第三章 「茅と荒野」(9)
「……いいか、茅ちゃん」
しごく真面目な顔をして、飯島舞花はいった。
「『いらっしゃいませ、ご主人様』というのは、メイドさんの発言としては、誤用だ。
『いらっしゃいませ』ということは、迎えたのはお客様、ということであり、ご主人様ではない。
ご主人様をお迎えるする時は、『おかえりなさいませ』というのが、本当だ……」
『……真面目くさった顔をして、なに下らん無駄知識を茅に入れ知恵しているかな、この大女は……』
茅がいれてくれた紅茶を啜りながら、加納荒野は思った。
内心では、ひょっとして、この昨日知り合ったばかりの飯島舞花という少女、三島先生につぐ「茅の無駄知識供給源」になるんじゃないのか、と、戦々恐々している。意図的にこちらを困惑させようとする先生と違い、この少女の場合は、ごく真面目に茅に教えているあたり、かえって始末に悪いような気がする……。
「……うまいな、この紅茶。茅、どこでいれ方、習った。親父がこういうの好きだったのか?」
そう思った荒野は、露骨に話題をそらそうとする。
茅は、首を振る。
「紅茶のいれかた、自分で、ネットで調べたの」
……まあ、あのあばら屋に、高級な茶器とか茶葉は、不釣り合いか……。
荒野は、自分が今し方発した質問を自分でも否定した。
茅は、荒野がよく飲むコーヒーが、飲めなかった。
「苦いの」ということだが、育った環境が環境だから、刺激物に不慣れで、苦手なのかも知れない。「甘い物が好き」というのも、以前は、あまり砂糖などの甘味料にありつけなかった反動なのではないか、と、荒野は推測している。
「そうそう。そういや、さ……」
飯島舞花は、先ほどまでとは違う、別の話題を自分から振ってきた。「わけあり」といった途端、荒野たちの事情に踏み込んでこないとこからみても、この少女は、みかけよりずっと気配りができる性質らしい、と、荒野は観察する。
「商店街の例のショー、今日の夕方からだろ? どうせなら、みんなでいかないか? どうせ見るんなら、賑やかなほうがいいだろ?」
どうせ見に……というか、監視に、行くつもりだったので、断る理由はなかった。
荒野と茅、飯島舞花と栗田精一の四人でマンションの駐輪場に、降りる。舞花はMTB、栗田精一は荒野と同じような、実用本位のママチャリに乗っていた。ショーの時間まではまだ少し時間があるが、少し早めについても、マンドゴドラあたりで時間を潰すつもりだった。茅は一人でひょこひょこ頻繁に顔を出しているようだが、荒野は、この前女の子の一団に取り囲まれて以来、マンドゴドラからなんとなく足が遠のいている。それに、いつも御馳走になってばかりだったので、たまにはお客さんを連れていって、わずかでも売り上げに貢献しよう、という気持ちもあった。
「でもなあ。駅前、今日、結構、人出多いってさ」
そのようなメールがさっき友達から届いた、と、飯島舞花はいった。
実際、駅に近づくにつれ、「なんでこんなに人がいるんだ」と思うほどの人垣に阻まれ、途中のコンビニの前で自転車を停めて降りなくてはならなかった。たしかに、クリスマス前後の三連休ではあるが、ターミナル駅でもなんでもないこの駅前は、普段はほとんど地元の利用者しかいない、半ば寂れかかった田舎の駅である……はず、だったが……。
この日は、駅のほうから出てくる人と、駅の方にいく人の、両方の並がぶつかり合ってごったかえす状態に、なっていた。
「……この辺、休日とかになると、これくらい人がでてくるもんなの? 普段」
この土地に来てから日の浅い荒野が、地元民の飯島舞花に尋ねる。
「……いいやぁ!」
飯島舞花は言下に否定した。
「この辺、平日だろうが休日だろうが、連休だろうが、あんまり関係ないよ」
要するに、「この近辺に住んでいる住人しか利用しない駅」という荒野の印象は、さほど的はずれではなかったらしい。
そうこうするうちに、人の間を縫うようにして、ようやく駅前商店街の端っこにつく。アーケードの屋根はここまでは届いていないが、商店はぽつりぽつりと点在する、という感じの場所で、その点在する個人商店のうちの一軒が、茅のお気に入りの洋菓子屋「マンドゴドラ」だった。荒野の感覚でも、たしかに、味はよく、マスターもそれなりに腕に覚えがあるからこそ、立地条件にあまり拘らなかったのではないか、と、荒野は思っている。マスターに直に問いただしたわけではないが。
「お。来た来た。最近、どうしてたんだ? 男の子のほうは、ひさしぶりじゃないか」
いつも接客しているアルバイトの店員たちのほかに、今日はマスターも店先に出ていて、次から次へと大小のケーキを買いにくる客たちを捌いていた。店先には順番まちのお客が、それも、クリスマス・ケーキの予約をしていたお客と、飛び入りのお客の、二種類の列ができており、ずらーっと五十メートルほど伸びていた。マスターと店員たちは、いつものようにお客を店内にいれず、店内にはぎっしりとケーキの入った箱を積み上げて倉庫代わりにし、店先に机をもだして、そこでお客を捌いている。
見たところ、「てんてこ舞い」という表現がぴったりくるような、忙しさだった。
いくらクリスマスはかき入れ時、とはいっても、ここまでお客が来ているとは、荒野は予想していなかった。
「みてくれよ、この人!」
マスターはいった。
「君らのCMも結構評判になってたけどさ、あの、トナカイとサンタ、なんか予想以上に噂、広まっててさ。
この三日間でファイナルだってことで、県外からもかなり人が集まってきているらしい。
うちの店なんか、君らの影響との相乗効果で、見たと通りすごいことになっているよ!」
マンドゴドラのマスターは、ニコニコと笑いながら、荒野たちに怒鳴るように説明した。
笑いが止まらない、というのは、こういう状態なんだろうな、と、マスターのダイナミックな笑顔をみながら、荒野は思った。
マンドゴドラの売り上げに対し、そこまで貢献した荒野たちは完全に賓客扱いで招き入れられ、そこだけはガランとしたマンドゴドラの喫茶室に通される。そこのカウンターにつくやいなや、「見ての通りの状態なんで、あんまり相手できないけど」と、マスター自ら、適当に見繕った飲み物とケーキを人数分、運んできて、またすぐに接客にもどっていった。
「……茅。ここでは、コート脱ぐなよ。絶対」
荒野は、隣に座った茅の耳元に、そう囁く。
その茅が、ケーキを口にいれて表情を変えるたびに、外に並んでいる客たちが黄色い声を張り上げて喜んだ。外から見ている人たちから見れば、今、自分らの頭上につり下げられているディスプレイに映っている人物と同じ人物が、まったく同じような表情をしているわけで……。
「ご、御馳走になっといてこういうこというのなんだけど……」
飯島舞花は、荒野にいった。
「なんか、落ち着かないな、ここ」
荒野も、同感だった。
四人は早々にマンドゴドラを辞し、駅前の特設ステージへの向かう。
そのまま出て行くのは怖いので、マスターにひと言断って、厨房のほうにある、店の裏口を使わせて貰って、マンドゴドラを後にした。
[
つづく]
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