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彼女はくノ一! 第五話 (30)

第五話 混戦! 乱戦! バレンタイン!!(30)

 バス停の前で柏あんなと別れ、玄関前で茅とも別れて、五人で狩野家の中に入っていくと、夕食ができあがるところだった。バイトが遅番であるらしく、羽生譲の分は用意されておらず、本日も帰宅しないのか二宮荒神の分の食事もなかった。
 楓と孫子はそれぞれの部屋に一旦戻って上着を脱ぎ、荷物を置く。三人組はそれではあきたらず、買ってきたばかりの水着に着替えて居間に戻ってきて、香也の前でくねくねとまだ中性的な体をくねらせてポーズらしきものをとってみせてから、ようやく炬燵に入った。
 香也は、「……んー……」と唸るだけで、三人の水着姿に関する明確なコメントは差し控えた。
 水着姿のまま炬燵に入り、三人はそれぞれに「今日の出来事」を身振り手振りを交えて賑やかに語り出す。日中はほとんど家の中……少なくとも三人のうち二人、テンとノリは、羽生譲の部屋に入り浸っていた。その間、ガクは暇を持て余して昼寝をして時間を潰していた、ということだった。
 学校から帰ってきた楓や孫子たちと合流してからは、三人が一緒に行動していたこともあって、説明に熱が入っていた。
 初対面だった柏あんなの印象、はじめて乗ったバスでの出来事、水着売場での自分たちの行動……そんなことを三人で交代交代説明しながら、説明する。
 賑やかな食事が終わると、三人はそそくさと自分たちの食器を片づけ、水着のまま風呂場に向かった。
 賑やかな三人が居間から姿を消すと、一服してから今度は一時間前後、楓と孫子の二人で香也の勉強をみる。昨年末からはじまった習慣だが、なんどか形態を変化させながら、今では「楓と孫子の二人で、居間で行う」という形に落ち着いている。楓も孫子も、さすがに絵を描いている時は遠慮するものの、それ以外の時に相手を香也と二人きりにするのは危険だ、と、考えており、しかも二人ともそれを隠そうとしていない。
 そうした牽制合戦も、他人の目があるときは多少緩和される傾向があるので、香也の発案で、「三人で、居間で」という形に、現在では落ち着いている。学校の勉強については、香也は決して積極的に取り組んでいるわけではない。が、それでもつきっきりで見る限りはそれなりに真面目にやってくれるので、香也の教科に関する基礎知識は、着実に蓄積されている。今の時点では同級生の平均に追いついているとはいえないが、毎日の積み重ねが効を奏し、香也の基礎学力は着実についていた。
 そうして香也の勉強をみている間に、三人組がバスタオルだけを体に巻き付けただけ、というあられもない恰好で「着替え、忘れたー」と騒ぎながら居間を通って自分たちの部屋に駆け込んでいった。時間的にもちょうど区切りのいいところだったので、本日の香也の勉強はそれまでとなった。
 香也は庭のプレハブに、孫子は自分の部屋に、楓は風呂場に向かう。

 風呂から上がり、パジャマの上に上着をひっかけただけの軽装で庭のプレハブに向かう。香也が母屋に帰ってきた痕跡がなかったから、まだそちらにいるのだろう、と、思った。
 遠慮がちにプレハブの中に入ると、予想もしなかった人物が香也と寄り添うようにして立っていた。というより、椅子に腰掛けたノリに、側に立った香也が覆い被さるような姿勢で、こちらに背を向けていた。
「……な、な、な……」
 いつもならこの場にいそうな面子、孫子とか荒野とかの姿は見えず、完全に、二人きり、だった。
「なにしているですかー!」
 思わず、楓は大声を上げていた。
「……んー……」
 こちらに背をむけていた香也が振り返り、楓の顔を確認すると、どことなく困ったような、ばつの悪そうな顔をした。
「なにって……ノリちゃん、絵に興味あるっていうから、ちょっと描き方教えていたんだけど……」
 楓と目が合うと、パジャマ姿のノリが決まり悪そうな表情をして、楓に向かってちょこんと頭を下げる。
 ノリは落ち着いていたし、香也も、戸惑ってはいるものの、慌てた様子はない。
「ノリちゃん、初めてだから手がついてこないけど……いい観察眼、していると思う……」
 椅子に座ったキャンバスに、スケッチブックがたてかけえあり、そこには鉛筆描きの描きかけの静物画がみえた。香也の線よりは、よっぽどたどたどしいから……やはり、ノリが描いたもの、なのだろう……。
 香也もノリも、やましい行為をしていたような形跡は、全くなかった様子だった。つまり、楓の早とちりだったわけだが……。
 楓は、なんとなく面白くなかった。

 その晩、布団を敷いて横になった楓は、あることにはたと思い当たり、香也の部屋の前に原始的なトラップをしかけた。
 香也の部屋の前の低い位置に、細い紐を渡し、それに鈴をつける。
 それから自分の部屋に帰って浅い眠りをとる。

 夜半、案の定、かすかな鈴の音が鳴った。
 音もなく跳ね起きた楓は、枕元に用意していた紐を掴んで香也の部屋の前に、気配を絶って急行する。
 襖を開けて、眠そうな顔をしたガクが香也の部屋に入ろうとしているところだった。
『……やはり……』
 夕食時、ガクは「今日はすることがなかったので、昼寝をしていた」という意味のことを言っていた。
 だから、夜に眠れなくなり、また香也の部屋に忍び入るのではないか……という楓の読みは、当たった。
 ガクに気づかれないまま、ガクの背後に忍び寄った楓は、素早く細い紐でガクの体を戒めはじめる。
 そこでようやく楓の存在に気づいたガクは、目を見開いて楓の顔を見る。
 ガクが口を開けた瞬間、楓の顔の横からぬっと伸びた手が、持っていた小さなスプレー容器から「なにか」を噴霧した。
 すると、ガクはすぐに目を閉じ、がくり、と頭を落とす。
 楓が振り向くと、すぐ背後に立っていた孫子と目があった。
 楓と孫子は、無言のまま頷きあう。
 現在の状況下では、二人の利害は一致していた。

 ガクは、香也の部屋の前の廊下で、細くて頑丈な紐でぐるぐる巻きにされているところを、翌朝、ノリとテンに発見された。
 なんとなく、昨夜、ここでなにが起こったのか察したノリとテンは、ガクの体をそのまま三人の部屋に放り込んで、そのまま朝のランニングに出かけた。
 二人とも、この時までに「楓と孫子には敵わない」ということが脳裏に刷り込まれていたし、どちらかというと、悪いのは性懲りもなく香也の部屋に夜這いをかけたガクのほうだ、ということも弁えていた。

 ガクは、ノリとテンがランニングから帰ってきて起こされるまで、ぐるぐる巻きに縛られたままで、平和に眠っていた。

[つづき]
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