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彼女はくノ一! 第五話 (27)

第五話 混戦! 乱戦! バレンタイン!!(27)

 昨日の騒ぎが知れ渡っているのか、通学中、香也たちのグループに声をかけてくる人が、いつもより格段に増えた。
 一行の中では比較的目立たない風貌の香也、栗田精一、樋口兄弟なども、いつの間にか名前が知られているようで、樋口大樹は誰にともなく「もう、ここいらで悪いことできないな」とか、ぼそりと呟いた。別に「ここいらで悪いこと」などするつもりはないが、その所感には香也も思わず頷きたくなる。
 他の、なにかと目立つ面子に引きずられて、という理由が大きいが、香也自身の顔や名前もいつの間にか学校内外に浸透しており、もはや、「目立たない一学生」とはいえなくなっている。基本的に他人の顔は憶えても、名前を覚えることが苦手な香也は、クラスメイト全員の空で似顔絵くらいはその場で描けるが、名前は記憶していない。しかし今では、香也の顔と名前のほうは、しっかり知られている。校内でも「狩野香也」の顔と名前を知らない人間のほうが少数派だろう。
 そのように考えると、香也自身はさして変わっていない(少なくとも、変わったという自覚はない)が、年を越したあたりから、香也を取り巻く環境は、激変している……といっても、過言ではなかった。
 それ以前は、そもそも通学中に、見知らぬ生徒や近所の人々に挨拶される、などという経験を、香也はしたことがない。
『……それもこれも……』
 彼らが、来てからのことだ……と、香也は思う。
 香也自身に関しては、その変化が良い変化かどうかと言えば……一般的な基準で考えれば、いい変化……に、なるのだろう。
 それまで、樋口明日樹を除けば学校内に親しい友人がおらず、また、香也自身、そうした存在を特に必要としなかった、という状態は……ごく普通に考えれば、やはりいびつな在り方だった……と、香也自身でさえ、思う。
 たとえ、香也自身の中に「それでも別にかまわない」と思ってしまう部分があったとしても……そうした個人的な心情と、世間並みの基準は、また別の問題だ……ということも、香也は理解している。
 そうした状況を、有無を言わさずに変革してしまったのが、「彼らの出現」によるものなわけだが……。
「香也に与えた影響」のほうはともかく、「彼ら自身にとっては」、今の状況というのは……。
『どうなんだろう?
 少し前までは、荒野さん、目立つことをひどく警戒していた気がするけど……』
 今では、「どうせ、手に余る」と言わんばかりに、開き直っているようにも、見えた。
 最低限、荒野自身と茅、この二人は、あまり人前にでないようにしている……つもり、らしい、けど……。
 彼ら、荒野と茅の二人は、ただでさえ、普通に往来を歩いているだけでも、十分に目立つ風貌の持ち主だった。
 それが……今では、学校どころか、この近所では、顔を知らない者がいない、というほどの有名人になっている。特に商店街の近辺では、顔だけではなく、名前のほうも知れ渡っていたし、名前を知らない人々にしても「ほら、あのケーキ屋のCMにでてた」といえば、即座に「ああ。あの」と頷くような存在になっていた。
 そうした現状というのは、荒野にとって……。
『本意か不本意か……といったら、不本意な筈、なんだけど……』
 それ以前に、次々に襲いかかってくる予想外の出来事に対処する方で、手一杯なのだろう……と、いう気もする……。

 香也にとって、友人知人が増えることは、たぶん、いいことだ。
 しかし、荒野にとって、自分のことを知る人間が増えるのが、いいことなのかどうか……。
『まあ……ぼくなんかが考えても、どうしようもないことなんだけど……』
 結局、香也はそんな結論をつける。
 とはいっても、以前の香也なら、そもそも、「他人の身を案じる」ことができるほど、他人に興味を持つことさえなかったわけで……。
 香也自身はさほど自覚していなかったが、香也も、確実に内面に変化を起こしていた。

「……泳ぎを習いたい?」
 昼休み、加納茅が柏あんなに頼み事をする場に香也が居合わせたのは、単なる偶然だ。昼休み、食事が済んでからも、香也は大抵自分の席で大人しくしている。柏あんなの席は、香也の席からいくらも離れていなかった。
 故に、とことこ歩いてきた茅が、柏あんなに話しかけた内容も、特に聞き耳を立てていなくとも自然に耳に入ってくる。
「茅、泳いだことないの」
 加納茅はそういって、柏あんなに頷いた。
「それに、水泳は全身運動だって、この間読んだ本に書いてあったの」
「あー……まったくの、初心者さんかぁ……」
 柏あんなは、なにやら考え込む。柏あんなは水泳部に所属していた。
「どうせシーズンオフで、部活は毎日あるって訳じゃないし……。
 教えるのはいいけど……部長……飯島先輩のほうが、教えるの、うまいよ……」
「舞花より……」
 ずい、と、茅は柏あんなのほうに身を乗り出した。
「……あんなのほうが、茅の体型に近いの」
 柏あんなは、身を乗り出した茅のほうをまじまじとみつめた。
 特に、胸のあたり。
「……同士よ」
 しばらく間を置いて、柏あんなは、右手を差し出す。
 茅は、柏あんなの右手をしっかりと握りかえした。
「……茅ちゃん、水着持ってる?
 持ってなかったら、今日か明日、買いに行こう……」
「……あ、あの……茅様……」
 しばらく茅の後ろで成り行きを見守っていた楓が、慌てて割ってはいる。
「放課後、学校から離れるのなら、わたしも一緒に……」
「……楓ちゃんも、一緒に水着買いに行く?」
 柏あんなは、にこにこ笑いながら楓のほうを振り向く。柏あんなは、笑顔のまま、楓の全身に視線を走らせた。
 特に、胸のあたり。
「楓ちゃん……水着、似合いそうだもんね……」
 目が、笑っていなかった。

 今週の土曜日は、狩野家で三人組の歓迎バーベキュー・パーティーが予定されており、柏あんなも堺雅史とともに呼ばれている。
 日曜日は、その三人と一緒に茅が健康診断を受ける日だった。
 だから、練習の第一日目は土曜日の午前中、市立の温水プールにいって運動をしてお腹を空かせた後、バーベキューでタンパク質を補給する、ということに決まった。
 茅も楓も、水着を持っていなかったが、学校へまとまった現金を持っていなかったので、一度帰って着替えてから、再度集合してショッピングセンターに行こう、ということになった。

[つづき]
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