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彼女はくノ一! 第五話(326)

第五話 混戦! 乱戦! バレンタイン!!(326)

「……あ、どうも……」
 樋口明日樹は、お茶をいれてくれた楓に頭をさげる。しかし、お茶に手をつけようとはしなかった。香也がまっすぐ帰宅する、ということを知ったときから、「一人きりではいないだろう」予想をしてはいた。誰かしら、この家の人が付き添っているだろう、と。
 楓と孫子は以前にもまして公然と香也との距離を詰めはじめていたし、加えて、ここ数日は、三人組まで、香也にべたべたしはじめている。香也は相変わらず、彼女らの誘いに乗っているような雰囲気ではなかった。が、かといって、彼女らを意識して遠ざけているようにも、見えない。
 このことに限らず「香也の態度」というのは、本人がいたって泰然と構えているため、傍目からは「本音」がなかなか見えにくく、それがかえって明日樹のフラストレーションをいや増すことになる。
 かといって……楓がいるこの場で、香也の真意を問いただすのも、勇気がいった。
 さて、当の香也であるが、明日樹のやきもきを知らぬ風で、炬燵に手足をつっこんであきらかにだらーっとだらけている。
 香也にしてみれば、「わざわざ自分を訪ねてきた明日樹を放置して、まさか昼寝を決め込むわけにもいくまい……」とか思って、必死で睡魔と格闘しているわけだが……傍目にはとにかく、ぼーっとしているようにしかみえなかった。
「……大丈夫、かなり、調子悪そうだけど……」
 明日樹は、香也の様子をみて、そう声をかける。
「……んー……。
 大丈夫……」
 香也は、もごもごと不明瞭に答えた。
「ただ……変な時間に起こされて、眠い、だけだから……」
「……そ、そう……」
 ……何で「変な時間に起こされ」たんだろうか? と、不審に思いながらも、明日樹は頷く。
「あ。
 これ、どうですか? お茶うけに……」
 一度、台所に引っ込んでいた楓が、クッキーの缶を抱えて居間に帰ってくる。
「どうも、昨日作ったものの余りのようですが、かなりいっぱいありましたから……」
 楓は缶の蓋をあけて、炬燵の上に置く。
 中には、一口大のチョコレートがびっしりと詰まっていた。その一つを指で摘み、楓は、ひょいと自分の口に放り込む。
「……あっ!」
 と、明日樹が、大声をあげた。
 昨日の……ということは、シルヴィが持ち込んだ、得体の知れない薬剤が混入したものなのでは……。
 いきなり明日樹が大声を上げたので、楓は、「え?」と訝しげな顔をする。
「……別に、問題なくおいしいですよ、これ……」
 楓は、口に放り込んだチョコを飲み込んで、そういった。昨日、その場にいなかった楓は、「手作り」ということで、明日樹が「味」に不安を感じているもの……と、思いこんでいる。だから、何気なくもう一つ、チョコを口に放り込んだ。
「……そ、そうじゃなくってっ!」
 明日樹は、血相を変えて楓に近寄り、耳元に口を寄せて、香也の耳にははいらない程度の小声で、昨日のあらましをごしょごしょと囁く。
「……えっ! あっ! あっ……」
 明日樹の説明を聞くうちに、楓の顔色は、蒼白になって、叫んだ。
「……そ、それって……。
 えっちをしなければな、死んじゃうお薬なんじゃないですかぁっ!」
 根が素直な楓は、以前、孫子が、その場の判断で適当に吐いた嘘を、すっかり信じ込んでいるのであった。
 思わず、逃げ腰になる香也の服を、明日樹が、がっしりと掴む。
「……だ、駄目っ! 逃げないでっ!」
 明日樹は、香也に向かって叫んだ。
「昨日、姉崎さんは、えっちがしたくてたまらない薬だといってただけど……それの、楓ちゃんっ!
 えっちをしないと死んじゃう薬って……」
「さ、さ、さ、才賀さんが、以前、香也様に使って、えらいことに……」
「……楓ちゃん、落ち着いてっ!」
 そういう明日樹も、実はかなり動転している。
 その証拠に、「その薬が香也に使われた」ということは、香也が誰かと性交渉をしている……ということを意味するのだが……その事実に、明日樹は思い至っていない。
「楓ちゃん、まだ、体に異常ないっ?
 ま、まずは、確認……姉崎さんか、才賀さんに……」
「わ、わ、わ、わたし、姉崎さんに、連絡しますっ!
 樋口さんは、才賀さんにっ!」
「……わたくしが、どうかしまして?」
 楓と明日樹が動転して騒いでいる間に、居間に、ゴスロリ服の孫子が入ってきていた。
「今、商店街イベントの、閉会宣言をして帰ってきたところなのですが……」
 楓と明日樹は、わたわたと慌ただしく、孫子にさっきのいきさつを説明する。二人とも慌てているため説明の要領が悪く、孫子は何度か聞き返さなくてはならなかった。
「……そう……」
 一通りのことを聞き終え、事態を把握した孫子は、しれっとした顔をして、以前吐いた嘘を吐き通した。
「……まず、服用したら、えっちをしないと死んでしまう薬がある、というのは、本当です。
 また、その薬は姉崎女史から入手したもので……昨日、姉崎女史が使用したものと、同一のものである可能性は、きわめて高いとしかいいようがありません……。
 樋口さん、このチョコには、確かに、姉崎女史の薬が混入しているのですか?」
「それは……はっきりと、そうだとはいえないけど……」
 明日樹は、ゆっくりと首を振った。
「……でも、姉崎さん、こういう細かいチョコ、いっぱい作っていたから……」
「……わかりました。
 その点については、わたくしが確認してみましょう。
 それから、楓。
 今から吐こうとしても無駄です。この薬は、消化吸収が極めて早く、微量でも効果があります。もう、手遅れです……」
 孫子は、澄ました顔で、嘘をつき続ける。

 そして、携帯電話で短く問答をした後、孫子は、自分の口にチョコを放り込んだ。
 明日樹が、「あっ!」と大声をあげる。
「……毒物ではないので、そんなに驚くべきことではありません……」
 孫子は明日樹に、淡々と説明しながら、次々とチョコを噛み砕いて飲み込んだ。
「ただ……これで、楓が、性行為をしなければ死亡してしまう薬を服用したことが、証明されました。
 ここには、楓と性行為をすることができる男性は、一人しかいませんし……わたくしは、楓だけに、そのような真似をさせておくことに、耐えられません……。
 楓……今の、体調は?」
「な、なんだか……胸が、どきどきして……」
「……そう」
 孫子は、平静を装って、頷いた。
「それは……楓とわたくしの人命を救うため、香也様には頑張っていただきませんと……」
「……そ、そう……ですね……」
 すっかり孫子に言いくるめられた形の楓も、頷いた。
「香也様……このチョコ……食べておいた方が、頑張れると思うのですが……。
 この間も、その……凄かった、ですし……」




[つづき]
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