たちが、彼女たちのことをそっとしておいているの、分かるような気がするよ……」
小埜澪は、一人、頷いている。
おそらく……可能ならば、一族とは無関係の一般人として、育って欲しい……と、上層部はそう思っているのではないか……と、小埜澪は思った。
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つづき]
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