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彼女はくノ一! 第五話 (179)

第五話 混戦! 乱戦! バレンタイン!!(179)

 タクシーの中で、楓は、さりげなく香也の手をとった。
「……え?」
 一瞬、怪訝そうな声を上げ、身をすくませた香也の耳元に、楓は口をよせ、そっと囁く。
「その……こんなに……冷たいから……」
 確かに、長時間、野外でスケッチをしていた香也の手は、毛細血管が収縮して、すっかり冷たくなっている。絵を描く、などという細かい手仕事をするときに、手袋をはめるわけにも、いかない。
 香也の手を包み込むんでいる楓の掌は、香也の肌とは対照的に、しっとりと、熱い。
「……駄目……です、か?」
 楓は、おそるおそる、といった態で、香也の反応を、上目遣いに、伺う。
「……んー……。
 駄目っていうことは、ないけど……」
 香也は、こころもち頬を赤くしながら、楓から視線をそらして、答える。
「……じゃあ……」
 楓は、さらに香也のそばににじり寄り、香也の肩に頭を預け、香也の手を握ったまま、自分の太股に押しつけた。
「ほら……こんなに、冷たくなって……」
 楓にしてみれば、効率的に冷えきった香也の手を暖めようと、自分の腿と掌でしっかりと包み込んだだけなのだが……香也にしてみれば、弾力のある楓の腿と、それに、上から押さえつけてくる楓の掌の温度を感じているだけでも……刺激的なわけで……。
 香也は、急に喉が渇いたような錯覚に陥った。
 楓は、そんな香也の心境を知らぬ風で、ぴっとりと肩と背中を、香也の体に密着させている。そっと、こちらに凭れている楓に視線を降ろすと、楓の頭頂部が見え、うなじのあたりから、香也のものとは違うぬくもりとか体臭とかが、うっすらと感じられる……。
 この時間が、いつまでも続いたいいような……すぐに飛び退いて、楓から離れたほうがいいような……香也は、かなり複雑な心境だった。
「……着いたの」
 茅の一言で、その微妙な時間はあっさりと終わりを告げた。
 みると、外を見ると、確かにタクシーは、見慣れた狩野家の前に停車している。
 香也はどこか気まずい思いをしながら、手荷物を抱えてそそくさとタクシーの外に出た。楓も、すぐ後に続く。
「タクシーの料金は、例によって徳川持ちなの」
 茅は、例によって表情の読みにくい顔で、二人に別れを告げた。
「では、今夜は、これで……また明日なの」
 そういって、マンションの方に戻っていった。
 香也と楓は、なんとなく照れたような微笑をかわしあい、どちらともなく、「……か、帰りましょうか……」といって、玄関に向かう。
 とはいっても、家のすぐ前で降ろされたから、距離にして僅か数歩、といった所だ。
 そして、先導した香也が玄関に手をかけようとした時……。
 唐突に、盛装し、何故かごついゴルフバッグを背負った才賀孫子は出てきて、二人と鉢合わせになった。
 とりあえず、香也はいった。
「……んー……」
 とりあえず、楓は孫子が肩に担いでいるゴルフバッグに視線を集中させた。
「わ、わ、わ……わたし、まだ、何にもしてないですよ……」
「あなた……何をおっしゃっていますの?」
 孫子が、何故か慌てはじめた楓を不思議そうにみる。
「ちょっと……ご挨拶する必要がある方が、いらっしゃいましたので……ざっと、用事を済ませてこようか思いまして……。
 なに……いくらも、時間はかからないと思いますわ……」
 そういって孫子は、「んふふふふふふっ」と笑いながら外に出て行った。
「……あんなひらひらなドレスを着て……どこにいくんだろう……」
「ゴルフバッグの中身……今度は、誰に使うつもりなんでしょう?」
 孫子の背中を見送った香也と楓が、ほぼ同時にいった。
「……なんだ、こーちゃん……帰ってるんか?
 外は寒いだろ? ささっと中に入りなよ……。
 ご飯、もうできるよー……」
 香也の声を聞きつけた羽生が、台所の方から声をかけてきたのを機に、二人は家の中に入った。

 楓と香也は、自室に鞄などを置いて制服を着替えると、ほぼ同時に居間に入った。
「……さっき、家に入ってくる時、おめかしして外に出て行く才賀さんとすれ違ったんですけど……」
 楓が、炬燵に入りかけながら、台所に声をかける。
「ああ。それ……」
 台所から、顔だけをだしたテンが答える。
「少し前、どっかから電話がかかってきて……そしたら、孫子おねーちゃん、いきなりあの恰好で外出の用意して、出て行っちゃった……」
「なんか、急用ができたっていってたよー……」
 ガクの方は、声だけで答える。
 テンもガクも、羽生と一緒に夕食の支度をしている最中だった。
「孫子おねーちゃん、すぐ済むっていってたし……」
「でも! でも、ですよ……」
 楓が、二人に異論を唱える。
「才賀さん……ゴルフバッグ、持っていったんですよ……。
 ご飯前に、アレを持っていく急用、って……ちょっと、思いつかないんですけど……」
「……んー……」
 それまで黙って聞いていた香也が、ぽつりといった。
「そういえば……誰かに挨拶してくる、とか、いってたような……」
 香也がそう指摘すると、その場の空気が凍り付いた。
 テン、ガク、楓の三人は……孫子のゴルフバッグの中身を知っている。
「ま、まあ……才賀さんのことですし……」
 と、楓。
「そ、そうだよね。本人が大丈夫だっていっているし……」
 これは、テン。
「あ、挨拶っていったって……一族関係の人たちだったら、かのうこうやから何らかの連絡がくつ筈だし……」
 これは、ガク。
「……ちょ、ちょっと加納様に確認してみます!」
 結局、楓は荒野の所に電話をかけた。
 孫子が電話を受けた、という時間に、茅も何カ所かに電話をしている、ということに気づいたのだ。その前後の茅の態度も、不審といえば不審だった。
「……もしもし、加納様ですか? 楓、ですけど……。
 ええ。才賀さんが、誰かに挨拶をするって出て行って……。
 はい。はい。
 え? ちょうど今、その挨拶が命中した所……なんですか?」





[つづき]
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