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彼女はくノ一! 第五話(279)

第五話 混戦! 乱戦! バレンタイン!!(279)

「わしほどになればな、経絡を自在にずらすことなど、造作もないのだよ、小娘ども……」
 ミスターRがそういってからからと哄笑すると、はじめ、愕然とした表情をした酒見姉妹は、すぐに憤怒の形相に変わった。
 ミスターRは、姉妹の感情の変化に気づきながら、素知らぬ顔で姉妹の背後をまさぐる。全体に脂肪がうすくて、すぐに指先が骨にあたってしまう。
 皮肉な意味も含めていっているのはもちろんだが、野呂の長として、姉妹の危なっかしさを指摘しておいた方がいい、とも、思う。この双子も、半分は野呂なのだ。成長への足がかりになる、ヒントくらいは与えておいてもいいだろう。
 策を弄すること事態は、いい。
 しかし、姉妹のやり方は、成功した時の効果ばかりに目を奪われて、リスクを回避する工夫とか、失敗した時の対策がおろそかになっている。
 自身の実力を過信する傾向があり、いざという時の為の保険を、まるで用意しない。
 優秀な人材が常時、バックアップに入れるようなら、いいのだが……そうそう、条件の良い仕事ばかりが割り振られるとは限らないのだ。
 これでは、このままでいけば早晩、この双子は、かなり高い確率で、殉職の憂き目にあうことだろう。
 早いうちに、姉妹の短慮さを矯正しておかないと、いずれ、命にかかわる……と、野呂の長としてのミスターRは、考える。
 そこで、ことさらにいやらしい口調を作って、
「こっちは……二人合わせて八十五点、といったところかのぉ……。
 ちと筋張っていて、いささか触り甲斐がない。
 ま、将来に期待、といったところかの……」
 ミスターRは、にこやかに、そう、評言した。
 例えば、この姉妹の母親などは、ありゃ、いい女だった……二宮の男なぞを選んだのが、不運といえば不運だったが……。
 だから、この姉妹も、まだまだ、将来性はあると思うのだが……。

 次の瞬間、ミスターRは、自分の頭部に向かって飛来する物体を関知する。視界に小さな影が入ったのと、それと、周囲の気流の乱れを肌で感じた……と、いうことなのだが。
 野呂の者の中に、時折五感が鋭敏な者が生まれてくることは、よく知られているが、ミスターRも、その例外ではなかった。
 その影が、弾丸らしい……と察したミスターRは、喉の奥に常時仕込んであるピーナッツ大の鉛の粒を、喉の筋肉を収縮させて口内に送り出す。同時に、鼻腔から大量の大気を吸い込み、圧縮しながら肺に溜める。
 標的が分厚い装甲に覆われているのならともかく、弾道を逸らす程度なら、っそんなに大量の空気は必要ない。瞬時、といってもいいくらいの、ごく短い時間で、必要な量の空気を吸い込み……そして、鉛の粒を吹き出すために、一気に放出した。
 これだけの判断と動作とを、ミスターRは、一秒の数十分の一という僅かな時間で、完遂させている。これまでに何度も似たような経験をしてきたので、体が対処法を覚えている、というのもあるし、野呂の長、すなわち精髄、ということは、常人離れした「速さ」を持つ、ということと同義であもある。
 野呂の長でもあるミスターRは、野呂のエッセンスが凝縮された存在でもあった。
「ふぉっ。ふぉっ。ふぉおぅ……。
 誰かと思えば、さっきの九十八点ちゃんじゃないかぁ!」
 弾丸を放った者の姿を確認しようとして、ミスターRは、ライフルを構えてどう目している孫子の姿を見いだす。
 ゆっくりと足を踏み出しながら、芝居がかった口調で話しかけた。
「わざわざ挨拶に来てくれるとは……おじいちゃんは嬉しいぞぉ!」
 ステージから飛び降りようとして、異変に気付く。
 ステージ前に密集していた人々が、ゆっくりと倒れはじめている。
 とはいえ、昏倒する時のように、いきなり意識が途切れるわけでもなく、ゆっくりと膝の力がぬけて、その場でうずくまり、目を閉じて動かなくなる……という感じだった。いきなりしゃがみ込んだ者の体を、周囲の者が支えとするその動作の途中で、やはりゆっくりと、助けようとした者と一緒に、折り重なって地べたに寝そべっていく……という光景が、眼下で展開している。
 薬物、か……と、ミスターRは思った。
 そういえば、才賀の小娘とこの地に派遣された姉崎とは、頻繁に接触している……という報告もあったな、と、ミスターRは思い出す。
 姉崎は優秀な毒使いでもあったから、そのような薬剤を孫子がもっていても、不思議ではないか……と、ミスターRも納得した。
 ミスターRは弾道を逸らすために喉に仕込んだ鉛粒を飛ばした。通常の弾丸なら激突した拍子に行き先を逸らすだけ……の、筈だったが……薬剤を収めた特殊なカプセル弾であったため、外装が破砕され、中身が散布された……ということ、なのだろう……。
 一度は足を止め様子を伺っていたミスターRだったが、一瞥して、実際に倒れている人数が十名以下、と、意外に少ないことに気づいた。
 薬剤の効果が狭い範囲内に収まっていることを確認すると、ミスターRは左右に酒見姉妹をぶら下げたまま、動揺している人々の合間を縫って数度、跳躍し、孫子の元へと向かう。
「……せっかく会いに来てくれたんじゃっ!
 この二人とともども、たっぷりと愛でてやろうぞっ!」
 アーケードの入り口まで跳躍し、そのまま一足に飛び上がる。
 その背後から、何もかが投擲武器を投じてきたのを、ミスターRは寸前のところで感知し、あやういところで体を捻ってかわす。そのおかげで、孫子がいるアーケード上までは、行き損ねたが……。
「……何奴っ!」
「……ちょっと、待ったぁっ!」
 邪魔をした者の顔をみようとミスターRが振り返るのと、行く手を遮った者が叫んだのは、ほとんど同時だった。
「……けっ!
 誰かと思えば、二宮んところの庶子じゃねーか……。
 お前さんも一緒に可愛がって欲しいってか?」
「うるせーこの歩く迷惑エロじじいっ! 一族の恥さらしっ!」
 ダウンジャケットを脱ぎ捨て、鎖帷子を露わにした小埜澪が、仁王立ちになっていた。
「……東雲っ! そっちは任せたっ!」
「……へいへい……。
 ごたごたの後始末には、慣れていますもんで……」
 スポーツウェア姿の東雲が、やる気がなさそうに返答をする。
「っていうわけだ、そこの眼鏡っ娘。
 介抱とか記憶操作は、出血大サービスでおれがやってやるから、君は君にしかやれないことをやりなさい……。
 これから、ね……。
 率直にいって、たいした見物になると思うよ……。
 なにせ……」
 東雲は、口の片端をきゅっ、とつり上げて、アーケードの上を指さす。
「……六主家の本家筋同士が戦う、なんてことは……滅多にないガードなんだから……」
 見逃すと、後悔するよ……と、東雲は続ける。
 東雲が指さした先である、アーケードの上には……孫子を背後に守るようにして、白い杖を構えた野呂静流が立っている。




[つづき]
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