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「髪長姫は最後に笑う。」  第六章(318)

第六章 「血と技」(318)

 テンに背負われていたガクは、帰る途上で目を覚ます。
「……あっ……あれ?」
 ガクには、何故、自分がテンに背負われているのか、まずそれが分からない。
 周囲は、畑が広がる野外。夜。
 どうやら、ガクたちは、農道を歩いているらしい……。
「……気がついた?」
 気づくと、ノリが、心配そうな表情で、ガクの顔を覗き込んでいる。
「ガク、大丈夫?
 気分、悪くない?」
「……き……ぶん……」
 舌が、回らない。言葉が、もつれる。
 ガクの意識は、まだ明瞭ではない。
「……無理してしゃべらないで、いいから」
 ガクを背負ったテンが、背中のガクに話しかける。
「まずは、帰って……一晩ぐっすりと、休もう。
 それとも、このへんで一度足を止めて、休む?」
「……いや……。
 いい……」
 ガクは、力無く、かぶりを振った。
「……このままで、大丈夫……」
 何で、こんな……情けない状態に、なっているのだろう……と、ガクは思い……そして、先程の、現象との一件を、不意に、明瞭に思い出す。
「……意識が、はっきりしてきたか……」
 背負ったガクの身体が不意に緊張して硬くなったことで、テンは、そこことを悟る。
「どう?
 前と……何か、違う?」
 ガクは、首を伸ばして、周囲を見渡す。
「……まるで、違うよ……」
 しばらくして、ガクはそういった。
 まだ、ぼんやりとした口調だった。
「なんか、回りが……鮮明に、なっている。
 見るもの、聞こえるもの、肌に触れるもの……すべてが……どろりと濃くなった感じ……。
 五感すべてが、以前よりも明瞭に……敏感になっているっていうか……例えば、こんな暗くても……今のボクは、この闇の濃淡を、かなり明確に、見分けることができて……。
 センサーの精度が、桁違いによくなった感じ……」
 話しているうちに、ぼんやりとしていたガクの口調が、しっかりとしたものになっていく。
「……そっか……。
 夜って、こんなに優しい光りに満ちていたんだ……。
 前は、黒一色にしか見えなかったのに……。
 テン、ここまででいいよ。
 もう、自分の足で歩ける……」
 そういってガクは、テンの背中から飛び降りる。
 地面に降り立った瞬間こそ、少しよろけたが、ガクはすぐに自分で体勢を立て直した。
「……段違いだよ、本当……。
 世界が、こんなにも濃密で豊饒だなんて……まるで、想像していなかった。
 佐久間の人たちや、テンや、茅さんたちは……こんな世界を見たり感じたり、していたんだ……」
 ガクは、瞳を輝かせて、周囲を見渡す。
「おそらく……今は、現象の操作によって、一時的に五感を鋭敏にされている状態……」
 茅が、ガクにいった。
「……感性の精度が上がっても、まだ、それを処理する機構が、育ってないから……。
 しばらくすると、頭が痛くなるかもしれないの……」
「うん。わかった」
 ガクは、茅の言葉に、素直に頷く。
「そっか……。
 今は、一時的に、無理矢理ドーピングされているようなものだから……。
 この、感覚が増幅されているうちに、脳が、いきなり膨大に膨れ上がった情報量を処理する機構を作り上げられないと……もとに戻っちゃうんだ……。
 そういうこと考えると、確かに、リスクが大きいし、荒っぽい方法だな……」
 そういいながらも、ガクは、不安な様子は一切見せず、それどころか、にやにやとにやけている。
「上機嫌なのはわかるけど……その笑い方、気持ち悪いよ、ガク……」
 ノリが、こわごわと、ガクに話しかける。
 ノリは、よく知っているガクが、いきなり別人になったように感じていた。
「……あれ?
 そうか。
 ボク、今……笑ってたのか……」
 そういってガクは、一度、表情を引き締めるが、すぐにまた、頬が緩んでにやついてしまう。
「……ごめん。
 今……顔に当たるささやかな風の感触とかでも……微細なところまで感じ取れて……そういう、細かい変化を感じ取れる自分の身体を、いちいち、おもしろく思っちゃう……」
 そういいながらもガクは、弛緩した表情をしている。
「……そっかぁ……。
 こんなんだったら……他人の考えていること読めたり、操作したりも……方法さえ覚えれば、できるかも知れない……」
「……今夜は……」
 茅が、口を挟む。
「帰って、もう寝るの。
 ガク……自覚している以上に、自分の身体に、負担をかけている……」
「……うん。
 そうだね……」
 この言葉にも、ガクは、素直に頷く。
「……さ。
 早く、帰って休もう……」
「駄目……」
 茅が、ガクの肩に手をかけて、いきなり駆け出そうとしたガクを引き留める。
「普段とは、違うの。
 今、走るのは、危険。自分で立てるだけでも、奇跡。
 身体への負担が、大きすぎるの……」
 ガクの身体にざっと視線を走らせながら、茅がいう。
「……ゆっくりと、歩いて行くの。
 今のガクは、ハイになっている……。
 酔っぱらっているような、状態……」
 テンとノリが顔を見合わせて、ぶんぶんと頷く。
 確かに……今のガクの状態は、おかしい……。
「……ゆっくりと、歩いて帰ろうな、ガク……」
「それで……帰ったら、早めに寝るんだ……」
 テンとノリは、左右からがっちりとガクの肩を抱え込んで、そういう。

「……順調なのか、それは……」
 マンションに帰り、一連の出来事を茅が報告すると、荒野は非常に複雑な表情をした。
「順調といえば、順調」
 茅は、頷く。
「結果的には……」
 荒野は、深々とため息をついた。
「……つまり、場合によっては、目も当てられない結果にもなりえた……ということか……」
「ガク本人がそれを望めば……制止する理由は、ないの」
 茅は、即座に答える。
「……あー。
 まあ、理屈では……そうなるんだろうけど……」
 荒野は、ますます複雑な表情になる。
「そうか……。
 テンやノリも、止めなかったんだよな……」
 実のところ、誰かが制止する間もなく、ガクや現象がその場の思いつきを実行してしまった形だったが……。
 荒野は、このことに関しては何もコメントしない茅の顔をじっと見つめ、深々とため息をついた。
「……まあ……。
 結果的にせよ、何にせよ……。
 うまいこといって、よかったよ……。
 さあ。
 風呂が、沸いているから……」
 荒野は荒野で、茅の反応から何かしら、察するところがあったらしい。

「……うわぁ……。
 きれいだ……」
 翌朝、マンションの前に集合したガクは、茅に聞いた通り、どこかハイになってはしゃいでいた。
「……朝の光でみると、また、全然違って見えるなあ……」
 どうやら、今のガクには……みるもの、感じるもの、すべてが、新鮮な感動に満ちているらしい。
 ある種の薬物を服用した時の状態に、似ているな……と、荒野は思った。
 確かに、今のガクは……酔っぱらいに近い。
「……茅。
 あいつの体は、もう……」
 荒野が尋ねると、その質問の意図をすぐに察した茅が、即答する。
「……シナプスの活動並びに血流は、正常。
 少なくとも、表面的には、昨夜のダメージは残っていないの……」
「……わかった」
 荒野は頷き、楓とテン、ノリを呼び寄せ、
「ガクが暴れだしたら、すかさず取り押さえるように」
 と、指示を与えた。
 ガクのパワーを持った、酔っぱらい……。
 とてつもなく、始末に悪い存在だ……と、荒野は思う。




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