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第六章 「血と技」(268)
「……何だったんだ、今朝の子は……」
登校時、飯島舞花が荒野に尋ねる。
「いや、見ている分には、面白いけど……」
舞花のいう「あの子」とは、いうまでもなく佐久間現象のことだ。
「確かに、見ているだけなら面白いかも知れないけど……」
荒野が、珍しく困った顔をする。
「あれが……この間、パソコン実習室に殴り込んできた張本人なんだ……」
「……へ?」
舞花の目が、点になった。
「あの子……今朝も来たの?」
明日樹が、荒野に確認する。明日樹は、昨夜のうちに現象に遭遇している。
「……来たんだ」
荒野は、頷いた。
「そんで、みんなに、こてんぱんに、やられた……」
「……ああ……」
明日樹が、ひどく納得のいった表情になる。
「なんか……よく、想像できそうな……」
「何?
学校を襲ったやつが来たんですか?」
あまり一族関係の事柄には感心を持たない大樹までもが、口を挟んでくる。
「それ……危ないやつっすか?」
「……思想的には危ないかも知れないけど、実力的には、見ていて可哀想になってくるから……」
荒野は、深々とため息をついた。
「……放置して置いても、実害はない」
「あれは……」
孫子までもが、現象をそう評する。
「典型的な、頭でっかち……。
気概と実力とが、見事なまでにアンバランスで、他者の助けがない状態では、何にもなせない者の、典型ですわね……」
「……基本的な能力だけみるなら、それなりなんだかがなぁ……」
荒野が、呟く。
筋力や反射神経、スタミナなどは、並の術者よりもかるかに上……テン、ガク、ノリに匹敵するレベルなのではないか……と、荒野は思う。
「ただ……その効率的な使い方を、誰も教えてくれなかったようで……やつを育てたお袋さんとやらは、荒事の心得がなかったらしい……」
そういって荒野は「そう考えると……野放しにするのは、やはり危険か……」と、現象のことを思い直す。
体術の心得のない一般人相手なら、力任せの現象のやり方でも、十分な脅威になりうる。
昨夜の話しでは、現象にはもはや、そんなことをする意図はなさそうだが……本人の自己申告を、安易に鵜呑みにするわけにもいくまい。
今朝の現象の様子は……どんなに身体能力に優れていても、しかるべき修練を積んでいない一族が、いかに脆い存在であるのか、証明していたようなものだ。
そんなことを考えながら、
「……まっ。
一族もピンキリっていうか……いろいろなのがいるっていうことだよ……」
荒野はそう結論づける。
現象の登場、という椿事に見回れた一夜があけ、登校すれば、学校にはいつもと変わらない日常がある。例えば一時限目の古典の授業など、教師が老齢でもごもごと発音が不明瞭で、いっていることがよく聞き取れず、生徒の間でも「退屈で、眠気を催すのナンバーワン」という評判をとったりしている先生だったが、荒野にしてみれば、その退屈さ自体が有り難いと思った。
これだけ次から次へと厄介な人事に出くわす生活を送っていると、平凡さとか退屈さ、というのが、心底、愛おしく思えてくる。
ことに、ここ数日は、現象の出現や他の一族による干渉などとは他に、茅、シルヴィ、静流、酒見姉妹などの女性関係についても考慮し、それなりの配慮を払う必要が生じている。そんあこともあって荒野の気が休まる時間は、ほとんど昼間、学校に居る間だけといっても過言ではなく、荒野は、以前にもまして真剣に学業に取り組むようになっていた。
一種の逃避であることは荒野自身も自覚してはいたが、非建設的な方向性の逃避行動ではない分、いくらかはマシ……とも、思っている。気を入れて時間を割けば、それだけ、学習内容が身に付き、成績があがるわけで、悪いことではないよな……などと、他人事のように思っていた。
それに、日常会話や読み書きに不自由しないほどには日本語を理解している荒野も、当人の自覚的には他の文化圏で育った異邦人であり、日本史や現国、古典など、「この国」に関する新しい知見に触れる機会にあたれば、それなりにモチベーションをあげるための材料にもなるのであった。
そんなわけで荒野は、このところ、昼休みなどに空いた時間があれば、図書館などによって古い文芸書をぱらぱらとめくったり、歴史全集を一巻から順に目を通すようになっている。
文芸書については、内容に興味がある、というよりも、旧かな遣いなどの表記法に興味があり、ことによると現代かな遣いよりもこっちの方が、日本語を表記するには合理的なのではないか? と思ったし、歴史全集については、今までは常に「今、現在」の問題……というより、軋轢の中に身を投じるばかりだった荒野が、そもそもそうした軋轢が何故発生したのか、という根本の原因に目を向けるだけの精神的な余裕ができはじめたことを意味する。
これまで荒野が携わってきた一族関係の仕事は、大半がやはり金銭的なトラブルに関係した仕事だったわけだが、それ以外にも民族や宗教がらみの紛争に関わることも多く、そうした問題について、この平和な国で、今までより距離をとって考察してみるのも、荒野にとっては十分に刺激的なことだった。
また、昨夜、現象が「自分たちの遺伝子を選択的に一般人に移植していく」とかいうアイデアを出していたわけで、もちろん、そんな大規模な計画の準備は一石一鳥に完遂できるものでもなく、何年だか何十年単位の長い時間をかけて準備しなければ成功もおぼつかないので、今すぐどうこう……ということはないのだが……それにしても、そのようなアイデアが、他ならぬ「実験体の一人」である現象の口から出てくる現在の状況、というのを考慮すると……やはり、それなりにマクロな視点から様々な事物を検証する必要性が、今後、でてくるのではないか……と、思った。
もちろん、今の荒野は、出自はともかくとして、実質的には一介の若造であり、一族と一般人社会との関わり方について、何事かの判断をするような大物ではない。
しかし、このままいけばいずれは加納本家を継ぐことは確実であり、その時になって慌てて考えはじめるよりは、今のうちから様々な知識を吸収し、判断材料を増やしておくのに越したことはない……と、荒野は、考えている。というより、今後の荒野の生活が今ほど落ち着いたものになる可能性は極端に低く、知識を収拾するのにも思索を重ねるのにも、今の「学生」という身分は、きわめて都合が良いものだった。
一族と一般人、それに茅や三人組、現象などの「新種」たちの行く末について、荒野がいくばかの選択権を有しているのは現状は否定できるものではなく、だとすれば、荷が勝ちすぎるのを承知で、精一杯考えるだけ考えて、自分なりの選択を示して行かなければならない……と、荒野は考える。
加納本家の出であること、預けられた茅と正面から向き合っていること、なりゆきでつきあっているテン、ガク、ノリの三人や、流入組の一族についても、それなりに面倒をみていること……などを考慮すればわかる通り、荒野という少年は、なんだかんだいいながらも、真面目で誠実な性格を有していた。
目の前に大小の山積みになっている現状は否定できないのであるが、それにしても、ここに来るまで荒野が抱えてきた問題は、例外なく自分や他人の生死に関わるものだっただけに、現在のように予測が出来ないアクシデントが頻発する状況においても、荒野には、まだ、その突拍子もなさを楽しむ精神的な余裕があった。
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つづき]
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