第六章 「血と技」(348)
ケーキを調達した荒野は、新参者の少女たちを引き連れて静流の家に向かった。
店先で荒野が声をかけると、静流が階上から、
「う、上に、あがってきてください……」
と、返事をした。
戸を開けて相変わらずがらんとしている内に入ると、犬の呼嵐が土間の真ん中に寝そべっていた。
「……通るぞ」
何となく、声をかけておいた方がいいような気がして、荒野は呼嵐に向かって小声で呟く。
呼嵐は、前肢の中に鼻面をつっこんだまま、小さく耳を動かしてただけだった。
ケーキの包みを抱えて、二階にあがると、長火鉢を挟んで静流とジュリエッタが差し向かいになってくつろいでいるところだった。
荒野が台所にあがるところで靴を脱ぐと、引率してきた三人は、珍しそうな表情で、その様子を見守っていた。
「……知識としては、知っているだろう?
この先からは、靴を脱いであがる」
荒野がそう即すと、三人の少女たちは、ようやく荒野に倣って靴を脱ぎはじめる。その動作が、どことなくぎこちなかった。日常会話に不自由しない程度に日本語を話せるのだから、日本の生活習慣についてもそれなりの予備知識は持っている筈だったが……三人とも、それまで、椅子と土足の文化圏から離れて生活したことがなかったのだろう。
「……これ、おみやげです……」
階上にあがった荒野は、調達してきたケーキの包みを、静流の目前に差し出す。
「あ、ありがとうございます……」
静流は礼の言葉を述べてから、手探りでケーキの包みを受け取り、
「い、いま、お茶を入れますから……こ、この家に、大勢お客さんが来るのは、これが、初めてなのです……」
といって、火鉢の引き出しから湯呑みを人数分取り出した。
ホン・ファとユイ・リィは、畳敷きの日本間が珍しいらしく、落ち着かない様子でしきりに周囲を見渡している。
「畳の上に、直接、座る」
荒野は、自分も火鉢の前に座りながらそう口にすると、まずイザベラが、意外に慣れた挙動で荒野の隣に胡座をかく。少し遅れて、ホン・ファとユイ・リィが、静流の座り方をまねて正座をして見せた。
静流の正座姿は、たしかに背筋がすっと伸びていて、イザベラの胡座姿や、ドレスを着用しているため、正確な足の形はわからないが、少し崩した正座、いわゆる「横座り」しているらしい、ジュリエッタと比較すると、確かに静流の姿が一番、様子がよい。
ホン・ファとユイ・リィは、二人の様子をみて、格好のよい方を真似したのだろうが……。
……後で、足が痺れてなければいいがな……と、荒野は思った。
静流が手早く人数分のお茶をいれる間に、荒野は静流に断って、一度台所に戻り、人数分の小皿とフォークを持ってくる。それなりに来客があるのか、一人暮らしにも関わらず静流の家に余分の食器があることは、今日、確認したばかりだった。
荒野が戻ると、早速ケーキの箱をあけて小皿にとりわけ、全員でケーキとお茶を楽しみはじめる。静流がお茶をいれると、周囲に何とも形容のしようがない芳香が漂いはじめ、食欲をそそった。
まず、お茶だけを口に含むと、濃厚な香りの割りに、苦みが強すぎるくらいだった。コーヒーでいえば、エスプレッソに近いだろう。ぎゅっと、お茶の成分を濃縮したような液体だった。
が、その直後にケーキを口に入れると、口の中に残った苦みとケーキの強い甘みが一体となって、かなり複雑な刺激を形成する。
……ケーキ単体で食べるよりは、このお茶とのコンビネーションのおかげで、ずっとうまくなっているな……と、荒野は思う。
ジュリエッタ、イザベラ、ホン・ファ、ユイ・リィは、ケーキをした途端、「うっ」とか「あっ」とか小さく呻いたまま、目を見開いて凍り付いた。
しばらく間をおいてから、その場の全員の頬が、自然と緩む。
「……It’s……cool……」
イザベラが、放心した表情で、小さく呟いた。
ホン・ファとユイ・リィが、イザベラの発言に、無言のまま、こくこくと頷く。
全員、それからしばらく、無言のまま、お茶とケーキを楽しんだので、荒野が本題に入るのには、ケーキを食べ尽くして、食後にもっと薄めのお茶を静流がいれてくれてから……に、なった。
今度のお茶は、苦みがほとんどなく、すっと自然に飲めるお茶だった。それでも、飲み込んだ後も、ふっと残り香が口の中に漂う。
「……それで、ですね……」
すっかり全員で飲食に心奪われてしまった後だったから、荒野は、ことさらに真面目な表情をしてみせた。
「みなさんに、これからお願いしたことがあります。双方にとって、有益な提案です……」
しごく真面目な顔をして荒野は切り出し、その後、
「……どうか、この土地で面倒事を起こさないでください……」
と、続けた。
一瞬の間をおいて、イザベラが、げたげたと笑い声をあげはじめた。
「……Oh……Oh……」
イザベラは、腹を抱え、目尻に涙をたたえながら、「HAHAHJAHAHA!」 と、アメリカンな笑い続ける。
「……加納の、プリンス……ひひ。
本当に……噂通りの……苦労性じゃあ……」
言葉が切れ切れになるのは、笑いすぎて息が続かなくなっているからだった。
荒野は、当然のことながら、憮然とした表情をしている。
ホン・ファとユイ・リィが、きょとんとした顔をして顔を見合わせ、その後、
「……それ……どういう噂、ですか?」
と、年長のホン・ファが、イザベラに問いかける。
「……知らんか?」
イザベラは、笑いを噛み殺すのに苦労しながら、答えた。
「……姉様方の間では、ここのところ、加納の若の噂で持ちきりじゃぞ。
仮装して、ひひ、猫耳をつけて、ケーキ食べたり……その他にも、いろいろと……新種たちを相手に、悪戦苦闘をしているというてな……」
……姉様方、というのは、文脈からして、要するに姉崎全般の間で、ということなのだろう……。
……ヴィめ……。
と、荒野は思った。
ここのところ、大人しいと思ったら……ここでの出来事を、特に荒野の醜態をクローズアップして、仲間内に喧伝していたらしい。
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つづき]
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