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「髪長姫は最後に笑う。」 第六章(106)

第六章 「血と技」(106)

 放課後、荒野は鞄などの私物をだけ持って、調理実習室に向かった。この日も、前回に引き続き、「材料は、こちらで用意する」と言い渡されている。料理研は荒野を除けば全員が女生徒で占められており、当然のことながら、荒野の発言権は著しく低い。虐待されたりしていないだけまだましだが、荒野以外の部員が全会一致で決定した事項を荒野一人の反対で覆せるわけもなく、結果、荒野には、唯々諾々と彼女らの言うことに従う、という選択肢しか、残されていないのであった。
 だから、
「……今日は、予行練習として、加納君に、講師役のシミュレーションをやってもらいます……」
 とのっけから宣言されても、荒野には、抗う気力は残されていなかった。
 そういわれた荒野は、ゆっくりとうなだれてから、ひっそりとため息をつき、
「……わかりました……。
 やります……」
 と、頷くよりほか、ないのだった。
 荒野はのろのろとした動作で自前のエプロンを取り出し、実につけ、教壇に立って、前回の部活の時に習ったチョコレートの簡易加工法を、再現してレクチャーしはじめる。
 基本的に、「温度変化に注意しつつ、チョコを溶かし、型に入れて冷やす」ということしかやらないので、それなりに簡単な作業では、あった。第一、荒野は、人前に出てしゃべる、ということに対する抵抗がない。

「……で、今回も、チョコか……」
 数時間後、荒野と同じクラスの嘉島が、微妙な表情をして呟いた。
 最近、料理研の実習がある日は、嘉島が所属する野球部を筆頭に、料理が出来上がった頃を見計らって、出来上がったものを略奪しにくる……という習慣が、固定化している。
「いいじゃないか。チョコ。
 疲れた時には、最高だろ……」
 荒野は、憮然として答えた。
 荒野とて、別に、運動部員たちが出来上がった料理を目当てに集まってくることが、気に食わないわけではない。そんなことは、以前からのことだ。
 問題なのは……。
「ま……。
 バレンタインが過ぎるまでは、この調子だろうな……」
 荒野は、げんなりとした声で、呟く。
「そっか……そういや……そういう季節だもんな……」
 嘉島も、微妙な表情をして、頷いた。
 少なくとも、どうしてチョコが続いているのか……事情を彼なりに推測し、納得はしてくれたらしい。
「おれ……今まで、義理しかもらったことないんだよね……」
「おれの場合は……そもそも、日本にいなかったから……」
 荒野と嘉島は、そういいあって、ふむふむと頷きあった。
「……いいじゃないか、それまでは、チョコで……」
 嘉島は、周囲を見渡して、そういう。
「幸い……好評のようだし……」
 確かに……たかりにきた運動部員たちの中で、不満そうな顔をしているものは、いなかった。疲れた時に甘い物は、はやりうまく感じるものだし、極端な辛党も、いないらしい。
「ただ……チョコ……は、いいんだが……」
 嘉島は、声を潜めてリクエストした。
「その……汗をかいた後に、これ、だと……今度は、のどが粘つく。
 飲み物が、欲しくなるな……」
「……なるほど……」
 荒野は、真面目な顔をして、頷く。
 いわれて見れば、確かに……校内では、飲み物の調達にも、不自由する。水道水なら、飲み放題だったが……。
「そうだな……その辺のことは、次の時までの課題にしておこう……」
「……ねー、加納君……」
 数人の女生徒が、背後から近づいてきた。服装から判断すると、どうやら、女子バレー部らしい。
「その……今、聞いたんだけど……来週……」
「……ああ。
 手作りチョコ講座、やるらしいね……ってか、おれに講師役をやれってことらしいけど……」
 荒野は、その女生徒たちの質問を途中から引き取った。
 すると、周囲にいた女生徒たちが「きゃー!」と黄色い声を張り上げる。
「……こういうこと、なんだ……」
 荒野は、嘉島に顔を向けて、いった。
「……なるほど……」
 今度は嘉島が、真面目な顔をして、頷く。
「女子には……受けそうだな、それ……」
「……大部分の男子には恨みを買いそうでもありますよ、それ……」
 嘉島と同じ野球部員の一人が、突然、割り込んでくる。
 みると、ずらりと並んだ野球部員たちが、いっせいに「うんうん」と首を上下に振っていた。
「……あー……」
 思わず、荒野は視線を泳がせる。
「その……みんなは……そういう、もらえそうな、相手……」
「最近は、な……」
 嘉島自身は、あまり悔しい様子をみせず、淡々と答える。
「野球部は、あんまりな……。
 バスケ部は、昔から人気あるし、サッカー部もそこそこ、なんだが……」
「……嘉島君は……随分、余裕がありそうだな……。
 もう、決まった相手がいるのか?」
 荒野は、他の野球部員たちとはあまりに違いすぎる嘉島の様子に、疑念を持った。
「うちの家族……何故か、女性が強くてな……」
 対する嘉島は、やはり淡々とした態度を崩さずに、続ける。
「おれの上に……四人、姉がいるんだ……。
 上にそれだけいると、女性に対する幻想も、軽く吹き飛ぶぞ……」
「……そ、それは……」
 荒野は、内心で冷や汗をかいた。
「ご両親も、大変だな……」
「うち……親まで女が強くてな……」
 嘉島は、静かに答える。
「父親より、母親の方が、よっぽど稼ぎがいいんだ……。
 仲は、いいほうだと思うけど……家事は、ほとんど父の仕事だ……」
 荒野は……一般人にも、いろいろな家庭があるんだな、と、思った。




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