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「髪長姫は最後に笑う。」 第六章(27)

第六章 「血と技」(27)

 狩野家での温かい食事を楽しんでから、茅とともにマンションに帰る。徳川浅黄が向こうに泊まる、ということで、今夜は茅も一緒に、狩野家で泊まることになっていた。茅は、自分のパジャマなど持つとすぐにお隣りにとって返した。

「……おい、いるんだろう?」
 一人になった荒野は、バスルームの扉に話しかける。少なくともセンサーは、まだ佐久間現象が中にいる、というデータを示している。
「こっちのいうことに正直に答えてくれたら、温かい食事を用意してやってもいい……」
 命に別状はないとはいえ……真冬のバスルームに閉じ込められて、快適な訳がないのだ。
 しかし、バスルームの中に佐久間現象がいる気配はあっても、返答はない。
「……返事は、なしか……」
 まあ、いい……。
 と、荒野は思う。
 なら……一方的に、話すだけだ。
「お前は……一族も、一般人も……無差別に憎んでいるようだけど……そういうのって、空しいぞ……。
 少なくとも、なにも生み出さない……」
 荒野は床に尻を据え、バスルームの扉に背を預ける。
 扉越しに佐久間現象に背中を見せている形だが、荒野はそのことに頓着しない。中の気配くらいは読めるし、現象が武器になりそうな物は所持していないことは、すでに確認済みだった。
 それに……。
『この期におよんで、抵抗するようであれば……』
 まだしも、救いようがある……と、思った。
 荒野は、今回の件で初めて佐久間現象という存在をしった訳だが……現象の立ち回り方を見ていると、否応無しに気づく事実がある。
 佐久間現象には……破滅願望が、ある。周囲を、できるだけ広い範囲を巻き込んで、自滅したいと思っている。
 今回の件も、その願望を……謎の首謀者たちに見透かされ、扇がれた結果だ……と、荒野は観察していた。
「……確かに、一族は、卓越した能力を持ちながら、実際にやっているのは単なる汚れ仕事の請負だし、一般人は……無能で、特に佐久間なんて頭のいい連中から見たら、救いようがないほど、愚かでもあるんだろう……。
 でも……一般人は、愚かで無能かもしれないけど……したたかで、つよいよ……」
 相変わらず、佐久間現象からの反応はない。
 しかし、気配を探ると、荒野の言葉に聞き耳を立てていることがわかる。
「……おれは、加納だ。加納だから、人より早く大人の身体になる。それに、本家直系でもあるから、身体ができあがると同時に最低限の訓練を受け、その後、他の一族に混じって、第一線で何年か働いてきた……。第一線、というか、最前線だな。一番、人員の消耗が激しい場所だ。
 知っていると思うが、加納は、他の六主家とか一般人とか間に入って、交渉の窓口になることが多い。だから、直系男子は、早いうちからそうして現場に出され、実践訓練とコネクション作りやらされるんだ。生死を共にした仲、というのは、強いからな……。
 で……普通の、一般人の子供なら無邪気に遊び回っているような時期に、何年かこの世のどん底を這いずり回ってきて……いきなり、この、平和な国に、来た。
 いや、生まれたのはこの国だそうだから、帰ってきた、というのが正しいのかな……。
 でも……こっちに来た当初は、この国の平和さになかなか馴染めなかったよ……。
 そのうち、茅が来て、そんなことを考える余裕もなくなってくるんだけど……」
 ここで、荒野は、笑った。
「……本当、短い間に、いろいろな事があって……いろいろな人と知り合った。
 それまで知らなかった世界をいくつか垣間見た。
 中でも、印象的だったのは……おれと同じくらいの年齢なのに、もう、何十枚、何百枚って絵を描いているヤツがいたことだな……。
 それを見つけた時は、本当にびっくりしたよ。物置みたいなところに、びっしりと迫力のある絵が無造作に放りだされていて、しかもそれがたった一人の……おれとそんなに年が変わらないやつが描いたもんなんだ……。
 いや、本人は、いたってのほほんとしたやつなんだが……絵のほうは、本物だ。誰かの真似からはじまって……今、自分の……紛れもなく彼自身の絵に、なりかかっている。
 おれには……そう、みえる。
 いろいろ、ショックだったね。
 おれが泥沼の底をはいずり回っているうちに、一方で、同じ年頃のやつがそんなことをしている。おれがやってきたことは、引き算だが、彼が営々とやって来たことは、足し算だ……」
 荒野はそこで言葉を区切り、首を振った。
「……それから……おれは、それまで見えなかったいろいろな物が、人が、目にはいるようになってきた。
 確かに一般人と一族とでは、能力に差がある訳だけど……でも、たまたま一族にうまれるいたのが、そんなに偉いことかな、とも、思い始はじめた。
 他の一族や、それにおれ自身も……所詮、お前と大同小異だよ、佐久間現象……。
 自分の能力を誇りながら、一方では、一般人社会から爪弾きになることを恐れ、その能力を秘匿する。
 内心では一般人を蔑みながら、その実、一般人の社会に寄生している……」
 おれたち一族は……どんなに秀でた能力を持っていても……今までのままでは、寄生虫のままだ……。
 と、荒野は続ける。
「……だって……おれたちがやっている汚れ仕事ってのは、要するに一般人の愚行の後始末以上のものでしかない。
 もちろん、誰かが片付けなければならない……一族以外の一般人が手掛ければ、もっと手際悪くなる。おれたちがやった時の、何十倍もの犠牲をだしちまうだろう……。
 だけどな、そんな汚れ仕事を、どんなにスマートに片付けて見せたところで……おれたち一族が、一般人社会の生産性に、なんら寄与していないってことは確実なわけで……。
 おれたちの能力ってのは、今までのところ、どっかの馬鹿が作りかけた負債をほんの少し軽減する程度のことでしかなくて……」
 ……マイナスの値を少なくすることと、プラスの値を増やすことは、根本的に違うよな……。
 と、荒野は沈んだ声で呟く。
「……おれは、そういう意味で……何かを作った経験は……これまでに、したことがない。
 だから、平然と物を作り、社会を維持している一般人を、尊敬する。
 同時に、そうした一般人の社会を壊そうとする者には、本気で、敵対する……。
 だから……」
 荒野は、深々と息をついだ。
「……お前は、明日の夜、佐久間の長に引き渡される訳だが……その後、佐久間がお前をどう処分するのかも、おれの知ったことではないが……」
 ……今後、お前がおれの前に姿を表すとして……その時に、今日と同じようなことをしようとしていたら……。
「おれは……おそらく、全力で、お前に敵対する……」

 荒野は、それだけをいうと、立ち上がり、最後に、
「……おやすみ……」
 とだけ言い残して、寝室に向かった。

 佐久間現象は、ついに最後まで言葉を発しなかった。

[つづき]
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