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「髪長姫は最後に笑う。」 第六章(121)

第六章 「血と技」(121)

 茅は、一連の騒ぎに気づくのが、遅れた。
 静流と同様、茅も手当たり次第に、その場にいるものに紅茶を振る舞うのに忙しかったから、だ。
 最初のうちこそ、茅のメイド服ばかりが好奇の視線を集めたが、実際に紅茶に口をつけた者が大袈裟に驚いて見せたので、すぐに茅を中心とした人垣ができてしまった。
 あまり身長の高くない茅は、大勢に囲まれると、と途端にその外が見えなくなる。
 そのうちに、荒野の声で「……撮影の準備をしろ……」とかいうのが聞こえて、何事かがはじまったのだ、と、思った。しかし、その時点では、茅はあまり事態を重要視していなかった。
 多少の騒ぎはいつものこと、だからだ。ましてや、ここには荒野がいる。だから、まかり間違っても、たいしたことにはならないだろう……と、茅は、何が起こっているのかわからないなりにも、そう踏んでいた。
 しかし、すぐに、孫子が荒野に詰め寄る、かなり激しい口調の言葉が切れ切れに聞こえてきて、茅の楽観的な考えは、否定された。
 断片的に聞こえてきた孫子の言葉で判断する限り……どうやら、今回の騒動の種を蒔いたのは、荒野であるらしい。
 そうあたりをつけた茅は、さらに詳細な情報を求めるべく、人込みをかき分て、一連の騒動を確保できる位置を求めた。
 人込みをかき分た茅が目撃したのは、動揺しながらも酒見姉妹を追い詰める楓と、必死で応戦している酒見姉妹、その間に割って入っている、荒野の姿、だった。
 一目で、一番の加害者にみえる楓が、一番心理的にも情緒的にも不安定な状態にある……ように、見える。
 酒見姉妹は、楓の猛攻を躱したり捌いたりするのに精一杯で、状況を分析するほどの余裕はないし……荒野は荒野で、孫子にあれだけいわれたのに、いまだに自分の言動のどこが悪かったのか、気づいた様子がない……。
 鈍い……というよりは、想像力が、不足しているのだ……と、茅は、荒野を評価する。
 荒野は……自分の足元を見失う恐れだけ、なかった。自我の形成以前から、「加納の跡取り」として教育されてきているから……楓のように、自分が何者であるのか、悩む必要はない。楓の奥底に常時くすぶっている、明日にも路頭にほうり出されるかもしれない……という、被害妄想的な強迫観念にも、まるで共感できない……。
 確固たる足場があらかじめ用意されていて、そのために身動きがとれなくなることが多い荒野と、逆に、あまりにも脆弱な足場しか持たないことを強烈に意識しているが故に、今の居場所を取り上げられることに、過剰なまでの恐怖心をいただいている楓とは……同じ荒神の弟子でありながら、当人には選択しようがない「生まれ」により、結果として、正反対の性格を有してしまっている。
 所詮……荒野のような、「所有しているのが当然」という出自の者に……楓のような、「何も持たないのが当然」の立場の者の心理を……自然体で、常時想像せよ……ということの方が、どちらかというと、無理な注文だろう。
 そして……。
『荒野は……悪意がないにせよ……楓が一番触れてほしくない部分を、知らないうちに、刺激してしまった……』
 孫子の一連の挙動から、詳しい事情は不明のまま……茅は、そう判断を下す。
 普段、冷静な孫子が、あれほど取り乱し、ムキになるのは……香也か楓のどちらか、あるいは、両方が、大きな意味を持つ時だけなのだ……
 それが、これまでの経緯を観察してきた茅が、下した結論だ。孫子があれほど感情的になる時は、香也か楓、この二名が、なんらかの形で、関与している。
 楓にとって、今の生活を保持するのがなによりも優先される重要事であるように……孫子にとっても、初めて意識した異性と友人は、多分、何があっても失いたくないものである筈で……。
 茅は、現在の騒動を最小の工程で解決する方法を考案し、それを実現すべく、動きはじめる。
 茅がその方法を思いつくまでごく短時間の間に、当然予想されるように、孫子がライフルを持ちだし、スタン弾を乱射しはじめ、騒ぎをより一層派手なものにしていた。
 だから、茅が一人で動きはじめたことに注目する者は、誰もいなかった。

 その頃、荒野は、物理的にはとても多忙であり、かつ、心理的にはとても困惑していた。
 何せ、楓は、泣いている。泣きながら、荒野でなければ捌ききれないような洗練された攻撃を、矢継ぎ早に繰り出してくる。
 物理的な攻撃は、体が反応するに任せておけばいい。荒野の域にいけば、そうした攻撃の捌き方も、脊髄反射的な域に達している。
 だが……泣かれるのは、心底、困った。
『……おれ……なんか、泣かせるようなこと、いったかなぁ?』
 荒野は、この年頃の少年が大かたそうであるように、異性の涙には、滅法弱い。
 そして、自分の言動のどこが楓を刺激したのか、ここにいたっても、自覚を持てないでいる。だから、楓が静かになる効果的な謝り方も、思いつかない……。
『……しかし……参ったな、これは……。
 本当に……』
 しかも、現在の荒野の受難は、楓だけが原因なのではない。
 荒野自身が無邪気にけしかけたから、だが……玉木の指揮で、この場の光景がしっかり撮影されていたりする。
 加えて、五十余人の一族の者の目前で、この醜態を演じている。
 半ば自業自得とはいえ、いい晒し者だった。
 さらに、結果的に、楓の攻撃から酒見姉妹を守っている、という形になった訳だが……先程から、酒見姉妹が、荒野をみつめる視線が、どんどん熱っぽくっなっていく気配などもして……なんか、ちらりと確かめると、二人とも、瞳が潤み出しているし……。
 おまけに!
 孫子までが、ライフルを持ち出して、自分たちに向かって、スタン弾を連射しだした……。
 つまり荒野は、徐々に熱を帯びてくる酒見姉妹の視線を背後に感じながら、泣きじゃくりながら繰り出される楓の猛攻と、容赦なく降り注ぐ孫子のスタン弾を、拾ったくないと自分の四肢で片っ端から弾いている訳である。
 行きがかり上とはいえ、酒見姉妹を守るためにこうしているわけだから、うかつに避ける訳にもいかない……。
 もはや、工場内の視線は、忙しく手足を振り回す荒野に集中している。
 荒野の行動の意味が分からな学生たち一般人には、荒野のめぐるましい動きは前衛舞踏かなにかに見えた。また、意味は分からずとも、荒野の動きが、ものすごく、非常識に早い、ということくらいは、さすがに理解できる。
 荒野の動きが目で追えて、その意味も理解できた一族の者は、一般人とは別の意味で、感嘆の声を上げた。
 これほどの悪条件が重なる中、一歩も退く事なく、数分も現状を維持し続けるのは……一族の基準に照らしても非常識なほどに、高度な身体能力を必要とする。
 流石は……加納の直系……などという声が、ひっそりと囁かれはじめた。
『……んなこと、どうでもいいから……誰かこの場を、なんとか穏便に、収めるよぉ……』
 荒野は、内心でそう叫ばずにはいられない。

「……んー……」
 助けは、意外なところから、来た。
「……茅ちゃん……ここ、進めば、いいの?」
「そう……楓も才賀も、絵描きを傷つけるような真似は、絶対にしないから……。
 進んで、合図したら、さっきいったことを、いって……」
「……んー……。
 ……わかった。
 いわれたとおり、やてみる……」
 その二人の緊張感のないやり取りが……どれほど、荒野を安堵させたことか……。
 茅に背を押されるように前に進んだ香也は、特に気負った様子もなく、とことこと歩いて、孫子の射線上に無造作に踏み入れる。
 孫子の射撃が、ピタリと止んだ。
 次に、香也は、楓の方に向き直り、「……んー……」と、ひとしきり唸った後、おもむろに、
「……楓ちゃん……。
 楓ちゃんがよかったら、だけど……その、うちに、ずっといて、いいから……」
 そういわれた楓は、ボロボロと涙を流しながら、自分の口を押さえ、その場に膝をついて、嗚咽を漏らしはじめた。
 楓の様子を確認した荒野は、全身の力を抜いて、その場に尻餅をつく。
 気づけば……全身、汗まみれだった。
 背後から、加納様加納様と連呼しながら、酒見姉妹が抱きついてくる。
 チラリと確認すると、茅の目が笑っていなかったので、慌てて目をそらした。
「……加納、よぉ……」
 仁木田直人が、へたり込んだ荒野を見下ろしていた。
「面白い見世物だったぜ……。
 お前ら……せーしゅんてやつだなぁ……」
 仁木田は、口をへの字形に結び、むっつり面白く無さそうな顔をして、そういった。
 荒野が返答につまっているうちに、どこからか、パチパチと手を叩く音がどこからか聞こえはじめ、それはあっという間に、割れんばかりの拍手と歓声と化した。
 荒野は、耳まで真っ赤にして、
『……拷問だ……これは……』
 と、思った。




[つづき]
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