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彼女はくノ一! 第五話 (229)

第五話 混戦! 乱戦! バレンタイン!!(229)

 何はともあれ、まずは夕食であった。鍋は火にかけられているし、味噌汁は、一度味噌を溶いたらぐつぐつと煮立てては行けない。風味が飛ぶ。つまり、やりかけの料理を途中で放りだすわけにはいけないし、また、この家の住人は大半が食べ盛りの育ち盛りであり、その食欲は旺盛だった。
 楓と孫子、テンとガク、それに羽生が台所にいれ代わり立ち代わり出入りして、いくらも待たずに完成した料理を炬燵の上に並べて行くのを、香也はぼっーっと眺めた。
 ……こうしているのを見ると、みんな、仲は良さそうなのにな……。
 とか思いながら、部屋の隅に常備してあるスケッチブックに手を延ばし、しゃっしゃっと鉛筆を走らせはじめる。手がすくとこうして手を動かしはじめるのは、香也の場合、癖というよりももはや習性の域に入っている。
 さほど待つこともなく、夕餉の用意が整い、みんなで炬燵を囲んで、
「いただきます!」
 の唱和をし、お食事開始。
 メニューは、金目鯛の焼き物、ワカメと蛸の酢の物、白菜の一夜漬け、里芋の煮っころがし、金平牛蒡、粕汁にご飯。
 狩野家はもともと和食中心だったのが、最近では玉木の家で買い物をすることが多く、海産物が以前より多く使用されるようになっている。
「……それでさ、肝心のこーちゃんはどうなのよ?」
 箸を使いながら、羽生がさりげない口調で切り出す。改まって膝をつきあわせるよりは、こうした雰囲気の方が香也にとってもありがたいのだが、そうした効果をどこまで羽生が計算しているのかは、香也には想像つかない。
「もう、楓ちゃんとかソンシちゃんの方はきっぱり意思表示しているわけでさ、ぶっちゃけた話し、あとはこーちゃん次第だと思うんだけど……」
「……んー……」
 香也は、口の中のものを嚥下し、ゆっくりとした口調で話しはじめる。
「……そういわれても……前にもいった通り、その……ぼくには、そういうの早すぎると思うし……」
「……つまりは、準備出来てない、っと……」
 そういって羽生は、溜息をついた。
「まあ、予想どおりといえば、そうなんなんだけど……。
 あのなー、こーちゃん。
 人生は一度きりしかないし、こんな美少女が向こうからこんなに積極的に迫ってくる、なんてことは……普通なら、まずないぞ……。
 いわまの際にはっきりになってはっきりする、とかじゃあ、現実には、駄目なんだから……」
 羽生は、香也の心情を配慮しながらも、やはり同性である楓や孫子の立場に同情的になってしまう。
 例えば香也が、単なる優柔不断であるとか、女性であれば誰にでも声をかける軟派な性格であるのなら、羽生もよっぽどやりやすいのだが……。
「……んー……。
 でも……特別な好意を持っていないのに、何か、そういう関係をずるずると続けるのも……なんか、違うような気がするし……」
 羽生の言葉に近づきながらも、香也としては、そういうしかない。
「……あー……」
 羽生は、頭を掻き毟りたくなった。いや、食事の場でなかったら、実際にそうしていただろう。
 香也と香也なりに……楓や孫子に対して、誠実であろうとしている。だからこそ、現状ではどっちつかずなわけで……。
「……はーいっ!
 はいはーい!」
 ガクが、元気よく片手をあげる。
「じゃあじゃあ……おにーちゃん、まだ、誰にも決めていないってことだよね!」
 香也は黙って首を縦に振る。
「はいっ!
 じゃあ、ボクも、立候補!」
「ボクも、ボクも!」
 ガクとテンが、競うようにして手を上げる。
「「……ボクも、おにーちゃんの恋人になるっ!」」
 ……しばらく、誰も何もいわなかった。
「……も、もてもてだなぁー、こーちゃん……」
 羽生がどこかしらけきった目で香也をみた。
 ……ここまでこじれてくると、もはや完全に、自分の手には余る……という意識が、羽生の脳裏で急速に膨らんできている。
 香也の方はというと、蒼白な顔をして、「……んー……」と唸りながら脂汗をかきはじめている。
「……えーと、だな……」
 そろそろ真剣に考えるのが馬鹿らしくなってきた羽生は、妥当な妥協点を提案しようとする。
「将来のことはわからないけど……今の時点で、こーちゃんが誰とも付き合うつもりはないっていうのは、はっきりしているわけだから……これ以降の逆セクハラは禁止!」
 羽生は真理の思考をトレースしようとする。
 真理は、年齢的に早いからといって、子供の恋愛に反対するほどタイトな価値観の持ち主ではない。しかし、節操のないフリー・セックス状態を放置することもないだろう。
「……今後、何かする時は、まずこーちゃんの意志を確かめてから!
 真理さんだって、普通の恋愛の末、自然にそういう関係になるんなら……別に、反対はしないと思うし……」
「……それ……」
 うつむき加減の楓が、横目でちらちらと孫子を伺いつつ、ぽつりぽつりと話し出す。
「変な薬、使うなっ、ていうことですよね……」
 根が素直で信じやすい楓は、孫子がシルヴィ経由で入手した媚薬を「服用したら最後、えっちをしないと死んでしまう薬」だと信じ込んでいる。
「わ、わたしだって……あんな変な薬がなければ……もっと、その……自然な過程を経て、ですね……」
「……まるで、薬がなければ香也様とそうなるのは自分だ、といわんばかりの言い草……」
 孫子の目が、すうぅっと細くなる。
「……分限というものをわきまえなさい、加納の犬……」
「……ま、まあ、二人とも……」
 突如険悪な空気になってくるのを、羽生がとりなす。
「そんな、角を立てることも……。
 ほら、こーちゃんも、脅えているし……」
 実際、香也は炬燵に座ったまま、上体を後ろにそらして、見事な及び腰になっている。
 物理的な激突がなくても、楓と孫子が本気で睨み合うと、その場の空気が凍る。
「……ご、ご飯はおいしくいただきましょー!」
「……世界平和祈願! 世界平和祈願!」
 テンとガクが、楓と孫子を見比べながら、羽生に続いて、あわてて割って入る。
 二人は、楓と孫子が実際にぶつかり合ったらどれほどのことができるのか、過去の経験からかなり詳細に想像出来る。ゆえに、仲裁にも、それなりに真剣だった。
「……まっ……いいえですわ……」
 やがて孫子が、目を逸らした。
「要は……香也様を、その気にさせればいいだけで……」
「……ま、まー……その、それは……そうなんだけど……」
 羽生は、簡単にそんなことをいってのける孫子に、呆気に取られている。
 内心では、
『……こーちゃんが、なかなかその気にならないから、回りが苦労しているんじゃないかよー!』
 とか、叫んでいる。
「……折しも、来週はバレンタイン!」
 何故か、孫子は立ち上がって力説した。
「香也様のハートをゲットするのは、このわたくしです!」
「……あー……」
 羽生は、視線をさ迷わせる。
「それは……ソンシちゃん……手作りチョコで、ということ……かな?」
「無論です!」
 孫子は、羽生の問いかけにかぶりを振る。
「腕によりをかけて、ゴージャスかつスイート、なおかつエキサイティングなチョコを作ってみせますわっ!」
 何故かむやみにテンションが高くなっている孫子はだった。
『まず……バレンタインなんて、今時、たいがいに形骸化して、誰も本気にしていないし……。
 それに、こーちゃんは、基本的に、甘いもの、苦手だ……。
 あと……チョコがうまければ、こーちゃんの好意を得られるというものでもないだろう……』
 羽生は、心中で、突っ込みどころを数え上げている。
 羽生の心配をよそに、楓とテン、ガクは、「わたしも!」、「ボクも!」とか、孫子の扇動に乗っかっている。孫子以外は、誰もが素直な子たちであった。
『……ソンシちゃんも……何か、根本的なところで、ズレているところがあるよな……』
 と、羽生は思う。
 香也はと見ると、今まで以上に、蒼白な顔をしている。今度の十四日は、きっとたくさんのチョコが香也の目の間に積み上げられるに違いない。
『……お隣の……カッコいいほうのこーや君なら、甘い物好きだから、歓迎しそうな……』
 しかし、こっちの香也は、甘い物が苦手なのであった。
『……まー……でも……。
 こーなったら、止らないだろうなぁ……』
 と、羽生は思う。





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