第六章 「血と技」(266)
「静流様も、こちらにいらっしゃるようで……」
野呂平三がいうと、そのすぐ後に、
「それに、ぼくもいるしぃ……」
という荒神の声が、荒野のすぐ後ろから聞こえた。
「……なにぃ?」
慌てて振り返る荒野の背中に、
「……こぉぉやくぅぅぅんっ……」
荒神が抱きついてくる。
……相変わらず、滅茶苦茶な……と、荒野は思った。
荒野だけではない。この場には、現象や梢、舎人と平三がいる。一族の中でもそこそこの手練れ、といっていい人材がひしめいている中で、その誰にも気取られることなく、荒野の背後に忍び寄ることなど、荒神には造作もないことだった。
突如出現した荒神に、しばらくあっけにとられていた二宮舎人、佐久間梢、野呂平三が、弾かれたように炬燵から出て、畳の上に平伏する。
それなりに、自分の術に自信を持っていただろうから……彼らも、度肝を抜かれただろうな……と、荒野は予測し、荒神のような規格外品に頭を下げる彼らに同情した。
一人、現象だけが、荒神と荒野をみて目を見開き、口をパクパクと開閉している。
「……ありゃ? 荒神さん、久しぶり……。
……ご飯、食べてくでしょ?
荒神さん以外のみなさんも……」
羽生の気の抜けた声が、居間に響いた。
それがきっかけになって、凍り付いたその場が再び動き出す。
ちょうどその時、メイド服の茅に先導されて、茶器の入った箱を持った楓が入場してきた。
荒神がさっそく楓に声をかけ、いつもの稽古をはじめることを告げる。
楓が弾かれたように茶器を台所に運び込み、一度自室に戻って、すぐに装備を整えて居間に帰ってきた。一時は自分の体重に匹敵する投擲武器を身につけて荒神との稽古に望んでいた楓だが、最近では荒神の動きに少しは対応できるようになってきたのか、以前より身につける投擲武器の数が減ってきている。これは、投擲武器によって荒神の牽制をする頻度が確実に減ってきている、ということを意味し、つまり、楓は、着実に「強く」なってきている、ということでもある。
外に出ていく楓と荒神、それに、テン、ガク、ノリに茅が、その後を追っていく。茅も、見ているだけで、幾分かのコツは自分の技として吸収できるらしいので、こういう好ガードは見逃すわけにも行かないのだろう。そうした事情は、テンにしても同様の筈だった。
楓が荒神に稽古をつけてもらっているだけで、それなりの波及効果があるな……と、荒野は思う。
「一度、見ていた方がいいぞ……。
自分が、井の中の蛙だと思い知らされるから……」
現象にも、そういってやった。
現象は……現在の自分の能力が、どれほど限定されたものであるのか、一度しっかり認識する必要がある……というのは、荒野の本音だ。
現象に続いて、梢、舎人、平三が外に出ていく。
現象以外のものは、噂に聞く「最強とその弟子」がどの程度のものか、自分の目で確かめたいのだろう……と、荒野は思った。
見学するのはいいけど……自信喪失しなけりゃ、いいけど……とも、思ったが。
着替えた香也が居間にきたので、羽生に言われて、荒野はちゃぶ台を出すの手伝った。孫子と明日樹は、台所にいって羽生の手伝いをしている。
孫子はともかく、樋口もすっかりこの家の常連だよな……と、荒野は思った。
数分後、燃え尽きた楓が三人組に担がれて戻ると、荒神以外の面子は総じて顔色を無くしていた。
すっかり、毒気を抜かれた様子だった。
「……ぶざけるなっ!」
なんだ、あれはっ!」
これが、現象。
「格が違いを見せつけられたからって、キレないでください……」
これが、梢。
「まあ……あれが、一族の頂点とその弟子、ってこったな……。
しかしまあ……あの子、可愛い顔して、本当に最強の弟子なんだなぁ……」
これが、舎人。
「……感服つかまつりました」
これが、平三。
反応にもそれぞれ、人柄が出ている。
舎人が楓に対して、「本当に、六主家とは無関係なのか?」といった疑問を呈し、荒野が「遠隔遺伝とかまでは保証できないけど、一般人の孤児」だと説明する。
実際には、現代ではDNA鑑定である程度の走査はできるので、解析の結果、六主家に近いパターンが楓の遺伝子に認められていれば、荒野の耳にもその情報が入ってくる筈であり、故に舎人の疑問は、即座に否定することができた。
舎人にしてそういわしめるほど実力を楓がみせたことは確かであり、現象などは見学した中で一番、ショックを受けている様子だった。
『……一般人の楓に、あれをやられたんじゃあ……』
「佐久間本家直系」を自認し、拠り所としている現象は、かなりの心理的なダメージを受けていることだろう……と、荒野は想像する。
血筋が、現象が思っていたほど、大きな比重を持たない……と、証明されたようなものだから、血統に対して過大な幻想を抱いている現象にしてみれば、心穏やかではいられない筈だった。
それに追い打ちをかけるように、荒神が、「先天的な資質だけに頼った戦い方は、獣なみだ」というような意味のことをいっている。ようは、「慢心せずもっと技をみがけ」という、荒神らしからぬ正論を吐いているわけだが……これも、現象にしてみれば、自分が信じていることを根元から否定されているようなものだろう。
このような言葉が、一族の優勢な要素を一身に集結した存在である荒神の口から吐かれたのであるから、現象にしてみればなおさら動揺の根拠となるのであろう。
顔色をなくして震えている現象に、荒野は、
「……他のやつらの実力も確認したかったら、明日の早朝、河原に見に来い」
と誘いをかけてみた。
現象が来るかどうかはわからないが、河原に集まる連中と現象を組み合わせてみれば、またひとつ進展があるのではないか……と、荒野は思う。
茅も楓も孫子も、それに、テン、ガク、ノリの三人も、このところ、お互いに技を学び合い、短期間で急速に実戦的な戦闘能力を高めている。これだけ多種多様な競争相手が身近に存在する環境であれば、そうなるのはむしろ必然的ともいえたが、その中に現象という新しい要素をつっこんだら、どのような化学反応を起こすのか、荒野にも興味があった。
三人組によって風呂場にかつぎ込まれた楓が、パジャマ姿で帰ってくるころには、食事の用意ができていた。
作り置きの総菜と今しがた作った料理を並べた食卓は、特に豪華というわけではないが、品数が多く、量も十分に全員にいきわたるだけ、あった。荒野にとっては、特に後者の要素が重要だった。
賑やかな食事が終わると、例によって茅が全員に紅茶をいれてくれた。
それ以前の段階でかなり度肝を抜かれていたせいか、荒野にとって幸いなことに、新参組の中で、茅のメイド服につっこみをいれた者はいなかった。
「……つまり、お二人は、現象の監視以外、特にやることはないわけですわね?」
孫子は、舎人と平三を早速口説いていた。
「では、佐久間の二人は学生という身分があるからいいとして、残りの二人は是非、うちでお働きなさい。監視の仕事なら、うちに登録している一族の関係者全員に手配します。
二人とも、ワードやエクセルくらいは操作できますでしょう?
この土地でしばらく居住するつもりなら、偽装でもなんでも最低限の身分保証は必要でしょうし、この二人が学校に通うようになれば、加納たちの目の届くところにくるわけで、昼間の時間、お二人の身体は空く筈です……」
こいつも、自分のペースを崩さないよな……と、荒野は思った。
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つづき]
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