第六話 春、到来! 出会いと別れは、嵐の如く!!(98)
食事が終わると、羽生が酒瓶を持ち出して、酒宴がはじまる。
最初のうち、舎人は「……運転するから……」とかいって羽生の誘いを断っていたが、「明日、日曜だし、雨が降ってきたし、いっそのこと、泊まっていっちゃえば?」という羽生の甘言と、それに、大勢の女性たちに囲まれて一斉に勧められ、結局はしぶしぶコップ酒を舐めはじめる。
舎人はごつい大男、といっていい体格の持ち主だったが、そうした舎人が悪意のない女性たちに囲まれ、詰め寄られ、背を丸めながらしぶしぶ従う様子は、それなりに見物ではあった。
舎人が飲みはじめるのと前後して、羽生と真理、三島は、シルヴィ、ジュリエッタ、イザベラら、ホン・ファとユイ・リィらと酒見姉妹、梢らを風呂に誘う。シルヴィと酒見姉妹を除けば、全員長旅の直後でもあり、三島らが「日本風の風呂」の長所をいくつか挙げたこともあって、香也の絵に興味を持ったユイ・リィ以外はその誘いに従い、彼女らはテンに先導されて風呂場に向かった。
ユイ・リィはといえば、香也の絵に興味を持ったようで、先程からじっと香也の手元に視線を据えて、動こうとはしない。
そんな様子をみて、羽生がのんびりした口調でユイ・リィに問いかける。
「……ユイ・リィちゃんは、絵に興味があるのか?」
ユイ・リィは、しばらくの間を置いて、ぽつりと答える。
「……わからない……」
ユイ・リィは、続けた。
「今まで……絵を描く人、知らなかったし……。
でも、この人の手……魔法みたい……」
と、香也のスケッチブックを指さす。
「……さっ、さっ……って、動くと、師父の姿が、紙の上に現れる……」
「……んー……。
……魔法じゃ、ない。
強いていえば、技術……。
ぼく程度になら……時間さえかければ、誰でも、描けるようになる……」
香也は、淡々と答えた。
「……誰でも?」
ユイ・リィは、まともに香也の目を見返して、首を傾げた。
「ユイ・リィにも……それ、出来る?」
「……出来るよ」
と、香也は軽く頷いた。
背後で現象が「……ぼくも最近、描きはじめた……」とかわめきだしたが、誰も気に止めなかった。
「……師父の動きを、こんなに明瞭に描くのは……描けるのは……すごいと思う……」
そういって、ユイ・リィは、スケッチブックに描かれたフー・メイの姿を指さす。
簡潔な線で身体の輪郭を軽くなぞった程度のスケッチで、顔も描かれていないくらいだった。が、ユイ・リィの目には、その制止した絵から、明瞭すぎるほどに、師父の動きを感得することができた。
シンプルな香也の線は、フー・メイの肢体の輪郭を切り取ることで、筋骨に込められた力の大小までもを表現している。
故に、その絵に描かれた次の瞬間の師父の動きが、ユイ・リィには、ありありと予測できた。
「……んー……」
香也は、特に謙遜する口調でもなく、平然と返す。
「……あの人のは、手足の動きが速すぎて、ほとんど見えなかったんだけど……」
香也の動態視力はあくまで人並み程度にとどまり、めまぐるしく動き続けたフー・メイの動きよりは、一振りごとに銀色の軌跡を残すジュリエッタの剣撃の方が、まだしも視認しやすかった。
「……ここに描いたのも、ほとんど、あの人が動きを止めている時のものだけだし……」
香也は、そう付け加える。
「でも……よく、見てる」
そういって、ユイ・リィが立ち上がった。
「……そこのページの動きを、できるだけゆっくり、再現してみる。
こう構えて……」
立ち上がったユイ・リィは、緩慢に見える動作で両腕を前につきだし、確かにスケッチブックの中のフー・メイとうり二つの姿勢となった。
特に力んだ様子もないのに、身体全体に、力が漲った……ように、見えた。
「……ここから……こう、とか……こう、とか……」
ユイ・リィが手足をひと振りするごとに、ユイ・リィの小さな身体の周辺で、ぶぃん、とか、ぶぉん、とかいう大きな音と風が発生した。
「ゆっくりと再現」とユイ・リィ自身がいったとおり、フー・メイの時ほどにはシャープな印象はなく、かなり迫力に欠けたが、それでも、間近で見ていた香也は顔に、かなりの風圧を感じた。
「これ……いろいろな状況に応じて対応できる、基本的な型だから……。
今度のは……見えた?」
ユイ・リィが、香也の方に顔を向け、問いかける。
そこまで来て香也は、「自分に見せるために、ユイ・リィが、わざわざ演舞をしてくれたらしい……」ということに、ようやく気づいた。
「……んー……。
見えた……」
香也は、短く答えてスケッチブックをめくり、新しいページに、小さく、何種類かのユイ・リィの姿をさらさらと描きだす。
「……早い……」
その香也の手元を覗き込んで、ユイ・リィが、呟く。
香也がその場で素早く描き上げて見せたのは、やはり、簡単な線で構成されたスケッチブックで、ついいましがたのユイ・リィの動きをかなり正確にトレースしたものだった。単純な線で構成された小さなユイ・リィが、A4の紙の上に、少しづつ姿勢を変えて、何体も並んでいる。
「……おー……。
どれどれ、見せてみ……」
香也が描き終わるや否や、いつの間にか香也の背中ににじり寄り、肩越しににじり寄っていた羽生が、香也の手からスケッチブックを取り上げる。
「……んー……。
この絵は……ほぼ、同じ大きさだし……」
とか、ぶつくさいいながら、羽生は、香也の手から取り上げたスケッチブックから、たった今、香也が描いたページを破り取り、それを丁寧に折りたたんで、何分割かに、手で千切った。
「……ほれ。
こうすりゃ、動きがよくわかるでよ……」
羽生が、千切った紙の端っこを指で押さえて、もう一方の手でぱらぱらと紙をめくってみせると……確かに、描かれたユイ・リィが、動いているように見える。
「……動いてる……。
それに、姉様や師父の動きと、そっくり……」
それまで黙って成り行きを見守っていたユイ・リィが、目を丸くして呟く。
「……パラパラマンガ、知らんの?」
羽生が、ユイ・リィに尋ねる。
「最近の子は、ノートとか教科書の隅に落書きとかしないのかな……」
「……絵が動いている。
こんなの、はじめて……」
ユイ・リィは、目を丸くして、ただただ、驚いている。
「原始的なアニメーションなんだがな……。
わかる? アニメ?
テレビとかで見たことない?」
羽生は、丁寧な口調でユイ・リィに説明する。
「……ない」
ユイ・リィは、しょぼーんとした感じでうなだれ、羽生の言葉に答えた。
「テレビとかネットは、俗悪な内容のものが多いから、って……師父が……」
「……禁止されていたんか……」
羽生が、関心したような、呆れたような口調で息をつき、ゆっくりと首を振った。
「……よしよし……。
ほんじゃ、ま。
おねーさんがよい子たちに、いいもん、見せてあげよう……」
そういって羽生は軽やかな足取りで一旦居間を出て行き、DVDのケースを手にしてすぐに戻ってくる。
羽生が持参してきたDVDをプレーヤーにセットし、居間のテレビで再生しはじめると、ユイ・リィだけではなく、ガクやノリ、茅までもがテレビの前ににじり寄って画面を見はじめた。画面の中では、ゴーグルで顔を隠した、太った老嬢が、銃身の太い短銃でぽんぽん催涙弾を発射しながら、
「……ひこーせきだよー……」
とか、わめいている。
逃げまどった少女が、飛行船の縁から指を滑らせて落下してセピア色のオープニング映像が流れる頃には、子供たちは、すっかり画面の中の世界に視線を釘付けになっていた。
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つづき]
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