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彼女はくノ一! 第五話 (64)

第五話 混戦! 乱戦! バレンタイン!!(64)

 ノリに続いて孫子までがプレハブを出て行くと、香也は一人になった。香也一人が取り残されたプレハブの中は、妙にしんと静まり返っている。
 この中で一人きりでいることは、以前は特に珍しいことではなかった……と、いうよりは、一人でいることが、むしろ当然だったわけだが……こうして、実際に誰もいなくなって見ると、妙に背中が寂しい。
 ……彼女たちが側にいることが、いつの間にか……自分の中で、「当然」になってしまっている……と、香也は感じた。
 それでも香也は、途中まで描きかけたキャンバスをイーゼルにたてかけ、絵の具や筆の準備をはじめる。ゲーム関係の仕事が一段落した今の時点で、少しでも自分自身の絵を進めておきたかった。
 そして、実際にキャンバスに筆を走らせはじめると、香也は日常の細々とした事柄は忘れてしまう。目の前の絵に意識を集中させていくと、絵に向き合っていない時の香也の日常、は、香也にとってかなり遠いで出来事になってしまう……。

 そうしてどれほどの時間がたったのか、香也は、背後に人の気配を感じ、少し顔を巡らせて、横目で確認をした。
「……来てたんだ……」
「うん。少し前から」
 いつの間にか、荒野が来ていた。
 荒野のプレハブへの来訪は気まぐれで、いつも物音をたてず、ひっそりとやってくる。楓がこの家にくる前などは、今とは違ってこの家の周辺も静かなものだったので、荒野が背後に来ているのに、香也が何時間も気づかなかったことさえ、珍しくはなかった。
 香也と荒野のプレハブでのやりとりは、決して親しげなものではない。荒野はむやみに話しかけて香也の邪魔をしようとはしないし、香也は、もとより能弁ではなく、香也が話しかけない限り、荒野はなにもいおうとしないのをいいことに、自分の絵に向きあい続ける。
 錯覚なのかもしれないが、香也は、こうしている時、言葉のやりとり自体は少なくとも、二人の間にはどこか親密な空気が流れている……と、感じていた。
 香也は、このような時間が、決して嫌いではない。
「学校の帰りに聞いたボランティアとか……あれ、玉木さんの?」
「玉木と有働くんの合作だな。
 玉木は商店街に人を呼びたいだけらしいけど、有働くんは根が真面目だから……」
「動機はどうでもいいけど、自分が、誰かの役にたてる……誰かに必要とされるって、いいことだよね……」
「……ああ……」
 この時、荒野はひどく複雑な表情をして頷いたのだが、荒野に背を向けていた香也には、その表情を確認をできなかった。
「そう……だな。
 とてもいいこと、なんだよな……」
 荒野は「……多分」と、口の中で小さく付け加える。
 その声は、小さすぎて香也の耳には入らない。
 香也は香也で、
『……彼ら来てから……』
 自分たちの周辺が、めぐるましく動き出していること、肌で感じている。香也自身の絵も、彼らがここにこなければ、家族と樋口明日樹くらいしか目にする者も注目する者もなく……ただひっそりと暮らし続けたのだろう。
 口には出さなかったが、香也は、そんなことを思っている。
「また……はじまったか……」
 不意に、荒野が、香也には意味不明な呟きを漏らした。
「今回は、ギャラリーが多いかな……」

 羽生譲の部屋でスキャナーを使用して香也の絵を取り込んだ後、そのデータをゲーム製作のsnsにアップロードし終えた楓は、不意に顔を上げた。
 その場を、たまたま通りかかったフロ上がりのガクが、目にとめる。
「……どうしたの?」
「師匠が……」
 パジャマ姿のガクが問いかけると、楓は言葉少なにそう答え、羽生のパソコンを終了させ、足早に自分の部屋に向かった。
 事情は分からないまでも、楓の様子にただならぬものを感じたガクは、楓の後について歩く。
 いったん自分の部屋に戻った楓は、手慣れた動作で普段着の上に手足や肩の部分に、革製のホルダーを身につけはじめる。装着したホルダーに手裏剣や六角などをぎっしりと差し込み、武装を終えた楓は、軽やかな足取りで玄関に向かった。自身の体重に匹敵する投擲武器を身につけている、とは、とうてい思えない身軽さだった。
 その迫力に気圧されながらも、ガクは、楓の後をついていく。
 武装した楓とガクが二人で玄関に向かうと、居間で炬燵にあたりながらパソコンをいじっていたテンも、異変に気づいてその後を追った。
 玄関から外に出たところで、庭のほうからやってきたノリと、何故か、スケッチブックを抱えてノリを追って来た孫子も、その集団に合流する。
 玄関を出た所で、楓が気配を断ったので、後に続いた連中もそれに従った。
 気配を断った楓は疾走をはじめ、すぐに塀の上、電柱の上へと身軽に飛び移っていく。
 敵……の、存在を想定した、自分の進路を読ませないための蛇行だ……と気づいた後続の連中の間に、にわかに緊張が走った、その時……。
「……甘い……」
 電線の上を疾走していた楓の足首を、何者かが、掴んだ。
 足首を掴まれ、地上に叩きつけられながらも、楓は、落下中にもかかわらず、正体不明の襲撃者に六角を投げつけた。
 楓を地面に叩きつけた襲撃者は、楓が投げ付けた六角に向かって突進する。
 足から地面の降り立った楓は、くないを抜いて突進してくる襲撃者に備える。
 が、その襲撃者は楓の迎撃態勢をものともせず、楓の正面に降り立ち、ぐわぁ……と、楓の体を、無造作に真上に放り投げた。
「これ、返すね」
 襲撃者はつまらなそうにそういって、空中にいる楓に向かって、ある物を、投げた。
 先程楓が襲撃者に投げた、六角だった。
 六角は、先程楓が投擲した時以上の速度で、空中にいる楓を追いかける。
 六角が楓の胴体を貫くかにみえた、その寸前……楓の体が、不意に軌道を逸らした。
 いつの間にか、楓は手にロープを握っており、そのロープの一端は、近くの電柱に巻き付いている。
 楓がロープをひいて着地するよりも、早く……襲撃者が、跳んだ。
 驚異的な跳躍力で、一足で、電柱よりも上にある楓の目前に迫る。
 襲撃者は、無造作に腕を払って、楓の胴体をなぎ払う。
 しかし、襲撃者の腕が捕らえたのは、楓の上着だけだった。
 どうした手段を使ったのか、いつの間にか、楓は襲撃者の背後を回り込んでいる。
 楓は、背後から襲撃者に向かって、ある物を投げた。
 楓の投げた物は、襲撃者の目前で、ばっ、と音をたてて広がった。
 以前、学校でテンを捕獲したのと同じ、投網、だった。
 襲撃者を包み込むように展開する網……逃れることはできないと思われたそれを、襲撃者は、腕の一振りで振り払う。
 ぶん、と、襲撃者が手刀を振ると、襲撃者の周りに展開していた網は、その軌道の部分だけ、すっぱりと裂けた。
 そうしてできた隙間を貫くようにして、襲撃者は再度、楓の目前に迫る。
「……二度目」
 襲撃者に放り投げられた楓の体が、高々と宙に舞った。
「……今日は、ギャラリーが多いねぇ……」
 悠然と電柱上に降り立った襲撃者……二宮荒神は、誰にともなく、そう呟く。

 そのギャラリー……楓の後を追って来た孫子と三人は、目を丸くして言葉を失っていた。

[つづき]
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