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彼女はくノ一! 第五話 (67)

第五話 混戦! 乱戦! バレンタイン!!(67)

 放課後、香也はいつもの通りに、美術室へと向かう。自分の部活がない時、いつもついてくる楓は、掃除当番に当たっていたため、遅れてくるという話だった。
 香也が美術室につくと、珍しく顧問の旺杜先生がいた。美大を出ても他に職がなくて、しかたがなく美術教師になった、と公言してはばからない旺杜先生は、放課後、美術室に姿をみせることは滅多にない。
「お。相変わらず、絵に関してだけは真面目だなぁ、狩野……。
 真面目なのもいいが、若いうちはもっと寄り道して遊ばないと、視野が狭くなるぞ……」
 香也の顔をみると、旺杜先生はそんなことをいう。
 香也は、挨拶がわりに「……んー……」と唸ったきり、なにも返答しない。
 一見やる気がなさそうでいて、授業はしっかりやる。その代わり、顧問である美術部の活動に関しては、美術室の合鍵を生徒に渡して、事実上放任。しかし、基礎がしっかりとできている香也の絵を「面白味がない」とバッサリ切る批評眼も持っている。
 旺杜先生とは、そういう先生だった。

 旺杜先生は、私物のカメラを取りに来ただけのようだった。
 ごつい望遠レンズがついた古風な銀塩カメラを抱えて美術室を出て行こうとする所で、美術室に入って来ようとする玉木や有働と鉢合わせになった。
「……なんだ? お前ら……。
 樋口や松島はよく来るが、お前らが来るのは珍しいな……」
「ええ……ちょっと、そっちの狩野君に用が……」
「おい……放送部……。
 また変なこと、たくらんでいるんじゃないだろうな……。
 狩野を巻き込むのは勝手だが、へた打って職員会議を長引かせるような真似はするんじゃねーぞ……。
 あんなんで拘束されても、残業代もなんもでねーんだから……あんま、安月給の公務員をいじめるなよ……」
 と、旺杜先生は玉木の顔をまじまじと見つめて、いった。
「いえいえ。
 今度のは、人助けでして……。
 どうです、先生も一口……」
 玉木は愛想よくそう返事をし、旺杜先生に計画中のボランティア活動について説明をしはじめる。
 旺杜先生も、うさん臭そうな顔をしながらも、しばらく玉木の話に耳を傾けていたが、ひとしきり聞いた後、
「駄目駄目!
 おらぁ、そういうの、かかわらない!」
 と、ぴしゃり、と、断った。
「……あのなあ……教師の給料ってのは、ただでさえ、安いんだぞ……」
 旺杜先生は、玉木に向かって夢も希望もない話をしはじめる。
「たとえば、だ。
 こうして部活の顧問として、放課後、生徒たちに何時間か付き合ったとする……その分の残業代が出るか出ないか、っていったら……でないんだなぁ、これが……」
 だから、自分は極力、部活には出ないで、生徒たちの自主性に任せている、と、旺杜先生は胸をはった。
「部活の監督した分のお給料って……でないんですか?」
 玉木の目も、点になった。
「いや……まったく出ない、という訳ではないんだが……。
 補助金って名目で、ほんのスズメの涙ほど金額だ……」
 旺杜先生は、「一時間あたり、ン円」と端的に金額を告げる。
 玉木の目が、点になった。
 旺杜先生があげた金額が、玉木の基準からいっても、あまりにも低額だったのだ。
「……それって……コンビニやファーストフードのバイトのほうが、よっぽど……」
「公務員は、原則としてバイト禁止だ」
 旺杜先生は、憮然とした面持ちで答えた。
「だから、おれは、授業以外の仕事は、極力断るようにしている……」
 信念を持って、「割に合わない仕事はしない」と生徒に断言する教師もどうかと思うが、玉木の方はコクコクと頷いている。
 実家で商売をしている関係上、コストに対する感覚には、敏感になっている玉木だった。
「それはそれは……ご同情申し上げます……。
 ささ。どうぞどうぞ。堂々と、サボってくださいまし……」
 玉木は頭を下げて、芝居がかった動作で道を空ける。
 旺杜先生は、「うむっ」と重々しく頷いて廊下にでて、去っていった。

「……でも、ああいう話し聞いちゃうと、ますます先生を引っ張り込むのが難しい、ってことになっちゃいますねぇ……」
 旺杜先生の背中を見送りながら、有働が玉木に囁く。
「うーん……そのあたりは、もう一度人選からしっかりと考え直そう……」
 玉木は有働にそう答え、中にいた香也に手をあげながら、美術室に入って行く。
「や。あまりカッコよくないほうのこーや君、今日は時間作ってくれてありがとう……」

 香也が、「どういう絵が欲しいのか?」と尋ねると、
「……なんかこう……。
 未来は君が作る!
 みたいな、希望に満ちたポーズで……」
 そういって、左手を腰に当て、右手で空中を指さしてみせた。
 玉木の考える、「希望に満ちたポーズ」であるらしい。
「……玉木さん……それは、ちょっと……あまりにも……」
 流石に、有働が玉木の案を却下する。
「……んー……」
 香也は、一向に要領を得ないので、珍しくいらつき始めている。
 オーダーを出されて、その通りに描く……という作業は、羽生譲の同人誌で慣れているつもりだったが……具体的に構図まで指示して来る羽生と、漠然とした、抽象的な注文しかしてこない玉木たちとでは、かなり勝手が違う。
「……もう少し、具体的に……なにをどう描け、といってくれると助かるんだけど……」
 とりあえず、そういってみる。
「そもそも……校内で使用するポスターっていう話だけど……学校側は、そのポスター掲示する許可、もうだしているの?」
 いつもの放送部の壁新聞のように、「貼りました、剥がされました」では、しょうがない。出し惜しみをする訳ではないが……香也はそんな無駄なことのために、労力を傾けたくはなかった。
 香也は、荒野たちとは違って、ボランティア活動うんぬんについての、詳しい説明を受けている訳ではなかった。
「そ、それは……」
 玉木が、香也から目線をそらす。
「許可は、これからです」
 そんな玉木に変わって、有働が、重々しく香也に答える。
「でも、絶対に認めさせてみせます……。
 活動自体、意義がある、ということもありますが……それ以上に、これは、加納君や松島さん、才賀さんたちのため、なんです……」
 そういって、有働は自分たちの計画を香也に説明しはじめる。
 その途中で、樋口明日樹や楓が美術室に入って来た。

「……大体のことは、わかったけど……」
 途中から話を聞いた樋口明日樹は、軽く眉をひそめた。
「それ……大掛かりすぎる……と、思う……」
 明日樹の目には、玉木と有働の計画は、学生が、課外活動として行う規模を……かなり、上回っているように思えた。 
「仮に、可能だと仮定しても……わたしたち、来年、三年生……。
 受験生、だよ……。
 そんなことにかまけている余裕、あるの?」
 樋口明日樹の思考は、思いっきり地に足がついていた。常識的だった……と、言い換えることもできる。
「受験」という単語を聞いて、玉木が、目に見えて動揺した。
「……大丈夫です……」
 しかし、有働のほうは、動揺した様子はなかった。
「玉木さんも、他の参加者も、勉強のほうは、決しておろそかにはさせません……」
 がたいがでかく、普段から真面目で成績もいい有働がそう断言すると、なんとなく重みがあった。
 ひっ! と小さく悲鳴を上げて逃げようとした玉木の肩を、楓ががっしりと取り押さえる。
「わたしも……学年は下ですけど、英語とかならご協力できますから……」
 楓の目が、妖しい光りを帯びている……ように、玉木には感じられた。
 ぞわぞわぞわ、と、玉木の背筋に悪寒が走る。
「……やっぱりみんなこっちにいたのか……。
 ちょうどよかった。例のボランティアのことでちょっと提案が……って、何やってるんだ、お前ら……」
 その時、美術室に入って来た荒野が、玉木の体を取り押さえている楓を、不思議なものを見る目でみつめた。

[つづき]
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