第六章 「血と技」(212)
茅はソファに座っている荒野の膝の上に、荒野と向き合う形で抱きついている。
「……荒野」
茅が、荒野の胸に頬をつけながら、名を呼んだ。
「なに?」
荒野は、答える。
「荒野はここにいるのに……どんどん、遠くなっていく気がするの……」
「おれは……どこにも行かないよ」
「こんなに近くにいるのに……ずっと一緒にいるのに……一緒にいる時間が長くなるほど、荒野が何を考えているのか……わからなくなって……怖くなっていくの……」
おれの心を読めばいい……といいかけたが、荒野はその言葉を口にしなかった。
茅が、できる筈のことをあえてしていない、というのなら……そこには、相応の理由がある筈なのだ。
「茅は……その、普段は、ヒトが考えていることを、読んだりしないの?」
結局、荒野は本当に聞きたいことを、かなり湾曲して尋ねることになる。
「荒野が、ヒトは読むなっていった」
そうした質問を予期していたのか、茅は、荒野が言い終わるやいなや、即座に答えた。
「……でも……。
それがなくても、読もうとは思わないの。
むしろ……気を抜くと、どんどんヒトが考えていることが、流れ込んでくる……。
日が経つにつれて、よく聞こえるように……遠くまで、詳細に、聞こえるようになって……」
結局……苦労して、「心の耳」を、塞ぐ方法を、自分でみつけたの……と、茅は囁いた。
荒野は、その話しを聞きながら、「おれは今、どんな顔を、しているんだろう?」と考えた。
いずれにせよ、茅が荒野の胸に頬を押しつけ、顔を上げようとしないのは、幸いだった。
きっと、今のおれは……ろくでもない表情を、しているのに違いない。
「荒野が今、なにを考えているのか、茅には予想がつくの……」
あくまで、茅の口調は、平静だった。
「荒野……茅のこと、怖がっている。
そして同時に、怖がっていることを恥じていて、茅にその感情を読みとられなくないと思っている……。
読まなくても……荒野が考えそうなこと、わかるの……」
最初のうち、平静を保っていた茅の声が、後の方にいくに従って、湿り気を帯びてくる。
じわり、と、荒野の胸……茅が顔を押しつけているあたりが、暖かい液体で濡れはじめていた。
「……どうしよう、荒野……。
茅……どんどん、怪物になっていくの……」
「茅が怪物なら、おれも怪物だよ」
荒野はわざと、快活な声をだした。
「怪物同志なら、いい組み合わせじゃないか……」
「……荒野にお願いがあるの……」
茅は、荒野の胸に顔をつけたまま、続ける。
「もしも、茅が……この後、本当の怪物になったら……」
「断る」
荒野は、短く答えた。
「いくら茅の頼みでも、聞けないことはある。
本当の怪物?
茅がそんなものに、なるわけがない。
それに、第一、例の悪餓鬼どもも含めて、誰も見捨てないとみんなで決めたじゃないか……」
「荒野は、論点をずらしている」
茅は、鋭い語調で反駁する。
「能力の差異も、ある閾値を過ぎれば、個性とか個体差とかの表現ですますことはできなくなるの。
今のところ、一族や、あの三人の能力は、常人の能力の延長上で収まっている。
五感、筋力、反射神経……などが、一般人の平均よりも突出している……というだけのこと。各種能力のパラメータが、量的に増大しているだけのこと……。
でも、茅の場合は……あきらかに、量的な差異、というより……」
質的な差異、なの……と、茅は告げる。
「……今日、佐久間の能力を持つ男と接触した。
彼が、佐久間の術者の中で、平均的な能力の持ち主であると想定するならば……ろくに訓練を受けていない状態で、見様見真似でその術者に、逆に施術してしまった茅は……現時点でさえ、明らかに、イレギュラーな存在だと思うの。
茅は……一族とも、あの三人とも……それに、もちろん……一般人とも違う……孤立した存在。
しかも……この先、どんな風に育っていくのか、予測ができない。
……もし、この先……茅が存在することで……茅の存在自体が、一族や一般人の脅威と見なされるようなことが、あったら……」
茅は、平静な声で続ける。
「……荒野は、その茅を守るために……戦わないで欲しいの……。
茅一人を守るために……誰かを傷つけるという選択を、しないで欲しいの」
荒野は、答えなかった。
いや、答えられなかった。
そういうことは、絶対にあり得ない……というだけの根拠を、荒野は持っていない。
荒野は……人間が、異質な存在を、どのように排除するのか……ということを、知っている。他ならぬ、自分自身の経験から、学んできている。
「……風呂に、入ろう……」
しばらくしてから、荒野は別人のようなしわがれた声でそう答え、膝の上に乗った茅ごと、立ち上がる。
喉が、からからに乾いていた。
『……おれは、無力だ……』
と、荒野は思った。
「……心の声を聞かないように、いろいろ試していた時……」
荒野に抱えられながら、茅は言葉を継いだ。
「……その他の感覚を抑えるコツも、徐々に覚えていったの。
だから……今の時点では、茅は、一般人並の知覚の中に、自分を閉じ込めておくことが、出来る……。
でも……その方法がいつまで有功なのか……茅の能力が、この先どこまで伸張していくのか……分からない。
それに……どこかで、何かのきっかけで、茅が暴走をはじめ、危険な存在になるかも知れない……」
荒野には、茅の安全弁でいて欲しい……茅を、悪役にしないで欲しいの……。
と、茅は続けた。
……酷いお願いだ……と、荒野は思った。
[
つづき]
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