第五話 混戦! 乱戦! バレンタイン!!(32)
結局、その日図書館にいいたのは二時間ほどだった。
最初のうち、三人ともはじめて目の当たりにする膨大な書物に圧倒され、それが分野別に棚別に分類されていることに気づいてぽかんと口を開けたままになった。これだけの、何万冊もの蔵書が自由に閲覧できる、いう事実に、ある種の空恐ろしい気分になった。
三人のうち、テンは、昨日のうちに他の二人に先駆けて「ワールド・ワイド・ウェブ」の体験を済ませていたが、ネットの世界は、基本的に動的に情報を求めない限り、目の前に飛び込んでくることはない。
その点、今、目の前に存在する圧倒的なまでに膨大な書架は、否が応でも三人に、今までいた世界がいかに狭いものだったのかを、実感させた。
島では、厳重に吟味されたごく少数の書物しか与えられておらず……こうして、多種多様な書物に囲まれて、はじめて三人は、自分たちがいかに「閉ざされた」世界で育てられたのか、実感した……と、いってもいい。
「……これ、全部……本?」
「こんだけのもの……誰かが、書いたり作ったりしたんだよなぁ……」
「本当に……ヒトって、いっぱいいっぱい、いたんだね……」
「世界の人口、六十億以上、っていってたろ?
日本だけでも、一億以上……」
「そのうち何千だか何万だかが、こうして日夜本を作っているんだなぁ……ご飯もとらずに……」
この台詞を翻訳すると、「直接食料生産に従事しない人口が、万単位以上で存在する」というくらいの意味になる。
島での狩猟生活が長い三人にとって、「ご飯」すなわち「食料」とは、「生産するもの」というよりは、「とる」ものなのである。
「……そっかぁ……ヒトって、本当にたくさん、いるんだなぁ……」
テンそういって感嘆せると、他の二人もうんうんと頷いて同意を示した。
いつまでもそうして感嘆しているわけにもいかないので、三人はカウンターに座る図書館の職員に声をかけて、目当ての本のありかを尋ねてみた。
最初のうち、三人の外見だけをみて児童向けの本が置いてあるコーナーに案内しそうになった職員を遮り、テンはとりあえず「遺伝子操作の実際についての本が置いてあるところ」、ノリは「美術書」、ガクは「なんでもいいから、面白そうな本が置いてあるところ。ただし、絵本やマンガ以外で」というオーダーを伝える。
パートタイマーらしい中年女性の職員は、怪訝な顔をしながらも素直にテンとノリの注文については、すぐに目当ての書架を教えてくれた。ガクについては、少し質問をして、ガクが「絵画やイラストについてまったく興味が沸かない」ということを確認すると、
「……ここなら、やさしい言葉遣いで書かれた物語が置いてありますから……」
といって、「ヤングアダルト」のコーナーに連れてきてくれた。
市立図書館のヤングアダルトの書架だから、海外の児童文学からけばけばしいカバーのライトノベルの文庫本までが雑然と固まっている。
「ものがたり、ってなに?」
ガクが素直に疑問を口にすると、
「おはなし。
全くの架空のおはなしがほとんどだけど、元になる出来事が現実にあって、それを脚色しておもしろおかしくしたものもあるわね」
「って、いうことは……よするに、嘘?」
「嘘……では、あるけど……本当以上に本当のような、面白くて良くできた嘘も、世の中にはいっぱいあるの」
「それって……全部面白いの?」
「ものによる……いえ、正直にいうと、本当に面白いといえるのは、この中の、ほんの一握り」
「その、一握りって、どれ?」
「それは、教えられないわね」
「どうして?」
「面白さ、といのは、本を読む人によって違うものだし……それに、図書館の職員は、そういうことをいってはいけない決まりになっているの。
君にとって面白い本は、君自身が捜さなくては意味がないし」
「ふーん……そういうもんなの」
「そういうもんなの」
そういうと、その職員はカウンターの中に戻って返却された本の整理などを再開しはじめた。
そうしてガクが「フィクション」という概念について初めて接し、やや哲学的な「面白い本の探し方」について簡単なレクチャーを受けている頃、ノリは大判の美術書を取り出して、書架の近くの空いた机の上に拡げていた。
平日の昼間とはいえ、図書館の閲覧室はお年寄りを中心にして、それなりに席が埋まっている。
ノリが選んだのは、たまたま目に付いたエッシャーの画集だった。一見整然としていて、その実、よく見ていくと時空がねじ曲がっているような騙し絵を多く残した画家だった。たまたま開いたページの絵は、ぐるりと四角形に描かれた階段が描かれていた。その階段を目で辿っていくと、途中からその階段が上り階段なのか下りの階段なのかわからなくなる。
そもそも、階段がどこにもつかず、四角く輪をかいて繋がっていることからして、現実の世界ではありえないわけで……そうした絵をみたことがなかったノリは、頭がくらくらする感覚を味わいながらも、いつまでもじっくりとその絵を見続けていた。
英字の本も含めて、分厚い専門書を何冊も机の上に集めたテンは、椅子に腰掛けると一冊づつ取り出してばらららとページをめくる。周囲の大人たちは、難しそうな学術書ばかりを選んで集めたテンに一瞬注目したが、すぐに「なんだ、真似事をして遊んでいるだけか」と結論づけてテンから視線を外した。
だが、動体視力と記憶力に優れたテンは、実際にそうしてページが開いた一瞬で内容を把握し、記憶し、同時に、読んでもいた。二冊、三冊とめくりとばす間に、前後の本で同じ用語を違った訳語で表現しているのを関連づけたり、記述に矛盾のある箇所を頭の中でリストアップしたり、重複した内容を読み飛ばしたりしている。
ごく短時間のうちに集めた本の全てを「読み」終えたテンは、飛躍的増大した知識に満足しながら、新しく吸収したキーワードを元に、まだよく理解できていない概念などを説明する書物を求めて、読み終えた本を戻しがてらに、新しい本を探しに行く。
ガクは、「面白い本」を出し惜しみして教えてくれない職員の態度に不満を持ちながら、「ヤングアダルト」の書架をざっと見渡した。
やけに目が大きく描かれた表紙のライトノベルはとりあえずパスすることにして……ガクは、翻訳物であるらしい、ハードカバーの本が並んでいるあたりの前にたつ。
いくつか取り出して、表紙をみてみる。
童話調の絵が描いてあったり、少女マンガ調の絵が描いてあったり、古風な服装をしたやや写実的な人間が描かれていたりしたが……ガクは、イマイチ食指が動かなかった。
『……あれ?』
いくか表紙をみてみた中で、ガクの興味を引くものがようやく現れた。
『みず、の……ほとり……。
すいこ……とでも、読むのかな?』
表紙には、昔の中国風の甲冑を着込んだ武者が描かれている。
裏表紙に書いてあった「あらすじ」をみてみると、ある役人が間違えて、山中に閉じこめていた百八つの魔星を解き放つところからはじまる……お話、のようだ……。
『まあ……嘘……なんだろうけど……』
武術を使う人間がでてくる「おはなし/嘘」であるなら、なんとかガクでも興味が持てそうだった。
なんとなく手に取った「水滸伝」を読み始めると、ガクは途端に夢中になった。
最初の魔星を解き放つエピソードこそまるっきりの「嘘」だったが、それ以降は、腕に覚えのあるチンピラとか小役人とか元軍人とかが、なにかと理由をつけては暴れ回る話しだった。
訳文も、子供向けとはいえ文語体を意識した歯切れのいい文章であったため、ガクにも抵抗なく読むことができた。難しい漢字や単語はルビや注釈がついていたが、もともと年齢不相応の知識を持っていたガクは、それらをいちいち参照せずとも、そのまま物語を愉しむことができた。
ガクは、自分が「強いやつらが暴れ回る」お話しが好きであることに、初めて気づいた。
テンの速度にはとうてい及ばないものの、ガクも意識を集中すれば、十分に読む速度は相当に早い。
あっという間に「武松の虎退治」のくだりまで読みすすめたところで、ぽん、と肩を叩かれて我に返った。
『……もう少しで、素手で虎を殺せるところだったに……』
そんなことを思いながら振り返ると、
「……向こうで、テンが鼻血、出したって……」
ノリが、どこか白けた顔で立っていた。
「……どうも、頭を使いすぎて、血が頭に昇りすぎたらしい……。
向こうで、横になっている……」
そんなわけで、テンの鼻血が止まるのをまって、三人の帰路についた。
三人の図書館遠征第一回目は、こんな感じで終わった。
[
つづく]
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