第六話 春、到来! 乱戦! 出会いと別れは、嵐の如く!!(75)
「ええっと……ここ、もっと、腰を落として、重心を下腹部に持ってきた上で、こう、腕を振り抜くと……」
楓が目の前に掌底を突き出すと、さして速い動きにも見えなかったが、ぶっおんっ、と、音をたてて周囲の空気が鳴った。
「……体幹部が安定しているのと、していないのとでは……力の伝わり方が違ってきますから……動かすのは腕だけでも、身体全体の力が掌に集まるような感覚を目指して、ですね……」
楓の周囲に輪を作って解説を聞いていたテン、ガク、ノリ、それに、高橋君に甲府太介は、楓の解説よりも、目の前で見た楓の掌底の威力と迫力に圧倒されている。
楓の近くにいた若年組の外で輪を作っていた年長の一族たちもほぼ同様の反応、つまり、腕を前に突き出す……という単純な動作が、これほどの威力と迫力を生み出す……ということを体感し、みな、一様に圧倒され、瞠目し……棒立ちになっていた。
ただ一人、三人娘と肩を並べてみていた茅だけが、表情を変えずにじっと楓の挙動を見守っている。
それから、楓は、テン、ガク、ノリ、茅、高橋君、太介にも同じ動作をやらせて見て、一人一人のフォームをみて、微妙な修正を加えていく。
周囲でみていた、楓よりも年嵩の一族の者たちも、各自、掌の底を突き出して、お互いのフォームをチェックしだした。
「……お前は、やらねぇのか……」
舎人が、若年組のフォームを直して回る楓を指さしながら、傍らの現象に尋ねる。
「今、見て、憶えた」
現象は、不機嫌な顔をして答える。
こいつ……と、舎人は、思う。
今、正面から楓とやりあったら、まともな勝負にならない、と自覚して……不機嫌になっていやがる……。
舎人にいわせれば、「最強の弟子」を仮想敵に想定すること、自体、かなり不遜なのだが……若くて自尊心が強い現象には、同年配の者に、自分が遅れを取っている……ということを自覚させられると、何かしら、傷つくところがあるらしい……。
ナイーブなことだ……と、思いながら、舎人は、
「……いいから、今、ここでやってみろ……。
頭で納得するのと、身体で憶えるのは、違うから……」
と、現象を即し、半ば無理やり、現象には掌底の素振りをやらせ、フォームをチェックする。
いつの間にか、梢も、舎人の隣にきて、舎人と一緒になって、
「ここ、違いますよ。
もっと腰を落として、素早く腕を延ばしきって……」
などと、したり顔で現象のフォームにだめ出しをしていたりする。
「……お嬢ちゃんはやらねーのか?」
舎人は、梢に尋ねて見た。
「まともな佐久間は、直接、荒事に手を染めることはありません」
梢は、澄した顔で答える。
つまり、「まともでない佐久間」である現象は、荒事の修行に励んでもいい……という認識であるようだった。
舎人は肩を竦めて、梢へに対してコメントすることを避けた。
「……なんだか、そっちはかなり仲がいいことになって……」
少し離れていたところで、そうした光景をみていた荒野に、孫子が話しかける。
もちろん、皮肉や揶揄を口調に滲ませているわけだが……。
「……逆に、しょっちゅういがみ合っているよりは、平和でいいだろ……」
荒野は、孫子の揶揄に気づいた振りも見せずに、冷静に返した。半分以上は、荒野の本音でもある。
「楓ちゃん……もうすっかり、みんなの先生だな……」
そばに寄ってきた飯島舞花も、そんなことを呟く。
部外者の舞花からみても、楓は、一挙動一挙動のキレが、ほかの一族の人たちと比較しても、段違いにいい。
最初のうち、茅やテン、ガク、ノリだけを相手にしていた楓は、いつの間にか、その他の年長の一族からも一目置かれるようになっていた。
茅たちに対する教え方が的確……というのは当然のこととして、見本としてやって見せる挙動のひとつひとつが、楓よりも年長の一族の者たちを感嘆させた結果……だった。
毎朝、河原で行われる楓の指導を、その場にいる大半のものが盗み見て、身につけようとする……光景が、今では当然のものになっている。
「生まれ持った能力に頼っているやつらは……一族が伝えてきた体術を、軽視する傾向があるからな……」
荒野は、ぽつりとそんなことを口にした。
六主家に血縁者と楓とでは、筋力や反射神経など、先天的な能力だけ比較すれば、明らかに楓の方が劣る。
しかし、楓は、基本的な技の一つ一つを丹念に極めることで、その不利を事実上無効にし、逆に、大半の一族の者を圧倒するだけの戦闘能力を獲得していた。
楓が、「最強の弟子」として選ばれた理由を、この土地に流れてきた一族は、納得しはじめている。いや。間近で楓の挙動をみれば、納得しない訳にはいかない。
いかに、自分たちが、怠惰な方向に流れていたのか……ということを。
荒野は先日から、楓に茅や三人娘の指導を任せたきたわけだが……それは、予想もしていなかった副産物を生み出していた。
すなわち……六主家の出ではない楓に対する敬意を抱く風潮が、この土地に流れてきた一族の者たちの間で広がりつつあった。
こうした傾向は、荒野にしても予想外のことではあったが……二つの意味で、荒野はこうした風潮を歓迎している。
ひとつは、怠惰な方向に流れて行きがちな、若い術者へに対する、いい刺激になった……ということ。
もうひとつは、この土地に流れてきた一族に対して、楓が、いい「抑え」になる可能性が出てきた、ということ……。
特に後者に関して、荒野はかなり重要視している。
最近でこそ、かなり落ち着いてきたものの……この先、どんな事態が起こるのか、まるで予測の立たないのだ。
荒野にしても現在のような平和な日々がいつまでも続けばいい……と、思ってはいるのだが、そうした希望的観測にすがるほど、荒野は能天気にはなれなかった。
『……何しろ……』
最大の不確定要素であり、懸念事項でもある、「悪餓鬼ども」の情報が、依然としてまるで入ってこない。
野呂と姉崎に手を回して、調査をして貰っているところだったが……荒野の元に知らせが入ってこない、ということは、まだそれらしい成果が上がっていない、ということなのだろう。
場合によっては……春休みとかを利用して、荒野自身で、少し嗅ぎ回って見るかな……とかも、思いはじめている。
進展がない悪餓鬼たちの件にしてもそうだが、荒野の中でも、日本のほかの土地を、この目で見てみたい……という気持ちが、強くなりはじめていた。
朝のトレーニングから帰ってくると、みんなで風呂場に向かい、交代で素早くシャワーを使う。
その時間になると、たいていは真理が朝食の準備をしているので、汗を流した後は、そっちの手伝いにいくか、それとも、香也を起しに行くか……。
例の「当番制」を実施して以来、平日に関してはもめることがなかったが……今日のように、土日になると、必ずといっていほど、揉める。
それぞれ、自分が当番になった日には、早めに香也の部屋に入って、そこで他の面子には話せないような行為を行っている者が大半だったので、なおさら、揉める。
香也を起こしにいく時間が早すぎる者が大半だったから、朝、香也の部屋で何事かが起こっていることは、お互いに気づいていた。気づいてはいたが、お互いに追求されるとやばい部分を持っている者が大半であり、その辺は、あまり深く追求しない……という不文律ができはじめている。
「「「「「……じゃん、けぇん……」」」」」
それで、結局……実に古典的な方法で、「誰が香也を起に行くのか」を決定することになるのであった。
[
つづき]
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