第六章 「血と技」(332)
「……あんなんだとは、思わなかったわぁ……」
三島が、現象の家に同行して、茅たちが佐久間の技を学んでいる時、シルヴィ・姉崎は、マンションに荒野を訪ねてきた。おそらく、荒野が一人きりになるのを見計らって……ということなのだろう。
荒野がコーヒーをいれると、シルヴィは先日見学した内容を、荒野に語りはじめる。だいたいの概要は茅の口から聞かされているので、荒野にとって目新しい情報、というものはなかった。
が、たとえ、わかりきったことでも、シルヴィが握っている情報を荒野にも提示し、荒野が警戒心を抱く余地を与えないのが、シルヴィの目的なのだろう……と、荒野は推測する。
「どんな技も、初歩とか基本を作るときは、地味な反復練習がほとんどだろ?」
荒野は、熱いコーヒーを一口、飲みこんでから、そう応じる。
「それは、そうなんだけどね……」
シルヴィは、物憂げな口調で答えた。
「佐久間って、外に漏れている情報が、極端に少ないから……もっとこう、ミステリアスなレッスンを想像していたのが……実際にみてみると、みんなでLet's a Songでしょー……。
イメージ的なギャップに、気が抜けたっていうか……」
「……その歌の果てに、他人の意識を書き換えたり操ったりする方法があるとするなら……そうそう、馬鹿にしたもんじゃあないだろう……」
荒野は、素っ気なく応じる。
実のところ……操った本人にも、そうとは自覚せずに、特定の行動を起こさせる……という佐久間の「傀儡繰り」は、効果的に使用すれば、かなり巨大な組織だって意のままに動かせる。
例えば……巨大な影響力を持つ企業とか、国家とかの中枢を、そうと気づかせないままに乗っ取ることさえ、原理的には可能であり……術者本人が前面に出てこない、こうした術者に対抗するのは……実際に相手をするとなると、きわめてやっかいな相手になるだろう。
だから、荒野は、佐久間の一党を「術の修得場面が地味だから」というくだらない理由で、軽視するつもりはない。
また、荒野たちが「悪餓鬼ども」と呼んでいる未知の仮想敵も、佐久間の長により、封印されていた現象の記憶を現に解きはなっている。少なくとも、悪餓鬼どものうち、何人かは、佐久間の技を使える……と、想定すべきだろう。
茅たちの手前、決して、取り乱したり、焦った様子を見せたりはしないのだが……実のところ、荒野は……茅たちが佐久間の技を修得する前に、悪餓鬼どもが攻めてきて、こちらを壊滅するのではないか……という予測に、戦々恐々としている。
「……ふーん……」
シルヴィは、意味ありげに吐息をつく。
「……そう。
コウ……怖いんだ?」
「ああ。怖いね」
荒野は、素直に頷く。
「以前ならともかく……今となっては、守るべきものが、多すぎる……」
わずか、半年前には、自分一人のことさえ考慮していればよかった。
しかし……今では、まるで違う。
荒野は、荒野単独で存在しているわけではなく……周囲のみんなとの関係も含めて、「現在の荒野」というものが、存在する……と、荒野は自認している。
「守るべきもの……」
シルヴィは、一瞬、目を丸くし、すぐに、ふ……と、微笑む。
「コウ……。
成長したね……」
「どうだか」
即座に、荒野は返答した。
「いろいろな意味で、欲張りにはなったと思うけど……」
ほんの数ヶ月前までは、自分のことさえ、考えていれば、それでよかった。しかし、今では違う。
過酷な……荒野自身にとって、ではなく、荒野を差し向けられた側にとって、過酷な、ということだが……任務に対しても、別に、疑問に思うことも、反抗することもなく、命じられたままに、どんな残忍な真似でも、躊躇せずに、行ってきた。ほんの半年前まで、荒野は、冷徹な兵隊であり、命令を遂行する駒になりきることに、抵抗を感じなかった。
しかし……今では、違う。
そんな荒野の表情を観察して、シルヴィが、ふ、と微笑む。
「コウ……。
自分が弱くなったと、思っている?」
「うん。
正直……」
荒野は、これにも、素直に頷く。
「……半年前の自分とやりあったら……おそらく、勝負にならないよ……」
ここに来て、荒野は、平穏を知った。
それは、個人としては、幸福なことなのだろうが……一面、荒野の精神が、以前のような冷徹さを持ち得ないものに変質した……という、ことでもある。
一言でいえば……荒野の精神は、以前より、よっぽど柔になった。
少なくとも、荒野自身は、そのように自覚している。
「それはね、間違い」
シルヴィは、柔らかく微笑みながら、諭すような口調で、荒野に囁く。
「守るものが増えたコウは……それだけ、器が大きくなったの」
それからシルヴィは、露骨に話題を逸らして、一族とも荒野とも関係のない、四方山話しを繰り広げた。茅の留守中に関係を迫られるかな……と、思っていた荒野は、若干、拍子抜けした気持ちを抱きながらも、シルヴィとの、あまり意味のないおしゃべりに興じる。もともと、幼い頃、兄弟同然に育っているだけあって、お互いが興味持ちそうな話題を把握しあっている。こうした裏を読む必要のない、目的もないおしゃべりは、荒野にとっても気が楽で、それなりに、楽しい。
「……そろそろ、カヤが帰る頃ね」
シルヴィはそういって、自分の腕時計を確認した。実際には、茅がいつも帰宅してくる時刻までには、十五分ほどあったが。
「そろそろ、だな」
荒野は、そう頷く。
夕食後のこの時刻、シルヴィがアポなしで訪ねてきた時は、また何か面倒事かと警戒してかかったものだが……どうやらそれは、杞憂だったらしい……。
「……ヴィは、もう、帰るけど……最後に、コウにニュースを……」
椅子から立ち上がりながら、シルヴィは、荒野に告げた。
「……My sisters come here soon……」
茅が帰宅すると、荒野はキッチンの椅子に座ってぼんやりとしていた。
テーブルの上には冷えきったコーヒーが入ったマグカップが、二客。使い終わった食器類はすぐに洗って片づける荒野にしては、珍しく、使ったままで放置されている。
「誰か、来ていたの?」
茅は、椅子に座ってなにやら考え込んでいる荒野に、尋ねる。
「ああ。
シルヴィが、来ていた。たった今まで、いた……」
張りのない声で、荒野が答える。
「……もうすぐ、若い姉崎が、何人か来日するそうだ……」
……それで、か……。
と、茅は納得する。
現在のキッチンの状態と荒野の様子とを考慮して、茅は、「シルヴィは、しばらく荒野とにこやかに世間話しでもして安心させた後、去り際にその情報を荒野にもたらし、荒野の不安をあえてかき立てた」のではないか、と、推測する。
それも、「姉崎が来る」ということだけを告げて、何の目的で、とか、何人来るとか、そういう詳細な情報を故意に伏せて、荒野を不安に陥れたに違いない。シルヴィは、荒野に対して、時折、そういうからかい方をする。
シルヴィのそうした傾向を、荒野に対する屈折した愛情表現なのだろう……と、茅は理解していた。
そして、荒野はといえば、ただせさえ錯綜している現状を、さらに混乱させる要因が増える……ということで、シルヴィの思惑通り、少し憂鬱になっている……といったところだろう。
「今週の土曜日、また、詳しい検査を行うって、先生にいわれたの」
それはともかく、茅の方にも、荒野に伝えなければならない情報が、あるのだった。
「今度は、現象も一緒……」
[
つづき]
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