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「髪長姫は最後に笑う。」 第六章(13)

第六章 「血と技」(13)

 屋上の手摺りまでガクに追いつめられたテンは、ギリギリの所で身をかわすことに成功した。テンの背後にあった手摺りなど存在しなかったように、ガクは、易々と六節棍を振り抜く。紙でも割くように、スチール製の手摺りは易々と叩き裂いていった……。
 テンは、ガクの動きを止めようとしている。完全に身動きを封じることが出来ればベストだが、それが無理なら、最低限でも、この屋上から外へは出したくない……。
 理性を失い、あらゆる抑制が効いていないガクに比べ、いテンは明らかに不利だった。ヘルメットから、なにやら話し合っている声が聞こえるが、ほとんど頭に入ってこない。今は、ガクの気をひきつつ、ガクの攻撃をかわすので精一杯だった。
 今のガクは……目の前にあるすべてのもの、とりわけ、動くものを破壊することしか、考えていない……。
 そして、理性を失ったガクが闇雲に振り回す棍の動きは、いつもにも増して鋭かった。
 テンにしても、避けるのがやっとで……
『……もともと、瞬発力は凄かったけど……』
 今は、さらに威力を増している。
 こうして対面しているから、なおさらそう感じるのかも知れないが……。
『早さも……倍増、している……』

 人は、自分の体に負担をかけ過ぎないよう、無意識のうちに、普段から自分の動きをある程度抑制している。だから、普段の生活で、筋肉が、自分の骨が耐えられないほどの負荷をかけることは、ない。そうした抑制が……リミッターが……今のガクには、効いていないようにみえる……。
 闇雲に六節棍を振り回すガクは、一挙動の度にぎしぎしと体のどこかをきしませている。それに、呼吸も、時折息をついている程度で、あまりしていないようにみえる。体温も、上昇している。それも、かなり危険なほどに……。ガクの全身は、雨ですっかり濡れていたが、雨をすって重くなった服から、際限のない水蒸気が立ちのぼっている。ガクの体温で、水分が蒸発している、と考えると……ガクの体は、過剰な運動によって発生した熱を、排出しきれていない……オーバヒート状態に、なっている……。
 先程までは、切れ切れの、意味の通らない譫言じみた言葉であっても……ガクは、人間の言葉を話していた。
 今は、獣じみたうなり声しかあげていない。
 そんな状態のガクを相手にして、テンが今まで何とか持ちこたえられたのは……テンが、ガクの攻撃を避けること、それに、ガクをこの屋上から出さないこと、の二点のみを、考えていなかったからだ……。
 ガクと付き合いが長いテンは、攻撃をする寸前に瞬きをする、とかいう類いの、ガクの些細な癖を、いくつも熟知している。
 だから、ガクの興味を自分に引き付け、なおかつ、逃げ続けることができた。
『でも、もうそろそろ……』
 限界、だった。
 普段の状態であっても、テンはガクより一段劣る。なおかつ、今のガクはリミッターが外れた状態であり……。

「……よく保たせた、お嬢ちゃん……」
 いつの間には、ゴツイ顔をした、鉄扇を持った若い男が、テンと肩を並べていた。いや、テンが、ガクに対して神経を集中させていたあまり、男が近寄るのに気づかなかった、というべきか……。
「よく、この状態の二宮相手に、ここまで粘ったもんだ……いや、これは、明らかに二宮以上か……。手負いの、獣だ……。
 初対面だったな。だが、この際だから、自己紹介は簡単に。おれはこれでも、二宮の端くれ。
 端くれ、とはいっても……足止め程度の役には、立つぜ……」
 そういってテンに太い笑顔を見せる。
 二宮舎人、だった。
「……今のガクの攻撃、まともに受けない方がいいよ……」
 ちらりと二宮舎人の顔と鉄扇に視線を走らせて、テンがつぶやき、すぐにガクに視線を戻す。今のガクから長時間目を離すのは危険だし、「二宮の端くれ」と名乗った男の持つ鉄扇くらい、ガクなら正気の時でも六節棍の一閃で破砕できる。
「分かっているって……」
 ガクは、新たに出現した男、二宮舎人に向って六節棍を突き出しながら突進して行く。
 二宮舎人は、わずかに身を逸らして六節棍の切っ先を躱し、鉄扇でガクの六節棍を下に叩きつける。
 ガクの六節棍がわずかに下がると、男は、ガクの六節棍に手を置いて、身を横に旋回させる。
 いきなり男の体重、という負荷が六節棍にかかったガクは、さすがに、前のめりに姿勢を崩した。
 すると今度は、男は軽く跳躍し、前のめりになったガクの背中を踏み台にし、ガクの背中側に降り立つ。
「……このお嬢ちゃん、荒野以上の馬鹿力なんだろ?
 勝てやしないから、まともにやりあうつもりはないが……注意を分散させるのだって、一人と二人とでは、まるで違う……」
 ガクが、完全にノリに背を向け、その男の方に振り向いた。

 この男は……たしかに、分かっている。
 自分の能力の限界を過不足なく把握し、その及ぶ範囲内で、最大の効果を狙う方法を……。
 この男の筋力や速度など、基本的な性能は、テンにもガクにも、それに多分、荒野や楓にだって及ばないのだろうが……それでも、経験の蓄積により、自分の資質を十全に活用する術を、心得ている……。
『……じっちゃんと、同じタイプだ……』
 テンはそう評価し、すると同時に、安心感で足元が崩れそうになる。なにしろ、秦野とたっぷりと一時間以上遊んでから、今までで一番恐ろしい敵と、たった一人で相対してきたのだ。
 ともすればへたり込みそうになる自分自身を、テンは叱責して、六節棍を構え直す。
「二宮の端くれ」と名乗った男は、最初の時と同じく、うまくガクの攻撃を受け流していたが、いつまたガクが自分の方に興味を戻すのか、予断を許さない状況だ。
 それに……とにかく、今の状態のガクを、この屋上から出して、野放しにするわけにはいかない……。

『……テン、聞こえる?』
 いきなり、ヘルメットの中に孫子の声が聞こえた。
「……孫子おねーちゃん!」
『今からガクに、眠くなるクスリを打ち込んでみますわ。
 急なことなので、弾数が限られていますけど……』
「それ、この間使ったやつ?
 ……でも、効果は望み薄だと思う……」
『え? どういうこと……』
「あの状態のガクって……免疫機構や、内蔵の機能も強化されているみたいなんだよね……。
 何年前にああなった時も、じっちゃんが熊用の睡眠弾、打ち込んでみたんたけど……何分か、多少動きがにぶくなったくらいで……ああなったガクは、どうも、そういうのも、すぐに分解しちゃうみたいで……」
 その時、ガクは催眠弾を打ち込まれてからも丸二日暴れ続け、その間、テンとノリ、それにじっちゃんの三人は、不眠不休で狭い島を逃げ回った。
『わかりました……。
 効果は期待しないで、それでも念のため、やってみましょう……』
「……おじさん!」
 テンが、「二宮の端くれ」に声をかける。
「今からガクに薬物が打ち込まれるから、少し離れていたほうがいいよ!」
「お、おじさん……っと……」
 いきなりおじさん呼ばわりされた二宮舎人は一度姿勢を崩したところをガクに叩かれそうになり、慌てて唸りを上げてむかってくる六節棍を避ける。
「おじさん、は、ないなぁ……おれ、まだ二十……」
 二宮舎人がそんなことをぼやいている間に、ガクが自分の胸の前、何もない空間に対して、遮二無二六節棍を振り回しはじめる。
「おじさん、下がって。クスリ、打ち込まれた!」
 孫子とテンとの通話は、ヘルメット越しになされたため、舎人は孫子の言葉を聞いていない。
 さらに何歩か下がった舎人がよく見ると、確かに、ガクの六節棍が振るわれる度に、何かが破砕される音がかすかに消えて、プラスチックのような質感の破片が、雨の中に見分けられた。
「……理性を失っている状態でも……弾丸、落とすかね……あれ、ライフルだろう……」
 舎人は、鼻に皺を寄せ、弾丸が飛来してきた方向に顔を向ける。

 孫子が打ち込んだクスリの成果は、あったといえば、あった。
 六節棍を振り回していたガクの四肢から力が抜け、腕をだらんと下げて、握っていた六節棍を取り落とす。辛うじてたってはいたが……体を前後に揺する……。
 慌てて二宮舎人が、ガクの取り落とした六節棍を蹴って、遠くに飛ばす。
 と……クスリが効いていた筈のガクが、不意に顔を上げて奇声を発し、二宮舎人を威嚇した。
 それでも……ガクから得物を取り上げることができたのは……成果だ。

『……荒野……』
 どこの誰が仕組んだのか知れないが……とんでもない子供たちを、作ったものだ……。
『お前さん、この子らを……一体、どこに連れて行くつもりだ……』

[つづき]
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