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隣りの酔いどれおねぇさん (最終回)
「さ。シャワーを浴びて、ベッドのほうに行きましょう」
加々見さんが、ぼくの肩を軽く叩いて、そういったのは、五分後だったろうか。
若干の疲れはみえるものの、シャワーを浴びている加々見さんの貌も肌も、初めて会った頃よりは心持ち色艶がよくなっているような気がした。
「君にはもう充分良くして貰ったから。まだ、わたしとセックスしたい? やってもやらなくても、もうどちらでもいいわ。こっちのほうはおかげさまで、いろいろな渇きを潤してもらったし」
滴の垂れるぼくの髪を、タオルでガシガシ拭いながら、加々見さんは、そういう。そのときぼくに見せた笑顔は、とうてい、お義理や社交辞令のものとは見えず、加々見さんの心情がそのまま沁み出ているような、自然な笑顔だった。
「本当。君には感謝している。君のおかげで、わたし、すっごく軽くなった。いろいろ、重くなって、身動き取れない、とか思って、一人で悶々としてたのが、すっと、軽くなった。だから、この後は……」
──君が、わたしのことを好きにしていいよ……。
と、そのとき、加々見さんは、いった。
とのことなので、ぼくは、その後、加々見さんに添い寝して貰うことにした。
いや、かなり、限界ギリギリ近くまで疲れてたし。それ以上どうこうってのは、体力的に無理っす。
夢も見ずにぐっすりと眠り、翌朝、先に目を覚ましたのはぼくのほうで、加々見さんを起こさないようにそろりそろりとベッドから抜け出し、着替えて、朝食の用意をする。その途中でバスローブ姿加々見さんが起きだしてきて、キッチンで動いているぼくみつけ、
「……マメねぇ……」
と、半ば呆れたながら呟いた。
朝はコーヒーだけ、という加々見さんのためにちょうどできあがったまばかりのコーヒーをマグカップに注ぐ。ベーコンエッグとトーストを皿に盛り、自分の席に置く。
「えーと、なに……昨日そんなようなこと、ちらちといってたけど、この部屋がやけに殺風景なの、一緒に居た人がでってたばかりだから?」
一緒に住んでた彼女が出て行ってから、ぼちぼち一月ほど。
朝食を平らげながらそういうと、
「君、誰にでもこんなに優しいんでしょ?」
マグカップを口元に抱えて弄びながら、面白がっているようなニヤニヤ笑いを浮かべて、加々見さんがそういった。
「あのね。そういう、全方位無差別放射状の優しさってのは、本当に君のことを好きな女性にとっては、とても辛いものなの。わかる? 君の近くにいればいるほど、君にとって、『自分が、とくに特別な存在ではない』って、いちいち思い知らされるわけだから。その、出て行った彼女も、彼女のほうから君に近づいてきたんでしょ? で、君は、『特に嫌ってもいないから』程度の気持ちで、その彼女を受け入れてた。違う? うん。やっぱり。それでどれくらい? ああ。よく二年も保ったわ、その彼女。
あなたは、とても優しくて、でも同時に、とても鈍感で、とても残酷だから。
わたし? わたしはもう駄目よ。そういうのに付き合う体力、ないし。
昨日はね、いろいろダメージ蓄積してた」所に、不意に優しくされて、ついつい甘えちゃったけどね。そういうのは、もう、昨夜で終わり。そんな顔しなくても大丈夫よぅ。また、どうしようもなく疲れてきたら、ちゃんと、お隣さんに助けを求めますから。そのときは、よろしくね。わたしはね、もう大丈夫。昨日、君に力を貰いましたから。
……うーん……。
そうね。君に似合う人、というのは、たぶん、図々しい人、かな? 君が自分をどう思っているのか、なんて細かい事は気にせず、君にぴたりとへばりついて、君が嫌ったそぶりを見せても、そのまま居着いちゃうような、ちょっと図々しくて、でも、憎みきれない。そんな可愛い人。え? はは。たしかに実際にいたら、結構地雷系かも。でも、面倒見良くて鈍感な君には、それくらいの人の方が、張り合いあるんじゃない?」
さて、ぼくが加々見さんについて語れることも、そろそろ残り少なくなってきた。
その後、加々見さんは、幾つか電話をかけた後、自室の鍵を保管している飲み屋と連絡がつき、午前中のうちにぼくの部屋を出て行った。何日かたって連絡がきて、ぼくのスーツの弁償をしたい旨の連絡がきたので、採寸のために一緒に外出し、お礼代わりに、ぼくの驕りで少し贅沢な外食をご一緒させてもらった。数日後に、想定したより高価な布地のスーツが届き、恐縮してお礼にいった。
それ以上、加々見さんとぼくの関係が進展する、ということもなく、もちろん、お隣りに住んでいるわけだから、それなりの頻度で顔を合わすし、そうなれば挨拶や世間話しもするけど、ただそれだけ。まあ、いいご近所さんだと思う。
ただ、それ以来、あの酔いどれていた夜のように痛々しい加々見さんの姿は、絶えてみていない。会うたびに、柔らかい、見る人を包み込み、安心させるような優しい笑顔を浮かべていて、やはり、そちらの顔のほうが、加々見さんの地なんだな、と思うと、ぼくはとても安心できる。
あの夜のように、加々見さんがぼくを必要とする可能性は、もうほとんどないんだな、と、思うと、いくばかの寂しさも、感じないことはないのだが……。
[おしまい]
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