第六章 「血と技」(206)
そうこうするうちに酒見姉妹や楓たちも駆けつけ、三島が車で乗り付けた。三島の車に手早く荷物を放り込み、車だけ先に行かせて、全員でだらだらと歩いていく。
テンと堺は、相変わらずパソコンだとかプログラムのことを話している。ガクは一人だけ重そうな荷物を抱え、楓はテンや飯島舞花、柏あんななどと話しこんでいるし、茅は酒見姉妹に囲まれている。孫子と酒見姉妹がファッションのことなどを話しはじめると、それに飯島舞花や柏あんなも加わった。
茅はメイド服だし、孫子と酒見姉妹の三人はゴスロリ・ドレスのままだったりするが、そういった外見上、多少、奇態な部分を除けば、仲の良い友人同士がだべりながら道を歩いている、ごくありふれた風景だった。
『今日は、いろいろあったけど……』
と、荒野は思った。
『……ようやく、平和になったな……』
もちろん、その荒野の感慨は、早計であったわけだが。
まず最初に発覚した荒野の誤算は、全員が狩野家の玄関に到着するなり、ノリが、
「……おにーちゃぁーんっ!」
と叫んで、出迎えた香也の胸に飛び込んで、そのまま、ぎゅーっ、と抱きしめたことだった。
誰かが止める隙もなかった。流石は最速。
香也は当初、何が何やら理解できないような顔をしていたが、しばらくノリに抱きつかれたまま、ノリの勢いに押されてその場でぐるぐると回転していたが、唐突に、すべてを理解したらしく、「ノリちゃんっ!」と叫んだ。それ以降もノリは、「おにぃちゃん、おにぃちゃん」と香也の胸に顔を埋め続け、「あーっ!」と悲鳴をあげながらもそれを見守っていた楓、孫子、テン、ガクらの間に、みるみるうちに険悪な空気が広がっていった。
「ま……まぁ、ノリちゃん……ひさしぶりなわけだし……」
飯島舞花がその場を取りなすように、震える声でそういうのだが、楓とか孫子とかテンとかガクとかの耳には入っていない様子だった。
「そうそう。
ひっさしぶりー、だからぁー……。
こう、ぎゅうっとしてぇ、おにーちゃん成分補給しているのぉ……」
ノリが、やたらとご機嫌な声を出して、険悪な空気を醸しだしはじめた少女たちの神経をことさらに逆撫でする。
……どっかで聞いたようないいぐさだな、と、荒野は思った。
「ノ、ノリちゃん……今日は、大活躍だったしっ!
え、MVPってやつ?
だから、多少、大目にみても……いい、かなぁ……って……」
そのように取りなしを図った柏あんなの声も、楓とか孫子とかテンとかガクとかに一斉に睨まれ、途中でいきなりトーンダウンしてそのまま立ち消えになる。
この家の状況をよく知らない酒見姉妹は、顔をこわばらせて小声で茅の耳元に何事か囁き、茅はそれに頷き、姉妹の耳元で何やら囁き返す。すすると双子の顔に、唐突に理解の色が浮かび、「……なんでこんな男が……」とか、モロ値踏みするような表情で香也の顔を無遠慮にじろじろと眺める。
「……なんだ、お前等……」
どんどん重苦しい空気に包まれていく周囲、蒼白な顔をしている香也、一人だけ上機嫌のノリ……という構図を破ったのは、台所の方からやってきた三島百合香だった。
「来たんなら、そんな所に突っ立ってないで、さっさと中に入ってこっちに手伝え……」
「……は、はいっ」
「行きます行きますっ」
飯島舞花と柏あんなが、これを幸いとばかりに三島の指示に従って台所に向かった。
「と、徳川さんっ!
さっきのパーツっ! もう組んじゃいましたっ?」
堺雅史がそういって居間に入ると、
「お、おれにも見せてっ!」
栗田精一も取り残されては大変とばかりのその後を追う。
「……あ、あの……ノリ、ちゃん……」
香也が、これ以上の緊張には耐えられないとばかりに、ついに声をかけた。
「そろそろ……離れてくれないと……。
その……ここ、寒いし……な、中に入らないと……」
「……えー……」
ノリは不満そうな声を上げたが、それでも、しぶしぶ、といった感じで香也から体を離す。
「あっ。
それじゃあ、ねっ! おにーちゃん!
離れていた間にボクが描いた絵、見てっ!
真理さんの荷物は?!」
「汚れものって聞いてたから、お風呂場の方に置いといたけど……」
香也は、とりもなおさず、ノリが離れてくれた事に安堵しつつ、さりげなく少し、後ずさった。
「……わかったっ!
お風呂場だねっ! おにーちゃんは、暖かいところで待っててっ!」
テンはばっと身を翻し、廊下の奥に姿を消した。
……香也を含め、その場にいた全員が、ほっと安堵のため息をつく。
香也ががっくりと肩を落とし、そろそろとした足取りで居間に向かうと、楓と孫子とテンとガクも、ぐったりと消耗した後ろ姿を見せて、それに続いた。
「……商店街の騒ぎの後も、あんだけ元気だったやつらが……」
荒野はそう呟いて、一人、慄然とした。
楓と孫子とテンとガクを相手にして、これだけ短時間に消耗させるとは……ノリ、恐るべし。
「……加納様……」
その場に荒野と茅、それに酒見姉妹だけが残ると、酒見姉妹が小声で荒野に尋ねてきた。
「この家……いつも、こんな調子なんですか?」
「今朝もいったろう」
荒野は、澄ました顔をして答える。
「おれの知り合いに、おれなんかよりもずっともてるやつがいるって……」
その問答の後、茅と酒見姉妹は、紅茶の道具一式を取りに行くとかで、一度マンションに戻った。
荒野が居間に入ると、炬燵にスケッチブックを広げた香也が入っており、その横にべったりとノリが抱きついて、香也の広げたスケッチブックを一緒に覗きこんでいる。
テンは徳川や堺たちと一緒に組み上げたばかりのパソコンに向かいながら、時折、ちらちらと香也とノリの方を伺っている。
ガクは、誰からも離れた場所で炬燵にあたりながら、「……どうせ、ボクなんか……」とか「ボクだって……もっと育てば……」とかいいながら、うらぶれた表情で紙パックの牛乳をグラスにも移さず、そのまま直接、ちびちびと舐めるように飲んでいた。
台所で三島の手伝いでもしているのか、楓と孫子の姿は居間には見あたらなかった。
……ノリの帰還により、このところ落ち着いていた、この家のパワーバランスが、またそぞろ不安定になったのは、ほぼ確実だな……と、荒野は確信する。
荒野は「君子、危うきに近寄らず」という日本の俚諺を想起しながら、なるべく何気ない、自然な口調で、
「どう? ノリの絵……」
と、香也に声をかける。
「……んー……」
香也は、いつもにもまして、長く唸っていた。
「……いや、短い間にこれだけ描けるようになったのは……正直、凄いと思うけど……」
香也は荒野に向け、ぱらぱらとスケッチブックのページをめくってみせる。
そこに描かれているのは、ホテルの窓からみたような俯瞰加減の構図の風景だったり、ベンチに座る人だったり、どこかの公園の風景だったり…ー。
「……うまい……じゃないか……」
荒野の目には、ノリが描いたというそのスケッチは、緻密で達者なもののようにみえた。
少なくとも、昨日今日、描きはじめたような稚拙さは、見とることができない。
「うん。
うまいことは、うまいんだけどね……」
香也は、言葉を濁す。
「……何?
おにーちゃん、どこか、おかしい?」
香也が浮かない顔をしているのをみて、ノリが急に心配そうな表情になる。
「……おかしくは、ないんだけど……」
香也は、慎重な口振りで、ゆっくりと言葉を押し出した。
「ぼく……今の学校の先生から、お前の絵はうまいだけで面白くない、っていわれてたんだけど……。
そうか。
こういうことなのか……」
香也は、一人で頷いている。
「うまいけど……面白くない?」
ノリが、きょとんとした顔をして、目をパチクリさせる。
「うん。
これ……ノリちゃんの絵……ぼくのと、同じ。
正確なんだけど……これだと、写真と、同じ。
ノリちゃんの絵では、ない……」
[
つづき]
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