第六章 「血と技」(14)
「……か、茅さん……。
意外に、足、早いんですねぇ……」
校門を出たあたりで、一度は茅に追いついた有働勇作は、今ではすっかり行きを切らしている。有働は、特にスポーツをやっているわけではないのだが、体力には自信がある。足も、クラスの中で、早い部類に入るだろう。
雨の中、傘をさしながら走っている……という条件を差し引いても、茅の足は、有働のそれに匹敵するものだった。
体格も違うし、男子と女子という違いもあるから、短距離なら有働のほうが断然有利なのだが……長距離の持久走となると、茅のほうに軍配があがる。
何しろ、茅は、全力疾走の姿勢を保ちながら、いつまでも速度を緩めない……。
「茅……毎日、走っているの……」
茅は、そうとだけ、答えた。有働と話しをする時間も、茅は惜しいらしい。茅は、傘さえさしていない……。
そうして商店街の方向に急行している茅と有働を、
「おっさきにー!」
とかいいながら、追い抜いていく集団があった。
妙に……足が速い。というよりは、人間離れした走りだった。
「あっ……校庭の……」
有働が、声をあげかける。
校庭で、荒野とやり合って……そして、簡単に一蹴された連中だった。
「……おれたちゃ、正義の味方ちゃんを助けにいきまーす!」
などと喚きながら、その連中はあっという間に姿を消した。
『なんか……どんどん……』
派手なことになっている……と、有働は思う。
今回、荒野は、他に尊重すべきこと……他ならぬ、自分たち、実習室に集まっていた生徒たちの、あるいは、商店街に居合わせた人々の、身の安全を優先して、あえてリスクを覚悟し、自分の身をさらした形、だったが……。
『……本当に……』
これで……この選択で、正しかったのだろうか……。
と、根が真面目な有働は思ってしまう。
少なくとも……。
『当初、狩野君が目指していた……平凡な一学生として、地味に暮らす……』
という構想は、もはや崩れている……。
少なくとも、あの時、実習室にいた生徒たちは……もはや、荒野を、自分たちと同じ一学生とは見なせないだろう……。
『今は、立て続けにいろいろな事が起こるので、頭が追いつかないだけかも知れないけど……』
明日とか明後日とか、あるいは、それ以降とか……とにかく、もう少し時間がたって、荒野のことをよく考えてみる余裕が与えられたら……。
そこまで考えて、有働は首を振って、思考を中断した。
今、自分が考えても事態が好転することではないし……それに、これは、個々人の感情の問題だ……。
自分としては……。
『……最悪のことを、回避するよう……』
自分なりに、努力することしか、出来ない……。
有働は、自分は無力だ……と、そう思った。
有働は、悪い方の予測ばかりしたがる自分自身を叱責し、茅の背中を追うことに専念する。
茅と茅を追う有働は、商店街のアーケードを潜り、いつもの週末に比べると五割り増し程度の人手をかき分けながら、早足に先へと進む。この雨のせいか、たしかに普段よりは人が、それも、普段ならこの商店街では見かけないような人々が集まってはいるが……年末の、あの奇妙な混雑と比較してしまうと、なんとなく寂しく思ってしまう……。
有働が黙って背中を追ううちに、茅は、店頭に荷台を出して、デジカメ用のメモリーや電池、それに使い捨てカメラなどを売っていた電気屋さんの横を挨拶もなしにすり抜け、店の奥にある事務所へと直行する。茅の後をついてきた有働も、今朝お世話になったばかりの電気屋さんに頭を下げて、それに続く。お客さんの対応に追われている電気屋さんは、有働に対しておなざりに手を振っただけだった。
店の奥には……荒野が一人で、座っていた。
荒野の様子を一瞥して……有働は、息を詰めて、立ちすくむ。
『……ボロボロ……じゃあないか……』
いつもの荒野は……ふわふわの銀髪をなびかせて、愛想よく笑っている……という、印象が強い。
今の荒野は……髪も服も雨に濡れ、ぴったりと肌に貼り付けて、震えながら、湯気の立っているプラスチックのカップをいる。しかも、上着を着ておらず、いかにも寒そうに、細かく、震えていた。
顔面は、いつもにもまして蒼白だ。
よく見ると、顔や手の所々に、細かい切り傷がある……。
茅が荒野の膝に手を置くと、荒野は顔を上げて、閉じていた目を開いた。目が、真っ赤に充血している。
「……茅……か……」
声も、ガラガラだった。
有働の位置からは、茅の表情は確認できなかったが……肩が、強ばっているように見える。
「おー。お前らも来たか……。
ちょうどいい、茅、ちょっと手伝え……。
荒野は、目を閉じてじっとしていろ……」
裏口から入ってきた三島百合香が、救急箱から脱脂綿を取り出し、それにたっぷりと消毒液を浸し、荒野の顔を拭いはじめる。
「荒野は……少し、じっとしてろよ。見たところ、縫うような傷はなさそうだが……こんな傷だらけで、あんな得体の知れない煙の中につっこんだんだ……催涙ガス、とかいってたな? ソッチの方はよく知らんけど、察するに、タバスコと豆板醤とマスタードをブレンドしたプールの中に、頭の先まで入ったようなもんだろ? ん?
とりあえず、今は顔と手だけをやっておくが、着替えとタオルが来たら、念のため、全身を消毒しておくからな……。
茅は、小さな傷は軟膏、大きな傷には絆創膏貼ってくれ……」
三島と茅が荒野に取り付いている間に、玉木と徳川が前後して入ってくる。
それぞれ、タオルやスポーツドリンクのペットボトル、フリーサイズのスェットスーツ、それに大きな薬屋の紙袋、それに何故か、マンドゴドラのロゴが入った箱、などを抱えていた。
玉木は、有働と茅に声をかけてから、持ってきたタオルを荒野の頭にかける。茅がすぐに荒野の背後にまわり、ごしごしと荒野の濡れた髪をタオルで擦りはじめた。もう一枚のタオルを玉木が荒野の膝元に置くと、荒野はそれで自分の体を拭いはじめる。
「ええと……消毒液と、それに喉の薬も、か……。
なんだ、徳川にしては気が利くな……。
荒野、服、着替える前に、目薬さしとけ。それに喉の消毒もしておくか……」
徳川は、普段とあまり変わらない様子だったが、玉木と有働は、心持ち顔色を悪くして、黙り込んでいる。
あの時……荒野は、躊躇することなく、まっすぐに煙の中に飛び込んでいったが……。
『これで……比較的、毒性の少ないガス……』
催涙ガス、と、有働は、聞いていた。毒ガス、ではない。
有働は、徳川や荒野に比べれば、その手の兵器については疎かったが……荒野自身は、十分な知識を持っていた筈だ。それに、もっと毒性の強いガスである可能性だって、あったわけで……。
いくら、ガクが残っていたからといっても……すぐ下に、商店街があったからといっても……その手の知識を持ちながら、荒野があえてあのガスの中に潜っていったのだとすると……。
『……加納君は……』
とんでもない命知らず、か……それとも、とんでもない、お人好しだ……。
と、有働は思う。それから、
『いや……両方、か……』
と、思い直した。
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つづき]
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