第六話 春、到来! 出会いと別れは嵐の如く!!(8)
テン、ガク、ノリの三人組、それに楓は、現象の出現に特に慌てるということもなく、比較的平静に受け入れているようだった。思い返してみれば、以前の学校襲撃の件でも、実際に現象と交戦したのは荒野一人であり、楓は現象捕縛後の尋問時に居合わせただけ、テンとガクにいたっては、ガクの負傷と入院騒ぎで現象どころではなかったわけで、「敵対していた」という実感が、あまりないのかも知れなかった。
そして、現象はといえば、楓と荒神の稽古風景を見学して以来、何やら考えに沈んでいる様子でおとなしくなった。
そのおかげで、その日の夕食は、さほど険悪な雰囲気になることもなく、和やかにはじまり終わった。現象が黙り込んだ分、三人組の好奇心は梢に向かい、何くれと佐久間の技について質問をしていた。特にテンは、果松体がどーの、脳電流のすきゃんがこーの、と荒野にもよく意味がわからない専門的な用語を並べ立てて梢を困らせていた。
「……いや、実際にやるのはともかく……理論的なことは、ちょっと、わかりかねます……」
と、梢は言葉を濁していた。
実際に術を行使したり、術の使い方を教えるのに、必ずしも、その術がどのような原理で効果を発揮するのか、理解している必要はないらしい……と、梢の反応をみて、荒野はそう予測する。
もう一人、いつもとわからないのは、孫子だった。二宮舎人と野呂平三を、さっそく自分の会社に勧誘している。舎人と平三は即答を避けていたものの、孫子がいう、「会社に登録している一族関係者全員で現象の監視を手伝う」という条件は彼らにとっても魅力的な筈であり、しばらく条件を勘案する時間をおいてから、結局は承諾するのではないか、と、荒野はみていた。
楓と茅は、本当にいつもと変わらない様子だった。
不意のお客が珍しいことではない、というのを考慮しても、この二人の平然とした振る舞いは少し異常なのではないか、と、荒野にしてみても、思う。
茅は現象の出現にたいして何を考えているのか、荒野も伺い知れない部分が大きかったが、楓に関しては、おそらく「……何も考えていないのだろうな……」と、そう予測する。
新顔の人たちが誰一人、茅のメイド服についてつっこまないのが荒野としては幸いだった。
食事が終わり、茅が紅茶を配りはじめると、ノリがスケッチブックを出してきて、羽生に「マンガ絵の描き方」を尋ねる。ノリは、写実的なデッサンはかなり練習してきたが、ディフォルメの効いたいわゆる「マンガ絵」は練習したことがない。また、この家にある羽生の蔵書はそれなりに漁ってはいるものの、それらのマンガの画風は、作者や作風により大きく変化する。この家に住むようになってはじめてそうした文化と触れるようになったノリにとって、そうした雑多な画風から統一性のある法則を摘出し、自分の絵に反映させる、というのはどうにも困難な事業に思えたので、そうしたことに詳しい羽生に質問してみよう、ということになった……ということ、らしい。
「……いや、そんな……難しく考えること、ないと思うけど……」
羽生はそういいて、こめかみを指で掻く。
「そういうのは、あれ……難しく考えるより、自分の好きな作品とかキャラ、模写したりして、だな。
自然に自分の作風ができていくもんだと思うけど……」
キャラ萌えとかそういう次元とは無関係にマンガ絵を描けるようになりたい、というノリの意図は、羽生の感性では少し……いや、かなり異質なものだった。
「……そうだっ! 絵だっ!」
ノリと羽生がスケッチブックを広げた途端、それまでおとなしくしていた現象が、騒ぎはじめた。
「庭にあった膨大な絵、あれを描いたのは、女、お前かっ!」
梢が立ち上がって、現象の後頭部を平手でしたたかに叩いた。
「……口の聞き方に気をつけるっ!」
「……あ、いや……」
羽生は、突如興奮しだした現象に少し気圧されたものの、できるだけ平静な声で答えた。
「庭にある絵は、全部……そこのこーちゃんが描いたもんだな……」
現象は、羽生が指さす先を目線でたどり、ずずずっ……と、のん気に紅茶を啜っている香也をじっとみつめた。
「……こいつ……が?」
それまで香也のことなどまるで視野にいれていなかった現象は、震える声で確認する。
「この……ぬぼーっとした、目の細い餓鬼が……あんなにいっぱい……あんな、絵を……」
「……いや、うちのこーちゃん……。
確かにぬぼーっとしているし、目が細いけど……」
羽生は、苦笑いをする。
「君と同い年のうちのこーちゃんが、あそこの絵をぜーんぶ描いたってのは、事実だし……」
「そこの三白眼……」
自分が話題の中心になているのにも気づかぬ風で、ぼーっとしているままの香也の背に、孫子が立って現象を睨んでいる。
「あまり、香也様のことを侮辱すると、ただではおきませんわよ……」
「……そんなことは、どうでもいいっ!」
現象は、孫子の存在など意に介した様子もなく香也との距離を詰め……。
「本当に、あれは、貴様が描いたのか?」
香也の胸ぐらを掴もうとして……。
「乱暴は、駄目なのです……」
香也の胸元に延ばした手首を、楓に掴まれた。
楓は、ぎりぎりと力を込めて、現象の手首を握りしめる。
現象が、苦痛に顔を歪める。
「……んー……」
ここにいたって、ようやく、香也がのんびりと現象の問いに答えた。
「そう、だけど。
あそこに置いてあるのは、全部、ぼくの絵だけど……」
「……お前、みたいなのが……あれを、全部か……」
現象は、手首を掴んだ楓の手を振り払い、虚脱した様子でその場にぺたんと座り込む。
「お前……おれと同い年で……あんなに……」
「……別に、そんなにたいしたことでもないし……」
香也は手で羽生に合図し、スケッチブックと鉛筆を受け取る。
「……ほら」
その場で、しゃっ、しゃっ、しゃしゃ……とスケッチブックに鉛筆を走らせ、ごく簡単な描線で、目の前にいる現象の似顔絵を描いてみせる。
「簡単……」
一分にも満たない短時間で仕上げた香也は、描いたばかり絵を現象の目前にかざしてみせる。
「だから、量だけあっても……ぜんぜん、たいしたことない……」
現象の目は、完全に点になっていた。
「……お、お、お……お前……」
現象が次の言葉を引き出すまで、たっぷり三分以上の時間がかかった。
「おれより……一族なんかより、全然、凄いぞっ!
貴様はっ!」
現象は、興奮した様子で、香也の手をとってぶんぶんと振り回しはじめる。
周囲の人々は、現象の予想外の反応に、すっかりフリーズしていた。
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つづき]
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