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「髪長姫は最後に笑う。」 第五章(116)

第五章 「友と敵」(116)

 楓、ガク、テンが帰ると、途端に茅が荒野に身をすり寄せてくる。ここ数日、茅はこれみよがしに荒野にじゃれついてくるようになっている。
 荒野にしてみれば、「毎日のようにそんなにひっつかなくともいいだろうに……」とは思うのだが、同時に、決して悪い気もしないので、邪険にも扱えない。
 基本的に、荒野は、茅には甘い。

「お風呂、湧いているの」
 と手を引かれ、荒野と茅は脱衣所でさっさと全裸になり、風呂場に入る。
 風呂場に入るとすぐ、茅は正面から荒野に抱きついてきた。
「荒野の……硬い……」
 茅は、お腹に当たった荒野の感触を、端的に言葉にする。
「……はいはい」
 荒野は故意にやる気のない声を出した。
「そんな、毎晩やらなくてもいいでしょ?
 昨日も一昨日も、あれだけやったんだし……あんまりがっつくと、そっちの身が持たないぞ……」
 そういって茅の肩に手を置き、半ば強引に茅を腰掛けさせ、肩から背中にかけて、ざっとお湯をかける。
 一通り、茅の体にお湯をかけ終えると、今度は茅のほうが、荒野に背中を向けさせ、お湯をかけ、肩のあたりで、感触を確かめるように掌を滑らせて、まさぐる。
「……荒野の肩……背中……広い……」
 切れ切れにそういう茅に、
「男だからね……」
 と素っ気なく返して、荒野は立ち上がり、湯船に体を沈めた。茅もそれに続き、荒野の前に割り込むように、湯船にはいる。
 しかし、もともとバスタブが狭いので、茅の体は完全には入らない。窮屈そうに膝を屈め、体のごく一部がようやくお湯に浸かっている、という状態だった。
「一度に二人は無理だって……。
 茅、いつものように、先に体を洗ってろよ……」
 茅が体を洗っているうちに荒野が湯に浸かり、茅が体を洗い終わったら、荒野が茅の洗髪を手伝う……というのが、いつもの手順だった。
 荒野がそういうと、茅は立ち上がって、荒野のと向き合い、そこで浴槽の縁に腕を廻している荒野の上に覆い被さるようにして、顔を近づける。
「荒野……・
 茅、荒野の役に立ってる?」
 上から荒野の顔を見下ろした茅の顔は、意外に真剣なものだった。
「十分に、役に立っていると思うけど……」
 荒野の方は、何故いきなり茅がそんなことを言いはじめたのか……その理由が掴めなくて、少し戸惑っている。
「楓よりも? あの三人よりも?」
 茅は、さらに続ける。
「……あー……」
 荒野の方にしてみれば、茅と他人と……楓や三人組と比較する思考は、そもそも持ち合わせていない。
「茅は……役に立とうが立つまいが……あいつらとは、別格だ。
 ……おれの中では……」
 そう、答えるより他、なかった。
 紛れもなく、荒野の本音だった。
「でも!」
 普段、感情の起伏を表面に出さない茅にしては珍しく、声を大きくする。
「荒野、朝、あの三人に秦野の相手させたし……楓にはいろいろ命令するのに、茅にはなにもいってくれないし……」
『……なるほど……』
 荒野は、段々と、納得してくる。
『茅は……おれの、役に立ちたいと……思っているわけか……』
 さらにいうのなら……褒めて貰いたい、のだろう……。
「あー……茅。
 ひょっとして、コンピュータのこと、いきなり勉強しだしたのは……」
「荒野の役に立つことをすれば、荒野が褒めてくれると思ったから……。
 荒野、玉木たちのボランティア、成功させたいんでしょ?」
 荒野は、軽く目眩を感じた。
 役に立つのか立たないのか、と言われれば……今夜のコンピュータの扱い方を見ただけでも……茅が、そこいらの一般人が束になったのよりも、よっぽど役に立つ存在なのである……。
『茅、って……』
 楓以上に、能力と自覚とが、アンバランスだ……。
 まだまだ発現しきっていない、膨大な潜在能力を持ちながら……メンタリティの面では、まだまだ、親に褒めて貰いたがっている、子供……あるいは、飼い主に気に入られたい子犬……。
 この状態というのは……ひとつ、扱いを間違えると……とても、危険なことなのではないだろうか……。
「念のために聞く。
 茅、朝のランニングはじめたりして、体を鍛えはじめたのは……」
「茅、強くなって、荒野の役に立つの。足手まといには、ならないの……」
 即答、だった。
「茅の心がけは、嬉しい……」
 荒野は、慎重にいった。
 ここで間違ったことをいって、かなりうまくいっている茅との関係に亀裂が入ったら……外的な要因に拠らず、今まで築いてきたもの、今、守り通そうとしているもの全てが、瓦解することになる……。
 茅ならきちんと説明すれば分かってくれる……ということも確信はしていたが……今更ながらに、荒野は、茅が「生身の人間」である、ということを強く意識し、緊張していた。
「第一に、茅を守り通すことが、おれの仕事だ。
 だから、茅を荒事の前線に出すことは、ありえない……」
 茅は、少し間を置いて、頷いてくれる。
「第二に、今の時点で、茅は最大の隠し球だ。
 楓や三人のデータはかなり外部に流出しているようだけど、茅の能力については、今の所、あまり注目されていない……」
 というより……荒野自身、茅の潜在能力の全てを、把握しているわけでない。
 いざという時のために、知らないままでいるほうがいい、とさえ思っている。
「いわば……茅は、切り札だ。
 切り札は、最後の最後まで、伏せておくもの……。
 本当の勝負時まで取っておきたいから……当分の間、他の一族の者がちょっかいだしてきたら、楓とか三人とか、あるいはおれとかが、相手をして……そいつの手の内を、さらけ出す……。
 だから、当面、茅はそういうのを観察して、いろいろな奴らの技や術に対して、対応策を練っていてくれ……」
 実際、茅は、技を見切ることには、長けている。
「茅にもしも、万が一のことがあったら……おれが、困る。
 だから、当分は、おれに、茅のことを守らせてくれ……」

 茅は、先ほどよりも長く沈黙して考え込んでいたが……ようやく、頷いてくれた。
「荒野がそういうのなら……当面は、茅、他の人たちのことをみて……どうしたら対抗できるのか、考える……。
 みんなに守られて、そういうことを考えるのが、しばらくは茅の仕事……」

[つづき]
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