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第二章 「荒野と香也」(1)
簡単な経緯を説明して、「茅が口をきいてくれない」と三島百合香に相談してみたら、心底軽蔑した目つきで睨まれ、「自業自得だ馬鹿」と吐き捨てるようにいわれた。
よりによって、かの「三島百合香」にそのような態度をとられた、ということで、加納荒野の自己嫌悪がますます募っただけの結果に終わった。
荒野が落ち込もうがどうしようが、容赦なく時間は過ぎ去っていく。
荒野、黙々と二人分の食事を作り続け、荒野との会話も厳然と拒んでいる茅も、黙々と用意された食事を食べる。あれ以来、茅は荒野のベッドに忍んでくることも、髪を洗えと命ずることもなく、まるで荒野などいないように無視して生活をしていた。
おかげで荒野は慢性の睡眠不足から解消されたわけだが、そのかわり、心にぽっかりと大穴が開いたような虚無感に常時捕らわれるようになった。
そんな空しい生活が何日か続き、週末になると、茅は浴衣のままとことこと外出し、三島百合香の部屋に消えた。
「そういえば、前、料理を教えてもらうとかいっていたな」
と、荒野は思い出した。
それから、
「髪も切ったことだし、そろそろ茅の外出着も用意しなくてはな」
ということに、思い当たる。
時期的に中途半端だということと、茅の外界への馴致期間を見込んで、今は遊民生活を送っているが、新年の三学期から、茅と荒野は新しい学校に通う手筈になっていた。気づけば、「茅の外界への馴致」は一向に進んでおらず、日付だけが空しく経過していた。
「まあ、焦るな」
ある朝、そうした不安を相談したら、三島百合香はこういった。
「茅、あれでなかなか頭がいい子だぞ。器用だし、飲み込みは早いし、一度教えたことは忘れない。
それに最近は、なんにでも興味を示す。
……なんかきっかけがあれば、自分で外に出ていって、勝手に遊ぶようになるって」
三島百合香は、茅に料理を教えた経験から、そう断言した。
なんでも、「ここにもレピシがいっぱいのっているぞ」とネットに接続して見せたら、ブラウザの操作方法をあっという間に覚え、自分であちこち検索して見て回った、という。
そういわれてみれば、三島百合香の料理教室から帰ってきてから、荒野の留守中、荒野のノートパソコンが使用されたような形跡も、確かにあった。置いた位置がわずかにずれていることを、それまではあまり不審に思わなかったのだが、試しに帰ってからブラウザの履歴を確認してみると、荒野がアクセスした記憶のないアドレスがずらずらと数百単位のオーダーでログに残されていた。
茅がアクセスしたサイトは料理関係のものに限られたものではなく、それどころか、六割前後が英語や中国語などの、日本語以外で書かれたサイトだった。
それら、ジャンルも言語も雑多な情報を、茅は自主的に検索し、片っ端から読み込んでいったことになる。これらの情報を、茅が完全に読み込み理解しているのだとすれば、茅は、一種の天才児だということになる。
……ありえないことではないな……。
と、荒野は思う。
茅がどのような教育を受けてきたのか、などの情報は荒野には伝えられておらず、依然として謎な部分が多い。
「外界から情報を遮断された環境で純粋培養された天才児」というのは、なるほどイメージとしては戯画的にすぎるかもしれないが、可能性としては、十分にありえる……。
と、荒野は判断する。
いずれにせよ、使用時間的にみても、荒野よりも茅のほうが長く使っているくらいで……。
これでは、誰のパソコンか、わからない……そう思った荒野は、新しく茅専用のパソコンを買い与えることにした。
荒野が持ち帰った新品のノートパソコンを立ち上げ、マンションの室内ならどこでもネット環境を使えるように無線LANをセットアップしてから、
「これ、茅の。自由に使っていいから」
といって手渡すと、茅は、こくん、と頷いて、無言のまま、受け取った。
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つづき]
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