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髪長姫は最後に笑う。第五章(89)

第五章 「友と敵」(89)

 樋口未樹は小一時間ほど共通の知人や世間話に花を咲かせた後、「あ。もうすぐ人と会う用事あるから」といって、あっさりとマンションから出て行った。荒野も、使ったマグカップなどを洗って片付けた後、昼食にもまだいくらか間がある時間だったので、ショッピングセンターに置きっぱなしの自転車を取りに行く。三島の話しでは、今回の検査はかなり本格的なものだから、茅たちが帰ってくるのはかなり遅くなる、ということだった。
 考えてみれば、荒野が一人で過ごす休日、というのもかなり久しぶりなわけで、でも、荒野はこれといった趣味を持たなかったので、一人っきりで羽根を伸ばすいい方法も、これといって思い浮かばなかった。
 この土地に来てからは、多少の心配事には事欠かないものの、代わりに、命に関わるような大事からも遠ざかっている。
 ここ数年……というより、さして長くはない荒野の後半生は、後者のタイプの「大事」の連続であり、非常にスリリングなものではあったが、代わりに、のんびりとした余暇の過ごし方、というのも学習しそびれてしまった。
 もっとも、スポーツや反射神経がものをいうタイプのスポーツは、荒野と一般人とでは土台の性能差がありすぎて、よほど手を抜かなければまともなゲームとして成立しないのだが……。
『チャリンコを取って帰ったら……とりあえず、作るのに時間のかかる、凝った料理にでも挑戦してみるか……それとも、お隣りのプレハブにでもいってみるか……』
 そんなことを、考える。
 こうしてみると、荒野にとって、お隣りのプレハブで香也の後ろ姿を眺めることが、いい気分展開になってくれていることに、今更ながらに気がつく……。
 少なくとも、あそこに居る間は普段気にしている雑事のことを考えずに済む……。

 ショッピングセンターの駐輪場から愛用のママチャリを引き出し、それに跨ってマンションの方に進む。
 ショッピングセンターは、国道沿いにあった。
 平日はそれなりに混み合う国道も、休日になると途端にがら空き状態になる。これは、このあたりにこれといった地場産業というものが存在しないためで、ショッピングセンター前のこの国道も、利用者はほとんど地元住人だけに限られていた。
 それでも、平日休日を問わず、ショッピングセンターの駐車場出入り口の前後はそれなりに混み合ってはいるが、そこから数百メートルも離れると、とたんに閑散とした有様になる。
 車道が空いていると、路肩を走っている自転車の方も走りやすい。
 一年のうちで今前後が一番寒い時期、ということで風は冷たく、ただ自転車をこいでいるだけで鼻が痛くなるほどだが、零下四十度以下の環境下で作戦行動の経験もある荒野にとってはどうというほどのこともない。むしろ、この適度に不快な環境下にあることを実感すると、体のほうが喜ぶ。血が騒ぎ、ついついスピードを出しそうになってしまい、慌てて自粛する。
 楓や三人組に「目立つことはするな」と常々いっている手前、いつぞやのように、自転車でスピード違反をして捕まるわけにはいかないのだった……。

 ……などという荒野の思惑を無視して、わざとマフラーを外してけたたましくエンジン音を鳴り響かせた単車が、背後から、荒野の乗るママチャリに迫ってきた。
 荒野もテレビの報道特集とかちらりと見て、存在だけは知っている、暴走族とか珍走団とかいう奴ららしい。ほとんど過去の遺物と化しているようだが、田舎の方には、まだ希に棲息しているらしい……。
『……そういや、ここも田舎だったな……』
 荒野は、すぐに追い越されるだろう、と、たかをくくっていた。なにしろ、単車と自転車である。速度差が、ありすぎる。
 しかし、その予想は見事に外れ、その、三台ほどの単車は、路肩を走っていた荒野のママチャリの前後、それに右側にぴったりとつけて、つまり、歩道のガードレールと三台の単車で取り囲むようにして、これみよがしにエンジンをふかしはじめた。
 騒音がうるさいし、それ以上に、排気ガスが酷い。
 間近でみてみると、彼らの単車は、スクーターに毛の生えたような非力な排気量のものだった。走りを楽しむ、というより、他人に迷惑をかけることを楽しんでいる、としか、思えない。
『……さて……どうしようかな……』
 荒野は、少し考えた。
 振り切るのは簡単だったが、目立つのは本意ではない。
 よりによって今日は、通学以外の外出には欠かさないニット帽をかぶらずに出てきてしまった。目立つ髪をみれば、遠目にも荒野であることははっきりと分かる……。
『やっぱ……彼らには、勝手にこけて貰おう……』
 三台の荒野に対する害意はもはや明確で、特に荒野の右側につけている単車がぐいぐ車体を寄せて、と荒野のママチャリをガードレールに押しつけようとする。もはや、その単車のハンドルが、荒野の自転車のハンドルに触れあわなんばかりになっている。
『……逃げ場がない、と、思っているんだろうな……』
 単車のライダーがサディスティックな笑みを浮かべているをチラリと確認し、荒野は他人事のように、そう思った。
 荒野が「普通の一般人」なら、たしかにそうなのだろう……。
 荒野は、なんの予備動作もなしに、すぐそこにまで寄せてきた単車のハンドルの下に掌をつっこみ、真上に跳ね上げる。
 一般人には見えないほど、俊敏な動作だった。
 荒野と併走していた単車が、一瞬、とはいえ、ハンドルを大きく取られ、たちまち派手な音をたててこけた。
 荒野の前後を走っていた単車は、なんにもないのにいきなり派手な横転をした仲間に気づき、慌ててブレーキをかける。
 前後、どちらのライダーも、ぽかんと口を開け、間抜けな顔をして、横転した単車を見つめていた。
 予兆もなにもなかったから、なんで仲間がそこで転がるのか、理解できなかったに違いない。
 荒野は、彼らの間をすり抜けて、悠然と走り去った。
『……単車って、ちょいとバランスを崩せば、こうだから……』
 荒野には、何故単車で取り囲んだ程度で彼らが優位を確信できるのか、まるで理解できなかった。
 走っている単車は、それはもう、倒壊しやすいのだが……。

『……それよりも……』
 昨日、プールで羽生譲を取り囲んできた奴ら、それに、今回の単車、と続くと……。
『これ……やはり、佐久間の予告……あるいは、挨拶、なんだろうな……』
 無関係の一般人に暗示をかけて動かす、というのは、「傀儡操りの佐久間」の常套手段だった。
 一回ならともかく、二回も同じようなことが続いた、となると……これは、やはり「佐久間の主流がこちらに干渉を開始した」という合図、なのだろう……。
 佐久間のやり口は、多くの一般人を巻き込む……。
 単なる偶然かも知れないが……覚悟は、しておいたほうが良さそうだ……と、荒野は思った。
 そして、家路を急ぎながら、なるべく無関係の一般人を巻き込まない方法はないものか、と、考えこみはじめた。

[つづき]
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